基調講演:

震災と心のケア

谷口文章(甲南大学)


プロフィール:大阪大学大学院文学研究科博士課程退学。甲南大学文学部教授、奈良産業大学非常勤講師。専門は、哲学、人間環境論、環境倫理。哲学によって「人間」を形式的に捉え、「心」を心理学的に実質から理解した上で、そのような人間が置かれている場としての「環境」を研究する。キーワード:震災、心のケア、心・自然・人生、円環性

1.心の構造とケア −震災を通じて−
 まったく予測できなかった阪神大震災は、人々の心に大きな打撃を与えた。それは、安心して生きている環境を根底から覆すものであった。予期せぬ環境の破壊は、生活環境である“今、ここ”という存在基盤を破壊させる「世界没落体験」である。人間の心は、その恐怖の瞬間に耐えるため、心理的麻痺の状態となり、いわば「空白」の環境をつくりだす。そのような震災の空白の体験は、意識・無意識を問わず、心の内でその正体と意味が露わとなるまでくり返し当事者に襲いかかる。それは、「心の構造」が円環的であるため、意識下に抑圧された「もの」が意識に上がろうとする運動である。 心の「ケア」が必要なのは、このようなときである。正面から困難に立ち向かう時間もなかった、また自分の責任とは関わりなく生じた天災に対するもっていきようのない怒り、新たな現実に対する対処などの心理的問題に対して、心のケアが必要とされる。
 心のケアは、「自然治癒力」の動きを促し、その発現を待つことでもある。心の自然が動けば、大なる自然のリズムをとりもどすことができる。心と自然環境との円環性である。つまり、人間の内面の底は外の大自然と円環的につながっているのである。

2.心と環境の円環性
 「心」の全体性は、意識上で現実に果たしてきたことだけでなく、意識下にある果たされなかった事柄が後に円環的にもどってくる構造をもつ。例えば、現実の行為で実現できなかったことが夢で願望充足される一方、そのような夢の内的作用が現実の行為を支えている。また、生が意味づけられるのは死によってであり、死とは新たな生の契機である、というような“円環性”をもつ。
 心を「環境」に置き代えても、同じ円環的構造を持つ。環境は生体凝縮に典型的に示されるように“自己回帰的メカニズム”をもつ。例えば、水俣病のように、海という外なる環境が汚染されると、羊水という母胎の内なる環境が汚染される。また逆に、心の内なる環境が汚染されることは、自然や社会という外なる環境を破壊することでもある。
 このような円環性は、本来、「人間の本性 human nature−人間的“自然”」が、「自然」に根づいているからである。

3.価値観の変化と環境教育
 環境教育の一つの主旨は、どのように自然を見るかであり、自然とのつき合い方を学ぶことである。阪神大震災の場合、その自然は人間があまりにも傲慢であり、大自然の前ではいかに微力なものであるかをしらしめた。この意味で、けっして自然は優しいだけではなく、恐ろしくて厳しいものであることを知るべきであろう。それは、日常の棲み家である“今、ここ”の環境の安全がいかに「有り難い(有ることが難しい)」ことであるかを自覚させ、そして有り難い“今、ここ”の安全は当たり前ではなく、めったにないことだからこそ「感謝」の気持ちが必要である、ことを高揚した。
 今までの人生観や世界観という価値は大地震によって一挙に変化したが、ある意味で、それは、
人々が自我心から離れ「無」になれたことでもある。死の恐怖を伴う大地震の体験を経て、人間の新たな生の出発点にもどる機会を得たともいえよう。
 ここに、新しい生き方と、新しい環境教育の視点が見出せるように思える。つまり、環境教育の基本は、生命の温かさと脆さ、生と死、傲慢と謙虚さなどを教えることであるのではないだろうか。



講義概要

生命と倫理      後期(2単位)
 「時間とは何であるかは知っている。しかし改めて問われると、時間とは何であるかわからない」とアウグスチヌスが述べたように、「生命とは何か」と問われると、すぐには答えられないであろう。それは、生命が実体的で固定したものではなく、常に生成・構造化・消滅をくり返す“事態”であるからである。つまり、「生命とは何か」という実体的問いではなく、「生きている状態とは何か」という事態的問いでなければならないであろう。
 もし、生命が常に変化するものであるとするなら、死の意味も変わってくる。従来の生命倫理は、生と死を明確に区分できるとする学問的方法であったため、脳死判定、臓器移植、代理母、スクリーニング等々の問題に関して紛糾した。それに対し、生と死、客観と主観、人間と自然というような二項対立として捉えず、本来両者が分離する以前の状態から生命を考える「自己組織化」の生命倫理を考察してみたく考える。
 少し理論的に述べたが、具体的にVTRを教材として使いながら、リラックスして学生諸君と討論して講義を展開したい。


哲学思想基礎論    通年(4単位)
 人生の意味は何か、世界をどのように見るか、人間はどのように行為すべきかの諸問題を検討する。そのために、次のようなテーマを論じる予定である。
 1.人生の意味:生と死、挫折と希望、愛と虚無、老いと病い等
 2.世界の見方:社会と制度、法と経済、自然と環境、言語と精神等
 3.行為のあり方:精神と意志、自由と拘束、行為と価値、理想と現実等


人間環境論      通年(4単位)
 人間の環境を、自己組織論の観点から研究する。人間の環境は、身体を介して自然環境、社会環境、精神環境が成立すると考えられる。それらは、人間とは無関係に成立しているのではなく、人間と相互作用することで自己組織的に形成される。
 「自然環境」では、人間が適度に関与することで生態系が維持されている。例えば、森林の保全や農耕によって自然環境は健全なものとなる。「社会環境」では、もう少し人間の関与が大きい。しかしその社会現象も、自己組織的にシステムが出来上がる。例えば、商品の価値も市場において自己組織的に決定される。「精神環境」では、いうまでもなく人間自身の問題であり、それは“心のあり方”が中心となる。例えば、親子関係において、神経質の親は神経質な子どもを育てることになり、その子の心は母親のそのような性格を内化して自己組織的に形成されることになる。 このように、人間の環境を、自己組織論の観点から考察していく。



編 集 後 記


谷口ゼミは10月に初めて中国での研修旅行を行いましたが、この行事がゼミ活動の大きな飛躍への第一歩となったと思います。研究室にはパソコンが入り、E-mail等で国内外の連絡を行うようになり、公開フォーラム、国際シンポジウムでは諸外国の先生方を招いて討論を行うなど、私たちの活動は世界を意識したものとなってまいりました。
ますます規模を拡大し、多忙を極めていくゼミ活動の中で、細々と編集作業を続け、今回の報告書をようやく形にすることができました。今までの報告書のようにほとんどをワープロやコピーで作成したものとしては本書が最後になると思います。
1997年度からは、主にMacを利用していく予定です。
報告書編纂を通して、私たちが関わってきた活動の意義について改めて考えさせられ、今後も見識を広めると共にますます深く学ばなければならないことを強く感じています。
本書の編纂にご協力してくださった諸先輩方、ゼミ生の皆さん、有り難うございました。
また、谷口先生には多岐にわたる助言をいただく度に、引き締まった内容となったことに恐縮し、また深く感謝致しております。今後も、谷口先生をはじめ皆様のご指導を賜りたくお願い申し上げます。

編集委員(研究生)天野雅夫、松谷陽子
(4回生)宮崎美佳、鎌田靖子、瀬戸口優子、樫原利依
(2回生)朝倉円香、久山美保、嶋本春恵、竹林由佳、浜田圭子、平岡永子、森岡由美子、山下香苗、渡辺理和