巻頭言

甲南大学 文学部教授 谷口 文章


 淡路島モンキー・センターの奇形ザル調査、水俣市における公害問題の研究、屋久島の自然観察などこれまでの研究室のフィールド活動は国内が中心でした。そして、1996年度は、谷口ゼミナール始まって以来の海外研修旅行と諸外国から先生方をお招きして国際シンポジウム等の開催が実現しました。このような意味で、本年度は飛躍の年であったと思います。
 夏季の研修旅行は、中国・国家中央教育科学研究所の金世柏先生の御好意により、中国の北京市に8日間、28名の学生とともに滞在しました。この研修旅行では中国の国家環境保全局の訪問、現代中国の環境整備の実態や小・中学校で実施されている環境教育の視察、北京大学「都市と環境学部」の学生との意見交換などが可能となりました。一方で、過去の日本と中国との間の悲劇的事実を踏まえると同時に、他方で、日本が環境問題の解決に向けて真剣に取り組む上で隣国、中国との協力は不可欠であり、日本と中国間の関係は今後着実に進められなければならないことを確認しました。われわれの今回の訪中が研究者、学生レベルでの両国の関係を深めるきっかけとなり、また今後の発展につながることを望みます。
 また10月には、アメリカのニュージャージー州立モントクレア大学教授のジョン・カーク氏の来日に合わせて甲南大学の総合研究所公開国際フォーラム「自然保護と環境教育−21世紀の自然と人間の環境を考える−」を開催しました。さらに、12月にはカナダ、中国、タイ、ドイツそして日本の五ヵ国から環境にかかわる諸問題を専門とする先生方をお招きし、国際シンポジウム「環境倫理と環境教育−人と自然の共生をめざして−」を実施しました。
 文化や言葉、そして専門領域の異なる研究者が、シンポジウムの場を共有し、自国の抱える環境問題の報告と、またその解決に向けた討論を行うということは意義深いことだと実感しております。今後もこのような交流を進め、相互理解を深めると同時に、より健全なライフスタイルの確立を考えていきたいと思います。
 この年間活動報告書は、研究室活動の記録を目的とし、学生諸君の手により作成されています。今回で14号目の報告書が仕上がったことになります。編集を進めてくれた学生のみなさん、とくに編集長の樫原利依さんの尽力に感謝したいと思います。 



谷口ゼミ中国研修旅行


出発日:1996年10月 4日(金)
帰国日:1996年10月11日(金)
人 数:28名(男:7名 女:21名)

日程
日時 曜日 日程 宿泊地
10月4日 関西国際空港 中国東方航空
16:15発 北京20:20着
北京梅地亜ホテル
10月5日 <研修会>北京101中学校見学
環境教育を主体としての日中学生との交流会
同上
10月6日 午前:<研修会>高碑店下水処理場見学
午後:<観光>故宮、天安門広場 同上
同上
10月7日 <研修会>
午前:国家環境保護局の表敬訪問
午後:北京大学(都市と環境学科)表敬訪問
同上
10月8日 <観光>
北京郊外:万里の長城、明の十三陵など
同上
10月9日 <観光>
天壇公園、周口店、廬溝橋など
同上
10月10日 終日自由行動 同上
10月11日 北京国際空港  中国東方航空
09:20発 大阪15:15着


◆集合時間/場所:1996年10月4日(金) 14:15

◆利用旅行社:CITS JAPANN株式会社(中国国際旅行社・日本)

◆利用航空会社:MU 中国東方航空(エコノミ−クラス利用)

◆宿泊予定ホテル:梅地亜賓館



2.研修レポート

中国の環境政策と我々の課題

甲南大学 文学部 社会学科 4回生 樫原 利依


はじめに
 1996年10月4日から11日にかけて、谷口研究室では中国・北京市において研修旅行を行った。今回初の海外研修は、現在の中国における環境問題の対策や環境教育への取り組みがどのような状況であるかを学ぶこと、また12月に開催予定の国際シンポジウムへの基礎固めを行うことを目的としている。

1.環境教育と研究の場−101中学校と北京大学訪問−
 学校教育の場ではどのように環境教育が行われているか、我々は101中学校(日本の中学と高校を合わせた制度)を訪問し、環境教育のモデル授業を見学した。中学校の先生による環境破壊についての説明の後、中学の部の生徒達自身に演劇でそのしくみを学ばせるという形式の理科教育の授業であった。劇の内容は、オゾン層によって強い紫外線から守られている動植物が、オゾンホールができた為に、遮断されず入ってきた紫外線に当たり死んでしまうというものである。次に、近辺に生えている草花の名前を、それらに触れながら学習する場面があった。広い構内や地域の特性を利用した学習方法がとられているようである。また高校部で、主に自然環境における研究発表があり、生徒達の素直な学究態度に、我々は感心しながら見聞させてもらった。
 環境問題の研究を行う学生達が非常に熱心であるということを、北京大学を訪問したときにも強く印象づけられた。News Week 誌で北京大学などを中心とする学生達の環境保護運動の動きを知ったということもあるが、何より彼らの眼差しは、自分達がこれからの中国を作っていくという自負をもった熱意のこもったものであった。我々は彼らのように貪欲に研究し行動していけるだろうか。

2.中国の環境保護政策−高碑店汚水処理場と国家環境保護局−
 現在中国は高度経済成長期に入っており、それに伴って起こっている環境汚染は極めて深刻になりつつある。国家機関の対応はどのようになされているか、汚水処理場や環境保護局の訪問によってその一端を知ることができた。
 北京市には高碑店を含め4カ所汚水処理場があるが、排水をすべて処理するにはまだ多くの処理施設が必要だという。汚水処理の方法は微生物による分解と濾過を繰り返すもので、処理後の水は河川に流され、汚泥は加工され農場に使用予定ということである。汚泥は土壌汚染に結びつかないのであろうか。
 国家環境保護局では環境問題・環境教育の政策について話をうかがった。大学の環境教育の課程については、特に科学・工学分野で環境に関する学科が充実しており、今後は経済などの分野にも力を入れていくということであった。保護局のロビーには、古代中国における環境保護思想を表した書が大きな板に彫り込まれている。中でも「天人合一」という言葉は、環境保護や環境教育の基本理念とも言える非常に重要な思想であろう。
 中国は10億を超える人口を抱えるぶん、汚染は深刻である。環境教育において、学校教育以外にも社会人教育を行っているということだが、中国も日本と同様、個々の意識や社会意識が問題であるようだ。企業も含めた社会の環境教育が不可欠なのはどの国も変わらないことである。

3.健全な未来に向けて−盧溝橋と抗日戦争記念館−
 抗日戦争記念館館長のお話では、日本人は年間3組しかここを訪れないという。ここでは、戦争がどれほど人間を狂わせ異常な状態に追い込むものであるか、それがどれだけ悲惨な現実を生み出していくかということを考えさせられた。また、この戦争への中国の人々の考えを少しでも知ることができた。しかし今回、盧溝橋事件や日中戦争で何が行われたか、我々学生の中で事実を詳しく学び知っている者は誰もいなかった。これが日本の若者の現状であり、その点で中国の人々との差は大きい。我々はここへ来て愕然となった。戦後日本の教育に偏りがあったことには違いないが、我々も知る努力をしなければならない。中国の人々と深く理解しあい、環境問題解決に向けて共に協力していく為には、過去の事実をできる限り踏まえた上で、未来へと協調すべく話し合っていく姿勢をとる必要がある。現代人の抱えている問題の解決への糸口は対立を超えたところにあるはずである。過去から逃げていては、健全な未来を期待できないように思う。我々が重要な課題を負っていると分かったことは、今回の中国研修での大きな収穫のひとつであった。

おわりに
 今回中国の環境政策の状況を視察し、環境保護・環境教育の普及に熱心な人々との交流を通して、国を超えた繋がりができていくことの意義深さを感じさせられた。日本も含め世界各地で起こり独自に発展している環境意識の高まりとその活動が、点で終わらず線となり面となっていくことで、現代世界の自然・社会・心の環境が相互にバランスをとりつつ健全に飛躍していくことを願わずにおれない。
 研究室活動拡大の第一歩といえる今回の旅行実現にあたって、幹事の宮崎さんに敬意を表したい。また旅行を深く意味あるものとし、ゼミ生と中国の人々との交流をよりよくすることにご尽力頂いた谷口先生、金先生(中国中央教育科学研究所・名誉学術委員)には、一同感謝の念にたえません。
 金先生と我々は、2カ月後甲南大学での再会を約束してお別れしたが、その12月に行われる国際シンポジウムにおいて、各国の研究者間でどのような討論が展開されるか、非常に興味深く思う。



中国研修旅行を終えて

甲南大学 文学部 社会学科 4回生 宮崎 美佳


1996年10月4日(金)
私にとって初の海外旅行で、少し緊張した朝を迎えた。関西国際空港に14:15に集合。1人が当日キャンセルになるというハプニングがあったが、何とか無事に出発。2時間後青島に到着し、少し日本とは違う匂いを感じながら入国手続きが行われた。再度同じ飛行機に乗り込んで北京へと向かい、約1時間後予定どおりの時間の8時過ぎに到着した。ト−タルで約3時間の飛行で着いてしまうなんて、今まで何となく遠く感じていた国“中国”が、隣国であることを実感した。
荷物を受け取るために表に出ると、金先生とガイドの範さんが待っていてくれた。
挨拶は簡単に済ませ、夕食をとるためにレストランへと向かった。お腹が一杯だったにもかかわらず、本場中国での中華料理を前にすると不思議とお腹が空いてきた。
やっぱり本場、日本では食べたことのない料理が出され、量もかなり多かった。
料理の中の前菜の一つに、“ピ−タン”があった。少し変わった味がしたので留学生の耿さんに尋ねたところ、それは“タコの卵”だと言った。形が鶏の卵にそっくりだったので同じテ−ブルのみんなは非常に驚き、後で聞くとみんなそれぞれその卵がタコのどの部分にあたるのか色々想像していたようだった。以降5日間全員それが “タコの卵”と信じて過ごしていた。(5日後、耿さんはこの時“タコ”ではなく“ダック”と言ったつもりだったことがわかり、この卵はやはりアヒルの卵であったことが判明した。5日間全員が何の疑いもなくあれが“タコの卵”だと信じていたとは…。)
夕食を終えホテルに到着。ホテルは、私たちのような学生には贅沢すぎるほどで以降快適に過ごすことができたが、せっかく中国に来たのに外の中国の人たちの生活とは全く切り離された世界にいるような気がした。
10月5日(土)<北京101中学校での研修>
この日は、北京の中学校で環境教育のモデル授業参観ということであった。
講堂で、理科の環境教育の授業を見学。範さんが通訳をしながら進められていった。前半は次の写真のような授業が展開され、後半は生徒たちが環境問題についての劇を演じた。

みんな一生懸命演じてくれていた。劇が終わると、谷口先生が生徒たちの熱心さに応えるように、感想を述べたり授業に参加。ところが突然先生が自分の席から前に出ようとして机をまたいでいこうとしたのにはびっくりした。(講堂の席は大学の講義室のような感じで、谷口先生はちょうど真ん中にいたので、出にくかったのはわかるけど…。)周りの101中学校の先生方もきょとんとした顔をしていた。しかし、これで101中学校の子供たちも、私たちも、緊張がほぐれ雰囲気が一気に和らいだ。中国に来てもやっぱり谷口先生は谷口先生だなあ、と思いながら聞いていた。 とにかくこの101中学校では、まさに文字通り“熱烈歓迎”で、もっと軽い感じの研修旅行を想像していた私は、面食らってしまった。
第一日目から内容の濃い研修だったが、何よりも印象に残っているのは、まっすぐで素直そうな、好奇心あふれる子供たちの“目”である。この学校は、北京でもトップクラスの学校である。きっとこの子たちは将来中国を背負っていくのだろう。
10月6日(日)<高牌店汚水処理場の見学>
高牌店は、ホテルからバスで約40分ほどの所であった。町の中心から少しはずれていて、
道中には一般の人達の家並が見られた。平屋建てのアパ−トのような家が多く、煉炭を運ぶ馬車も何度も目にした。北京の中心地に比べると、のどかな雰囲気だった。
まずは、汚水処理場の副官長さんのお話を聞き、それから施設の見学をした。副官長さんのお話では、北京では1日に240万tの汚水が発生しているのだが、この処理場では一日に54万tしか処理できない、とのことであった。2010年までに16個の処理場を作り、90%の汚水を処理可能にする予定とのことであったが、中国の経済成長に対して、環境整備がやはり立ち遅れていることが分かった。北京では上水はほぼ整備されているが、下水は排水溝が詰まってしまい、掃除員は専門的にいるが、市民の教育が行き届いていない、ともおっしゃっていた。
次に向かったのは、映画“西太后”で見たあの紫禁城である。紫禁城とは、故宮の別名で、紫は神を表す色なので、この城の中では紫色のものを身に付けることが禁じられていたことから、この名が付いた。とても広くてゆっくり見るのであれば1日かけても足りないほどだった。
私たちは、閉園1時間前に入ったので、ほとんど見る暇もなく駆け抜けていっただけだっ
た。印象に残っているのは大きな瓶である。それは、火災時に使う水を入れておくためのもので、昔は金色だったらしいのだが、今は黒く傷だらけであった。
範さんは、はっきり言わなかったが、遠回しに日本の軍人達が戦中に金をはがしていったということを話していた。中国人の範さんに、遠回しに説明されると今まで私たちの戦争に対する意識の薄さを指摘されたようで、胃が痛くなる思いだった。日本にいると、政治がらみの情報しか目を向けず、中国の人達があの戦争をどのように受け止めているのかということなど考えもしなかった。しかし、それを知ろうとすることが、日中友好への第一歩なのだということが実感できた。
10月7日(月)<国家環境保全局の訪問>
日本の環境庁のような所への訪問ということでかなりみんな緊張していた。日本でもそのような国の機関へ訪れたこともないのに、10億人の人口を持つ国の国家機関を訪れることはすごいことである。これも金先生のおかげだ。
局長の任氏のお話は、中国の環境教育政策についてで、大学レベルでの環境教育の課程は充実していて、147の大学で環境についての学科が設置されているとのことであった。しかし、科学や工学の分野での環境に対する課程は充実しているのだが、これからはもっと文系の分野、特に経済の分野を充実させ、同時に哲学、倫理学も進めていきたいとおっしゃっていた。
日本とは違うなと感じたのはやはり、哲学がベースにある国で、哲学や倫理学の分野を国家が充実させていこうとしている姿勢があることである。
とにかく政策の予定は聞いている限り理想的なもので、早く実行に移して中国が日本の公害問題の二の舞にならないようにしてほしいと願うばかりである。
10月8日(火)<明の十三陵・万里の長城>
明の十三陵は、観光客で賑わっていた。明の皇帝のお墓がメインで、地下3階分程降りた所に展示物が置いてあり、みんな並んで見物していた。地下はうす暗くひやりとしていて、お墓なんだと思うと鳥肌が立ってきた。
この日の昼食のときに耿さんが、50度位の強いお酒をみんなに勧めてくれた。私は紹紅酒は好きになったのだけれど、これはどうしてもだめだった。飲むと喉や胃が熱くなるのがわかる位強い。お酒を勧める耿さんを中国に来て初めて見た。その耿さんが勧めてくれるのだから飲みたかったけれど…。
さて、昼食を終え、一路万里の長城へ向かった。中国の代名詞ともいうべき万里の長城は、やはりものすごい坂で、私はゆるやかな方のコースを登ったのだが、それでも息を切らしながら、30分程歩いていった。
見渡すと、遥か向こうの向こうの向こうの方まで長城が続いている。周りは自然に囲まれ、山並みが続いていた。こんな建造物が何千年も前に造られていたなんて、
中国という国は本当に計り知れない大国だなと感じた。
本日の夕食は、この旅行で、私が最も楽しみにしていた“北京ダック”である。コックさんが丸一匹の北京ダックを切り分ける前に見せてくれた。おいしそうにこんがり焼かれていて食欲をそそった。食べ方は、切り分けられたダックとネギ、味噌などをクレープのような皮で包んで一緒に食べる。毎日同じようなメニューの料理でだんだん飽きてきていたのだが、これは本当においしかった。

10月9日(水)<盧溝橋>
今日からガイドの人が張さんという人に変わった。とても優しそうな人で、盧溝橋で起こった事件の事も、わたしたちに穏やかに話してくれた。
盧溝橋はとても美しく、周りの景色ものんびりとしたものであった。昔ここで戦争が起こったことが信じられないくらいである。
中国に来て一番の収穫は、戦争のことをもっと真剣に前向きになって考えなければならないと思うようになったことである。耿さんや張さんのように穏やかな人もいれば、もっと日本に対して憎しみを抱いている人も中国にはいるのである。その人たちのことを思うと、今まで学校で教えてくれなかったからと言って何も自分から学ぼうとしなかった自分が恥ずかしくなった。
10月10日(木)<北京動物園・薬膳料理>
この日は1日自由行動で、わたしたちは北京動物園へ行く予定ででかけた。中国と言えばパンダ。着いてすぐにパンダのところへ直行した。ちょうど広い外檻の中で遊んでいるところで、のんびり昼寝をしているのもいれば、木に登っているのもいた。日本のパンダのいる動物園だと、2匹位がガラス張りの檻の中にいるだけなのに、ここでは6頭位いて、
しかも外で遊んでいる。日本に来たパンダたちが見たらきっとうらやましがるだろう。
薬膳料理は日本では高くて手が出ないが、せっかく中国まで来たのだから、1度食べてみよう、ということになった。食べたものと効能は以下の通りである。
・タツノオトシゴと牛の腱(肺) ・サソリ(解毒、肺、骨)
・エビとクコの実(肝臓、目) ・鳥肉と麦冬(肺)
・松の実と桂魚(痛風) ・天麻(キクラゲ)(疲労)
味はもちろんおいしかったのだが、食べているとみんなお酒も飲んでいないのに、
体が熱くなってきた。医食同源を体で実感できた。
<おわりに>
今回の合宿は大変実りの多いものであったと思う。たくさんの人に出会い、いろいろな体験ができた。みんなそれぞれ感じた事は違うだろうが、今まで何となく遠く感じていた国、中国が身近に感じられるようになった。
そして、この国の大きさも、人の多さもパワーも計り知れないものを感じた。
日中の友好関係は、今始まったところといっても過言ではないだろう。わたしたちが中国について知ろうとする前向きな姿勢を持つことが、日中友好の第一歩となるのではないだろうか。



1 . 日 程

《1996年度春合宿予定表》

3/13(木) 13:30
14:00
15:30
16:00
17:00
18:00
19:30
〜21:30
23:30
JR道場駅集合
バスに乗車、セミナーハウスへ
開会式
箱庭実習
箱庭についての講義
夕食、入浴
卒論発表会(4回生)

就寝
3/14(金) 07:30
08:00
09:00
12:00
13:00
18:00
19:30
〜21:30
22:00
起床
朝食
研究発表、実習、講義
昼食
研究発表、実習、講義
夕食
研究発表会(3回生)

コンパ
3/15(土) 07:30
08:00
09:30
12:00
13:00
17:00
起床
朝食、掃除、移動
研究発表、実習、講義
昼食
閉会式
解散
甲南大学 谷口研究室




2.実習レポート


【箱庭実習レポート1】

甲南大学 文学部 社会学科 3回生 平沢 真実子


《箱庭を作った感想》
 1つの決められた大きさ(60cm×75cm)の箱の中に、好きな物を使って好きなように自分の世界を作る、実に興味ある実習である。目の前に沢山ある小さな家、小さな人形、小さな草木を見ていると、それだけで楽しくなる。この小さな箱の中の世界は私の手によって全くゼロから作り上げられて行く、と思うと妙にそのスペースに愛着が沸いてくる。様々な小物の中から自分の目にピピッととまるものを手に取り「ここかな」と思う場所に置いていく。1つ、2つ置くたびに私の世界が自分の一番しっくりくるバランスで、好きな色あいで形を現してくる。
 今回の私のメインは中央にあるプレゼントの箱の2つ。大きい方には花と天使、小さい方には“何か”が詰まっているイメージがある。また、明るいイメージを洋風で、落ち着いたイメージを和風で表現したつもりである。全体的に明るく穏やかな世界にしたかったので草花を多く使い、海水もカラフルなビー玉などで飾った。
 できあがった世界に対し、私は“あの世”を想像したため、流れてきた骸骨をうかべ、弔いのために、お地蔵さんを置いた。人間はいないが、人間をあたたかく迎えてくれる場所としての私の世界ができたように思う。
《先生の批評》
・“救い”を求めるべき要素がいくつもある。(教会、天使、地蔵など)
 意外と不安、孤独な部分があるのではないだろうか。
・必要以上に同じものを2つ以上使っている。(塔、橋、ランプなど)
 必要以上に周りに気配りをして疲れてしまうところがある。
・整理する必要がある。
・救いを与えるべき場所が多い割に救われる気配がない。
・一方の橋より“あの世”へ行き、「あぁ、こんなもんか」と納得し、もう一方の 橋から戻ることができる、という見方もある。また、その橋2つにランプ2つを 使い、光を照らすならばムダにはならないだろう。
《ゼミ生全体からの感想》
 何となく作った私の箱庭から実に様々な解釈がなされた。私が普段、特に意識もせず持っているような性格・性質がやはり出ているという。不思議と「あぁ、実はそうなのかもな」と思えることが多く言い当てられる。“不安神経症”と言われた時は笑ってしまったが、実は密かにドキッとしたりもした。
 自分の中にハッキリと見えなかったものが、何となく作った箱庭の小さな世界に表れたことは、大変面白いと思った。そして、それが全てではないとしても、そこからまた新しい自分に気づくことができるということは、本当に興味深い。



【箱庭実習レポート2】

甲南大学 文学部 社会学科 3回生 折口 淳子


《箱庭をやってみて》
 まず始めに砂を触ってみてすごく気持ちがよかったのを覚えています。手の中で砂がサラサラするのがおもしろくて、思わず山を作ってしまいました。
 わたし自身を動物に例えたら犬だ、と思っていたので、箱庭をやったらぜひ犬を使おうと思っていました。が、良い犬がなかなか捜し出せず、その前に犬から連想した蓄音機が先に出て来てしまいました。
 山までの道はとても険しく、頂上についたとしても、そこには良いこともあるし同時に悪いこともある、そして山に向かう人々はそれを分かりつつも山を登ろうとしている、という様子を表してみました。わたしは蓄音機の音に起こされて、あの山に登ろう、登らなくてはならないと思い立って、時計を見ながら焦っているところです。
 ここまでを表すのは流れに乗って簡単に作ることができましたが、余ったスペースを埋めることが難しく、少し悩みました。結局、余ったスペースでは、あの山に登ればきっとこういうふうに楽しいことがあるだろう、というイメージと、あの山に登れば何か新しいものを得ることができるだろうというイメージを作ってみました。
《先生、ゼミ生の感想》
 先生:・親(特に母親)に自分の想像以上に守られている
  ・子供っぽい所が残っている(犬の乗っているベッド等)
  ・木々が世間の荒波を表す。
  ・三つの対象物(山への流れ、写真左下、右上)
 ゼミ生:・弥勒菩薩、怪獣が大きい
   ・時計が気になる
   ・写真右下から左上への流れ
   ・金属的なものが多い(蓄音機、ブリキの家、いす)
   ・山の頂上の花が気になる ……など
《先生・ゼミ生の感想を聞いて》
 先生に「母親に守られているでしょう」と言われてドキッとしました。確かにそのとおりで、わたしはそこから出ようとしているのに、なかなか出ることができなくてもやもやしているところでした。子供っぽいと言われたのもそのとおりで、何も言うことができませんでした。が、「弥勒菩薩や怪獣の視点が高いところから潜在能力が高いのかもしれない」と言われ嬉しく、また頑張ろうという気持ちになりました。
 前回箱庭を作ってから一年以上たちましたが、相変わらず子供っぽさが残ってはいるものの、今回の箱庭の方が深いものになっていると思います。



【箱庭実習レポート3】

甲南大学 文学部 社会学科 3回生 井上 絵美


 《作ってみてどう思ったか》
 最初、ウサギを見て不思議の国のアリスを思い出した。次に、大小の白い箱を見てそれをびっくり箱にし、ウサギはマジシャンに、兵隊は魔法にかけられている事にしようと作業に入る前から決めていた。が、いざ作り出して見ると、兵隊が上手にびっくり箱のふたを開けようとしているような形にできなかったので、腰かけ用に切り株を利用して何とかとりつくろった。作りながらストーリーがどんどん出来上がっていくのがとても楽しく、創造力の練習になった。ウサギが魔法をかけると2つのびっくり箱から花や植物や動物が飛び出し、それを見て男の子と女の子は喜んでいる。また、びっくり箱から出て来た者を迎えようと、スヌーピーやキリン、パンダ、鴨などが待っている。メルヘンの雰囲気を意識していたが、兵隊のいる周りは木の種類も違い、おもちゃのようだと自分自身感じた。
《谷口先生の批評》
・ウサギはマジシャン
・「箱」は母親・子宮・拘束といったイメージを持つもので、この箱庭では中に  ぎゅうっと押し込められていたエネルギーが飛び出しているようだ。箱庭の中に入れ子状にあるこの2つの「箱」がキーワードであろう。また、この箱から飛び出す物達から、現在の自分、または今の生活を変えたいといった願望が感じられる。
・教会は変身するために必要な抜け道、逃げ道であろう。
・おもちゃの兵隊とその後ろの平凡な木は、それ以外のマジックの世界が現実か幻か迷ったとき、「やっぱり幻の世界だった」と正気に戻らせる役割もつ。
・ウサギ、男の子、女の子が最も重要な登場人物。それに比べ兵隊はそんなに目を引かない。
・切り株は、挫折の象徴的存在
・自分を変えたい、何かから逃げ出したい、家族、ルーティーン化した生活から離れたいというような雰囲気が感じられる。将来に対して何かやりたいという情熱を感じる。