巻頭言

甲南大学 文学部教授 谷口 文章


 今年度の研究室活動は、これまで以上に、実り多いものになりました。1997年6月21日、22日の第12回保健医療行動科学会「医療倫理と行動科学」の主催に始まり、12月7日の日中共同環境教育シンポジウム・神戸会議、1998年3月20日、21日、22日には一昨年度に続き第2回国際シンポジウム'98「環境倫理と環境教育−科学技術と人間性をめぐって−」と、大きな大会を甲南大学において三回も開催する機会を得ました。
 また、夏期休暇とその前後を利用した3カ月の間、タイのプラナコン・ラジャバト王立研究所、中国の北京大学、天津市教育科学院、山西省陽泉市教育委員会、そしてカナダのヴィクトリア大学において、それぞれ客員教授として講演をおこないました。その間、中国の北京とカナダのヴィクトリアで待ち合わせ、ゼミ生がそれぞれの国に海外研修旅行として1週間ずつ滞在し、国際的な視野から環境問題を体験しました。そして、現地で知り合いになった先生方に、オーストラリアと韓国の先生方を加えてお招きし、国際シンポジウム'98「環境倫理と環境教育」を3月に開催しました。
 さらに、このシンポジウムでは、事前に招待者の先生方とともに淡路島モンキーセンターを訪問しました。そして、社会環境の破壊ともいえる「食物汚染」が、奇形ザルを生み出している現状を視察しました。それは、ポスト・ハーベストや残留農薬などによる、国境を越えた地球レベルの環境問題であると痛切に感じました。こうして、地球環境保全を目的とした国際レベルの協力が緊急に必要なことをお互いに確認しあいました。
 しかしながら他方で、本研究室と長年おつきあいのあった中川米造先生の御逝去という悲報も報告しなければなりません。故中川先生は、厳しい姿勢でもって生命の尊厳を強く主張された反面、すべてを包みこむような温かなお人柄でもありました。その先生の生き方に接することで、多くのゼミ生が励まされ、また勇気づけられました。こうした中川先生のお考えの通り、われわれは「生命の育まれる場」としての環境を健全なものとするため、その保全に向けた取り組みを続けていきたいと思います。
 それらの一環として、1998 年3月1日に設立した「『地球環境と世界市民』国際協会」の活動があります。これは、「自然と生命の環境」、「社会と文化の環境」、「心と精神の環境」という横軸の三つのカテゴリーに、「環境倫理(理論)」、「環境教育(実践)」、「国際環境(情報)」という縦軸の三つの部門をそれぞれ織り込み、国の単位を越えて『世界市民』自らの手によって、「かけがえのない地球 Only One Earth 」の環境問題の解決にアプローチするという目的をもっています。今後の国際協会の成長により、研究室のあらたな発展が期待されます。
 最後に、これまで以上のハード・ワークとなった研究室活動をさまざまな形で支えてくれたゼミ生のみなさんに心から感謝いたします。とくに編集長の渡辺理和さんの努力には感謝の気持を強く表したく思います。

I.海外講演の成果−タイ・中国・カナダ−

海外講演の成果−タイ・中国・カナダ−


甲南大学 文学部教授 谷口文章


 タイ・中国・カナダに客員教授として招かれ、各国において交流、相互理解を通して環境問題の解決のための啓発活動を展開してきました。
 これは、1996年12月に甲南大学において開催した国際シンポジウム「環境倫理と環境教育−人と自然の共生をめざして−」にシンポジストとしてお招きした、タイのラダワン・カンハスワンLaddawan Kanhasuwan先生、中国の金世柏先生、カナダのアラン・ドレングソンAlan Drengson先生、ドイツのヴィルヘルム・フォッセWilhelm Vosse先生のご協力によって可能となりました。
 7月10日より7月25日までタイのプラナコン・ラジャバト研究所・環境教育センターに滞在しました。そして、7月25日から8月25日までの間に北京の北京大学、北京育達工商学院大学、天津市教育科学院、山西省陽泉市教育委員会を訪れ、8月25日より10月10日までカナダ・ヴィクトリア大学環境学部に滞在しました。
 各国における環境問題の解決のための取り組み、フィールドにおける環境教育の経験など、グローバルな視野で環境問題の現状を知り、その解決方法への示唆を得ることができました。
 まず、タイのラジャバト研究所では午前9時より午後5時までの講義を研究者、現職教員に二日間おこないました。その内容は、箱庭療法を「箱庭世界(Sandplay World)」として応用した“心の環境”についてでした。箱庭の実習によって参加者の方々との交流を深めることができました。また別の日には、学生たちに講義をおこないましたが、ラジャバト大学の学生たちは長い講演にもかかわらず熱心に聞いてくれました。
 次の中国では、金先生のご尽力により各地での交流が可能となりました。山西省陽泉市の教育委員会においては、「環境倫理と日本の環境問題」についてお話をすることができました。しかしながら、陽泉市の空気がスモッグでひどく汚染されていることにショックを受けました。というのも、日本の企業が良質の石炭を買い占めてしまうために、悪質の石炭によるクズの山ができ、それらが自然発火した後、SO2が発生し、陽泉市一帯がスモッグに覆われてしまうのです。またそのスモッグは、酸性雨となって国境を超え日本にまで影響を与えます。つまり、自己回帰のメカニズムを具体的に見た思いでした。さらに、環境対策から漏れている郷鎮企業の様子も見てまいりました。環境政策と現実の公害問題のむずかしさも実感しました。
 今年度の研修旅行は、筆者の中国とカナダの滞在中に学生諸君がそれぞれ一週間ずつ加わりました。彼らとともに北京大学の田徳祥先生が顧問されている「環境と発展協会」の招きにより、「日本の環境問題の現状」についての講義をおこないました。そして、学生同士の交流も深めることができました。また中国国家環境保護局の訪問では、中国全土の環境状況の有り様やその解決に向けて国家レベルでどのような取り組みがされているか知る事ができました。
 最後のカナダのヴィクトリア大学においては、「東洋の思想と心の環境」、「環境問題とエコ・サイコロジー」というテーマで講演をおこないました。最後の一週間は、学生諸君とともに生態系の多様性を保護するための運動、オルターナティヴ・フォレストリーの実演や原生自然(ウィルダネス)の中の散策などを通して、カナダの自然の豊富さを実感しました。
 このように、3カ月にわたる海外講演の成果は、実のあるものとなりました。

II.第34回 ゼミナール海外研修旅行

−中 国−

1、日程


第34回 ゼミナール海外研修旅行(中国)
     研修地      内容(AM/PM)      宿泊場所   
8/15   大阪→北京   MU526大阪→北京      21世紀飯店
             15:45 19:40         中日青年交流中心
                            (010−6466−3311)
8/16   北京      中国地質博物館見学        同上
             北京大学歓送会         
8/17   北京→天津   バスで移動天津へ       天津先込酒店
             天津教育科学院 谷口先生講演 (022−2338−8998)
8/18   天津→北京    バスで移動北京へ         21世紀飯店
             北京大学学生交流会       中日青年交流中心
8/19   北京      101中学校表敬訪問           同上
             サマー・パレス見学      
8/20   北京      松山自然保護区見学           同上
             農村訪問       
8/21   北京      明の十三陵見学             同上
             万里の長城見学      
8/22   北京→上海   中国国家環境保護局
             日中友好環境保護センター施設見学   天馬大酒店
             MU5112北京→上海        (021−6401−5888)
             18:50 20:45
8/23   上海→大阪   MU515上海→大阪           帰国
             9:35 12:35 

2、中国研修レポート


現代北京事情


甲南大学 文学部 研究生 天野 雅夫


 谷口研究室では1996年および1997年の夏に中国を訪問した。滞在中は、北京を中心として天津にまで足を延ばした。研修旅行は、日程が限られていたことと、目的が現代中国の文化と環境を視察することであったので、観光地などは必要最小限の訪問であったが、広大な国土と多数の民族からなる中国の、日本とは異なった生活環境を知ることができた。以下はそのとき訪れた場所についての記録である。

○北京101中学校訪問
 中国では小学校と中学校そして高等学校が同一の敷地内にあることが多いらしい。この101中学校も広い敷地の中に中学校と高校があった。
 101中学校は北京大学のすぐ隣、天安門の西北の方角に位置し、市内の繁華街からは少し離れた場所に建っていた。ここでは環境教育をテーマとした小学校の授業を見学した。授業はオゾン層に関するものと、構内の池の水質調査・植物の生態調査に関するものであった。教壇に立った先生は板書でオゾン・ホールについて一通り説明した後、それを演劇を通して体験させていた。子どもたちはそれぞれの役割、つまり、太陽の役、紫外線の役、オゾン層の役、うさぎなどの動植物の役に分かれ、オゾン層が普通の状態と、オゾン層にオゾン・ホールができた状態を熱演した。内容は太陽からオゾン層を突き抜けた紫外線が動植物に当たり、動植物が死んでしまうという設定だった。このように生徒たちに板書だけでなく体験を通して理解させるという考え方は、理論と実践の両面からの教育であり、ある意味で中国の教育の典型的なパターンのようであるが、日本の教育も見習うべき点が多くあるように思った。また、構内の池の水質調査は、日本の学校とは異なって、広い構内に教育施設として発泡スチロールの成形工場のような施設がある中国ならではの授業であるといえるだろう。実際に工場排水が流れ込む池の水には発泡スチロールが混入していると、生徒たちは報告していた。そして、構内の植物の生態調査では、植物の種類や名前の学習に伴って、それぞれの植物の医薬的な効能が説明されていたのも、西洋医学だけでなく漢方医学も重視する中国ならではのものであって、日本ではあまり見られないものであった。
 次に案内されたのは高等学校の自由研究発表の風景であった。教室内には、日本では見たこともないような珍しい昆虫や植物の標本があり、これらは北京市内で採取されたもので中国には日本には残っていないような動植物や昆虫が、まだまだ残っているのだと思った。また、研究発表中の生徒たちの生き生きとした表情が印象に残っている。

○国立地質博物館の見学
 博物館は天安門の西、阜成門南大街の街路から少し奥に入ったところにある。博物館に入館した私たちを最初におどろかせたのは、標本の大きさであった。入り口通路には日本では欠片しか展示していないような珍しい鉱石の、それも「巨石」が並べられていた。人間よりも大きい水晶の結晶も置いてあった。館内の展示でもその数の多さは私たちを圧倒した。また、鉱物資料だけでなく化石資料もたくさん展示してあり、恐竜や世界最古の原始鳥の本物の化石が並べられていた。博物館は1階が鉱石、2階が古生物、3階が地球史・宝石という構成であったが、その豊富な展示内容から中国の国土の広大さが感じられた。
 ここでは二度目の訪問のおりに、貴重な一億四千万年前の始祖鳥の化石を見ることができた。それは博物館副館長の個人研究室にあり、現在研究中とのことであった。始祖鳥の化石には当時の小魚も一緒に閉じこめられていて、始祖鳥の食性を知る上でも貴重な資料になるようであった。他にもこれより少し古い原始始祖鳥や他の鳥の化石があった。このような貴重な資料のある部屋に入室を許されるのも、中国人の気質のおおらかな一面であるが、二度目の訪問によって文化交流が深まったのもその理由の一つなのかもしれない。

○北京市高碑店汚水処理場
 1996年には中国の下水処理場を見学した。この処理場は北京市東部の外れの高碑店にある。高碑店汚水処理場のパンフレットには、「北京は中国の政治、経済、文化の中心であり、北京市の人口は約1100万人、中心部だけでも500万人の人々が住んでいる。近年北京市は急速に発展し、汚水の排水量も年々増加している。1日の汚水は220万立方メートルで、そのうちの12%程度が処理されるが、他はそのまま河川に流されており、その環境汚染は深刻なものとなっている。そこで北京市政府は高碑店に汚水処理場を建設することを決定した(1990年12月着工、1993年12月第1期工事完成)。
 処理場の敷地面積は96.61平方公里、住居施設75.58平方公里、工場施設10.85平方公里、従業員数2400人、汚水の処理量は80万立方メートル以上で生活排水と工場排水の総量の50%を処理している」とある。ここから、3年前までは汚水のほとんどが河川に垂れ流されていたこと、中国では生活排水と工場排水は一緒に処理されていること、そしてこのパンフレットには高碑店以外にも3カ所の汚水処理場があることが伺える。
 工場で説明を聞き、見学して思ったことは以下のような点である。第1に敷地内は想像以上に悪臭の無いことである。日本の汚水処理場では悪臭が非常にきつかったように記憶しているが、中国ではどのように処理されているのだろうか。第2は汚水の中から出るゴミの中に発泡スチロール製のトレイとビニール製品がたくさん見られたことである。日本と同様、プラスチック製品がたくさん製造されているのだろう。また、汚水処理場内で伺った説明では、最終的に処理水は河川に流され、汚泥は加工して農場の肥料にする予定であるとのことであったが、敷地内の北部に位置する肥料工場は実験段階で操業はしてないらしい。悪臭による職員の負担を減らせるために、EM菌などを使うことも予定しているらしい。

○国家環境保護局・日中友好環境保護センター
 中国は現在高度経済成長の真っ直中にある。それは日本の経済成長よりもさらに激しいものであるという。こうした状況から多くの環境問題が発生している。中国中央教育科学研究所名誉学術委員の金世柏氏も1996年の冬に行われた「国際シンポジウム'96」の講演の中で、現在中国では「環境問題の顕在化や環境教育の重要性が指摘されている」と述べておられる(「国際シンポジウム'96プログラム」より)。
 中国の環境問題は日本のそれよりも規模が大きい。話によると原因は不明であるが大河で有名な揚子江の水が数カ月にわたって枯渇し、これが気候変動によるものであるという。また、郷鎮企業による環境破壊も深刻なようである。従って環境保護も国家規模で行わなければならない。国家環境保護局は日本の環境庁と同様の機関で、局の仕事と働きを説明していただいた広報局長も、環境問題の深刻さを強調されていた。
 日中友好環境保護センターは北京の北西に位置し、数年前に日本の援助によって作られた機関で、中国全土の環境保護や、特に環境教育の指導に力を入れていた。センター内は様々な部署に分かれていて、センター所有のテレビ・スタジオもあった。ここを案内して下さった賈氏によると、このスタジオで作られた教育番組は一般の放送局からも放送されているようであった。このような環境保護活動や環境教育が中国全土に広がることによって高度経済成長に伴う環境問題の解決に役立つことは間違いないだろう。

○北京大学表敬訪問
 北京大学は中国の最高学府であり学問の中心でもある。ここの学生や研究者は将来の中国を担っていく立場にある。私たちは1996年には都市と環境学部の地理教室を訪問し、1997年には田 徳祥教授の研究室を訪問した。ここには田先生の人柄にひかれて他学部からもたくさんの学生が集まり、様々な視点からの議論がおこなわれていた。とくに、この研究室には北京大学の学生・大学院生が組織する「北京大学都市と発展協会」のメンバーが集まっていた。田先生はこの協会の顧問もしておられ、このことも学生を集める要因のようであった。都市と発展協会は中国のサステイナブルな発展を目指し、環境問題の研究や環境保護、環境教育の普及に関心のある学生たちの主催する協会で、北京大学にある環境関係の団体の中でもかなり大きな規模をもった集まりのようである。定期的に会報を発行し、大会なども行っているとのことであった。その会長のWeiさんや事務局長のMaoさんも田先生の研究室でお会いし、話を伺うことができた。また、甲南大学の学生たちも北京大学の学生と若者同士で様々な議論をすることができたようである。そしてこのMaoさんともう一人のKimくんは、私たちと一緒に天津の教育研究所に同行し、その移動の途中では北京の若者の文化や現代人の生活などについて教えてもらった。

○廬溝橋・抗日記念博物館
 この二度にわたる中国研修旅行は私にとって単なる現地視察だけにとどまらない、何かもう一つの意味があった。それは最近、戦時中の日本と中国の暗い過去の事実を知るようになったからでもある。1996年の研修旅行では甲南大学に留学中の耿碩宇さんという方が同行された。耿さんは単に勉強をするためだけに留学されたのでなく、戦時中日本の秋田県で起こった中国人強制労働者による一斉蜂起事件、いわゆる「花岡事件」の戦後賠償訴訟の関係で日本にこられた方で、この数年の間にも政府機関や大手ゼネコンと幾度も交渉を重ねてきた。しかし、今回の旅行では抗日的な中国の人々と私たちの間に立って、日本人の中にもこうした歴史について真剣に学ぼうとする人がいること、憎むべきものは人間ではなく人間をこのように変えてしまう戦争であると、戦争を知らない若者の立場も考慮して接してくださった。また1996年の訪中時には中国語が話せない私たちの通訳もしていただき、みんな本当にありがたく思っていた。
 戦時中の悲惨な状況を伝える写真や資料は、現在ではほとんど失われてしまったが、そのほんの一部である残存資料を見るだけでも、あのとき、いったい何が行われたのか、人間がいかに残酷であるか、戦争というものがいかに恐ろしいものか、ということを知ることができる。廬溝橋の抗日記念博物館にもいくつかの資料が展示されていたが、それはまさに「地獄」の風景以外のなにものでもなかった。
 現代の若者は北京大学の学生であってもそのような戦争の話は、よほどのことがないかぎり口にすることはない。ところがいったん、私たちがそのことについて訪ねると、彼らは日本人の大学生よりもはるかに真剣にそのことについて考えていることがよく分かる。それとは対照的に日本人の若者は何も知らないし、何も教えられていないということが明らかになる。これはやはり戦後の日本の教育制度の誤りであり、さらにこのことがよけいに日中友好の妨げになっているといえるのかもしれない。しかし、将来の日中の友好について考えるとき、もうお互いがお互いを憎み合うという関係は終わらせなければならない。このとき先ほどの耿さんのような考え方、つまり「憎むべきは相手の国の人間ではなく、人間をこのように変貌させてしまう『戦争』なのである」ということに気づかなければならないのではないだろうか。だからこそ、私たちは友好を深め、二度とあのようなことが起こらないようにしなければならないのである。そのためにはやはり、ただ覆い隠すのではなく、正しい歴史の事実を子どもたちに伝えていかなければならないし、そして、両国の未来を背負ってたつ若者がもっと真剣にこのことについて考え、語り合わなければならないのではないだろうか。ただ、中国訪問の時にお互い若者同士として友好を深め合う学生たちの姿を見ていると、そのような関係がきっと作れるのではないかと思えてならない。そして同時に、そのような姿を見て、彼らが日本と中国の「良い」関係を作っていってほしいと心から願わずにはおられない。

さいごに
 二度の訪中は、私にとっていくつかの大きな成果があった。それは第一には、高度経済成長にある中国が環境破壊や環境問題に注意を払い、環境保護や環境教育にとても大きな関心をよせているという事実が分かったことである。訪れた様々な機関では、それはまだ発展段階なのかもしれないが、けれども、環境問題に関する多くの研究がなされ、さらにそれについての実践的な行動が行われていたという点である。このことから、少なくとも中国は日本と同じ経済発展の仕方、つまり環境を破壊してでも経済を最優先するということはないだろう。
 そして第二は、田先生や金先生のように日中の友好ということを、真剣に願っている人が中国の人の中にもいるということが分かったという点である。しかし、そのためには私たちはもっと日中の歴史を学ばなければならないし、それがあって初めて本当の意味での友好が築かれるのではないだろうか。
 最後に、この研修旅行を通じて田先生や金先生、賈氏のような素晴らしい人物に会えたこと、そしてWeiさんやMaoさん、Liさん、Kimくんという友人ができたことは、私にとって最大の成果であったということができるだろう。
 最後になりましたが、この合宿を運営するうえで方々走り回って苦労されたゼミ幹事の方々に感謝したいと思います。そして、このようなすばらしい研修合宿を企画・実現して下さった甲南大学文学部谷口文章教授に心から感謝の意を表したいと思います。

将来における日中交流の課題


甲南大学 文学部 研究生 瀬戸口優子


 中国で一番初めに感じた事は、空間の広さであった。それは、道路の幅の広さであり、見上げた時の空の大きさであり、建物の存在感の強さといえる。とりわけ近代的な建物に関しては、一つ一つの規模を見てみると、日本と中国はほぼ同規模であるが、日本の大阪にある密集したビル群を、中国の国土に広げるとその存在感がまるで違う。広い国土に相応し、自己主張をして立っている姿には、視覚で訴えかけてくるぶん、素直に感動する。そして、もう一つ付け加えたいのが、夜明けにホテルの部屋の窓から見た貨物列車の長さである。遠目であったけれども、初めの車両から終りまで、車庫から出てくる時間を計ったら優に25分以上もかかっているのだ。初めは、ほんの好奇心で見ていた。10分経過したとき、いつになったらこの貨物列車の最後尾が出てくるのかと思った。更に20分経過する頃になると、地平線に向かって真っ直ぐにのびたレ−ルの先の先頭車両が、朝もやに消えていった。消えるほどの長さを持つ貨物列車を見るのは初めてである。黄金色の朝もやの中に車体が、一台続けてまた一台、ゆっくりと動いていく。今まで地平線を見たことがない私にとって、まさに中国の空間の広がりを感じた象徴的な出来事であった。
 最初の一日目、中国地質博物館で涙が出るほど嬉しいことがあった。これだけは個人的な好奇心を全面に押し出していいたい。それは始祖鳥の化石である。体長は、羽を広げれば5、60cm、赤子よりも少し大きいぐらいである。初めはどこが頭でどこが羽か分からなかったが、館長から説明を受けて具体的な形が見えだした時の興奮といったらなかった。凄い!素晴らしい!どの言葉を重ねてもこの興奮をいい表せない。しかも写真撮影の許可もいただいた。さらに従来発見されてきた始祖鳥よりも以前に生息していたとみられる鳥とそのヒナの化石を見せていただいた。これを勝手に始々祖鳥と呼ぶことにする。始々祖鳥は始祖鳥と比べて体長が半分ぐらいである。羽の毛一本一本、眼も鼻も口もつぶさに見える。そして、始々祖鳥には鳥の始めに相応した一つの特徴があった。羽の骨の一つ目の関節に手があるのだ。使用方法を聞くと、その手を使って木によじ登り高い所まで上って飛び出し、隣りの木に飛び移るのではないかという返答があった。モモンガのような飛行方法をあてはめていただきたい。「翔ぶ」というよりは「飛ぶ」という感じであろう。それは予想どおりであったが、問題は何のためにそんな方法をとったのかということだ。環境の変化によって摂食方法が変わったためか、捕食者からの安全を求めてのことか、後々考えて見れば即座に湧いてきたはずの質問だったが、この時ばかりは写真を撮ることに熱中してしまった。そして特筆すべき事はその保存状態だ。素晴らしく良好で、鳥の表情まで見えそうである。その理由を聞くと、泥炭層に埋まっており普通よりも遅いスピ−ドで腐食しため、石膏の型抜きをしたような状態で取り出せたという。他にも周囲の環境を質問したが、まだ調査中とのことだった。湿地帯は年月をかけて泥炭層になる。アイルランドの泥炭人のように、まるで生きているかのような状態で発掘される場合がある。それは、他にも丹念に探せば違う化石が見つかるかもしれないし、ひょっとすると、花粉分析を用いれば、生息植物から気候が割り出されるかもしれない。そうすればより具体的にその時代の環境が想像ができる。何とも楽しみな話である。
 そして、次に感じたのは、人間味である。北京大学生や院生との個人レベルでの異文化交流である。何を言えばいいのか、どんな態度をとったらいいのか、お互いに心配りをしながら、適度な距離を感覚ではかりつつ、普段の生活に関する質問や、今何に興味があるのか、知ってる日本語、知ってる中国語など、ほぼ同世代の文化の相違を聞くのは面白かった。特に、お互い漢字という表意文字文化を持っておりながら、交わした言葉が英語だというのも面白かった。
 今回は残念ながら時間が少なく、また私の語学力不足も手伝って出席した全ての学生とあまりじっくりと話すことができなかった。とはいうものの谷口先生の授業を通訳を介して一緒になって聞き、先生の質問に北京大学生も答える。大学構内を一緒に歩き、話をしながら夕食を食べ、北京大学側が主催してくれた歓迎会で楽しみ、同じ時間を共に過したことは非常に意義がある。初回はまず互いの顔合わせである。二度三度顔合わせを繰り返しながら一歩前に踏み込んだ理解を進めていきたい。そしてそのためには、継続が重要になる。さらに語学の必要性を痛切に感じる。というのは、私の語学力のなさは明らかだった。最初の顔合わせは相手の好意に甘えても、二度目まで甘えるわけにはいかない。やはり、この交流を継続していきたいと思う以上、意思疎通出来るレベルの語学力が必要である。これは、中国から帰ってからの私の課題になった。
 そしてもう一つ時間が少なく残念に思ったのは、日本の無償資金協力で設立された日中友好環境保全センタ−の訪問であった。特筆すべきことは、世界の環境汚染の状況や、デ−タが一手に集められているというワ−クステ−ションと、それをフィ−ドバックするための放送設備である。地球規模の環境破壊が叫ばれている中で短期的、長期的な対策をたて、適切な判断を下し実行していくために、情報収集は大切な事だ。それに年齢を感じさせないくらいパワフルな全浩先生の熱意を持った説明では、今の中国国内での自然破壊や汚染状況の進み具合を伺い知ることができた。時間があれば、もっと説明を聞きたかった。そして私もそれが理解できるように勉強して備えておくことを二つ目の課題とした。
 現在、地球規模の環境汚染が広がっている。一国内にとどまらず、国境を越えて汚染が広がっている。問題なのは、加害者が被害者であり、被害者もまた加害者であるという構図である。両者は分けることはできず、利益優先の経済発展を続ければ、その構図に拍車をかけてしまう。止めるのは今であり、自己中心的で人間性の欠けた時代はここで終わりにしたい。
 日本では高度経済発展中の公害から始まって現在では環境ホルモン、農薬汚染、生活排水からくる水質汚染、ごみ問題など数え切れないほどの環境破壊が同時に進行している。今日の中国では急速に経済発展をおこなっていると聞いているが、日本や世界のこの発展のもたらした被害をふまえ未来のことを考えて、物理的にも精神的にもお互いに健全な発展をしていきたい。

中国は今


甲南大学 文学部 三回生 嶋本 春恵


 中国。これは私の初めての海外旅行になったのですが、この研修旅行はあらゆる面で私にとって印象深いものとなりました。8泊9日、毎日が充実していたので1日がとても長く感じられ、その日の終わりにベッドに入るときには満足感いっぱいで、心身共にリラックスして眠ったのを覚えています。私はこの旅行の幹事を務めさせてもらいましたが、一つの何らかの計画を立てて実行することはとても大変であると強く感じました。まして、中身の濃い内容にするにはそれだけ時間も要するし、また、多くの人を動かすことにもなります。今回の旅行の内容に関しては、私の考えで決められる範囲でもなかったのでほとんど携わらなかったのですが、谷口先生と中国でお世話になる先生が何度もコンタクトを取り続けて下さったからこそ、旅行の成功があったと思います。
 中国では北京市内にある様々な施設、例えば天津市教育科学院、北京大学、そして中日友好環境保護中心などを訪問したのですが、その中でも私が最も印象深く、また影響を受けたのは、北京大学の学生との交流です。日本語混じりの片言の英語で会話をし、通じないところもありましたが、すぐに仲良くなることができました。ただ、北京大学の学生と交流していて私が少しショックを感じた、というよりも、私自身情けないと感じたことがあります。それは、何の勉強をしているのかと専門科目を問われて答えたのはいいのですが、具体的にそれがどういったもので、何故その勉強をしているのか、と問われるとはっきりと言えなかったということです。その時私は、私を含める日本の学生のほとんどは学問を学ぼうと思って大学に来ていないことに気づきました。では、「一体何をするために大学に来ているのだろう?」という疑問が頭をよぎりました。学問だけが生きる上の全てではないけれども、北京大学の学生をみていると何事にも一生懸命で、そうすることで自分の視野を広げ将来をしっかりと見つめているように感じられました。彼らと出会えたことはとても幸運だったと思いますし、自分を見つめる機会を与えられたという意味でも大変よかったと思います。また、北京大学の学生と、日中関係を考えるということで戦争の話をしました。中国の若者が戦争のこと、日本のことをどう思っているのか、そして逆に日本の若者もそれについてどう思っているのか。正直いって私はそれらの質問にとまどいを感じました。というのは、私自身戦争のことも今現在の日中両国の関係にしてもほとんど無知で意見を求められても答えようがなかったからです。それでも彼らは強く私たちに意見を求めてきました。結局、先生がその場をおさめてくださったのですが私は胸がつまる思いでした。今後、日中両国がうまく関係を結んでいくことを望むのであれば、歴史を知らないのは致命的なことではないのか、うまくやっていくには本当にお互いを理解した上で新しい関係を結んでいく必要があるのではないだろうか、と強く感じました。戦争の話の時は今までふんわりと軽い関係であった私たちの間に少し重い緊張が走りましたが、それらの会話をしたことにより、より深く関係を結べ、よかったと思います。
 その他、私たちは天津市教育科学院にて環境教育についての論議の場へ参加したり、中日友好環境保護中心という中国の環境問題の対処を主におこなう公的機関を訪問したりと、現在の中国における環境問題、また、それに対する中国の考え、動きなどに直接触れることができました。このような体験は私の中国や環境への知識を深め、地球規模で物事を捉え、考える上で必要な事例を示してくれました。この経験をしてからというもの、帰国した後も新聞を読むと中国の様子が気になり、また、常に叫ばれている大気汚染、地球温暖化など興味深く問題意識をもってみるようになりました。それにしても、中日友好環境保護中心で全浩先生がおっしゃっていましたが、揚子江の水が枯れたという話には驚きとショックを受けました。水が枯れるということは気候の様子がおかしくなっている証拠です。「人間環境論」の授業では深刻な砂漠化をむかえたニジェール川(アフリカ)とその周辺地域で生活している人々や動物達の苦難を取り上げたVTRをみましたが、近年、雨が降らないということで川は枯渇しきっているし、生活するために必要な野菜を育てる水もなく、村を捨てざるを得ない状況であるということでした。このようにアフリカでも中国でも、そして日本でも、雨が少ない、また一年を通して全体的に気温が高いなどと、気温における環境の変化が現れています。今、毎日のようにテレビで地球温暖化防止のための二酸化炭素削減を取り上げたニュースが放映されていますが、先進国である私達がまずそれらを深刻に捉え、しっかりと考えて行動に移していかなければ何もよくならないと思います。
 今回の旅行で中国の様々な所を訪れ、現地の人々の話を聞き、また実際に自然の中にも出ていくことで様々なことを感じ、考えさせられました。大学生の間にこのような体験ができたことはとても貴重だと思いますし、この体験で感じたこと考えたことは今後も忘れてはならないことです。そしてもっと自分の考えも深めていけたらと思います。

人間と環境−中国旅行を通じて−


甲南大学 文学部 三回生 森岡由美子


 私にとって初めての外国旅行、それが谷口ゼミでの夏合宿であり、中国旅行でした。私にとって未知の体験ばかりであったこの合宿の中から、最も印象に残った中国の環境問題という点について書こうと思います。
 中国に来てから6日目、そろそろ中国での生活にも慣れてきた頃、私達は松山自然保護区の見学に行きました。それまで北京や天津といった都会ばかりを見てきた私達にとって、中国といえば誰でも思い浮かべるような高い山々が連なる光景は、非常に新鮮に目に映りました。到着した所で、私達は誰も全く聞いていなかった山登りをすることになったのですが、そこで私達が見たものは、保護区には似つかわしくない大量の爆竹でした。けたたましく山にこだまする爆竹の音、そしてそれらを楽しんでいる中国の家族連れの人々。最初中国らしいなあと思った私でしたが、ここは自然保護区の山の中、ということを思い出すと腑に落ちない光景です。山を案内してくれている管理人さんによると、中国人はみんな爆竹好きだが、北京などの市内で爆竹の使用が一切禁止されたために、みんな郊外の山の中でしている、とのこと。谷口先生が更に、「日本では山の中で火を扱う事は禁止されている。それに出たゴミもどうするのか。」と尋ねられると、管理人さんは「大丈夫。」の一言。街で禁止されていることを郊外でする。このことは世界共通の発想と思われますが、ここが保護区であり、また爆竹やお菓子などのゴミが山のあちこちに落ちているのを見ていると、保護区であろうと気負わない、近所の山と同じに接する中国の人々のおおらかさ、逆に言うと有名無実化した保護区の姿が見られました。
 その後農村見学に行きましたが、私達が見せていただいた一家の人々は普段北京市内に住んでおり、休日には別荘であるこの家に戻る、ということでした。保護区にやってくる中国の観光客の人々もけっこう多く、それだけ中国の都会化が進んだということをあらわしているように思われました。
 北京での最後の日、私達は日中友好環境保全センターを訪問しました。そこで行われている大規模なプロジェクトや、中国の抱えている様々な環境問題を説明してもらっていると、私が思っていたよりもはるかに中国の環境問題に対する取り組みは進んでおり、また中国の環境問題が深刻化している事がわかりました。
 今までのことを総合して考えると、中国という国の「日本の後追い型」の現状を否定できない現実問題として私は感じました。「先進国の後追い型」であった高度成長期の日本。そして「日本の後追い型」である東アジアの国々。経済成長を優先させるあまりに、世界のあちこちで起こる悪循環。それは人間が越えられない壁なのでしょうか。
 私が思ったのは、中国にも前述のような自然を懐古し農村に憧憬する風潮があるのならば、日本のような田園風景などが惜しいという形で起こる「蝶よ花よ型」の民間レベルの自然保護運動が起こっても良いのではないか、ということです。中国でも日本の水俣病のような公害問題も起きているということなので、日本での、公害から自分達の生きていくための環境を守らなければならないとする「生活権擁護型」もしかりです。そういった民間レベルでの環境保護意識がもっと普及し、普遍化させることにより、人間中心的なものの見方も改善されるのではないでしょうか。
 前述の中国や日本、また世界中で見ることのできる典型的な人間の姿に、−自然を自分達の支配下におき、自分達の都合のままに改造し、またその結果としてできあがった都市に住むのに都合のいい時だけ自然が恋しくなるという人間の姿−があります。また、田舎にいて、田舎の都会化を望む人々、都会にいて田舎はそのままであってほしいと望む人々。両極とも思える両者の犯している同じ間違いは、自然が自分達の思い通りになると思っているということでしょう。そういった驕り高ぶった、人間中心主義的考えから、自分達は単に生態系の一員にすぎない、ということを自覚すること。そこからしか私達をとりまく環境問題は解決しない、私はそのように思います。
 今回の中国旅行は、普通の旅行ではできない体験が数多くでき、今まで遠い存在だったODA(政府開発援助)の実際に活動しているところを見ることもでき、非常に実りあるものだったと思います。私に残された課題は、この旅行で見聞したことを、これからの人生の中でどう生かすかということなのでしょう。

3、研修旅行運営後記

ああ、中国よ


嶋本 春恵


 8月15日、晴天の日、一行は関西国際空港に集合した。ほとんどのメンバーが初めての中国ということもあり、どんな旅行になるのか、ウキウキ、ワクワクとした心持ちでその日を迎えていた。さすがに、海外での研修旅行ということで遅刻者は出なかったが、飛行機の都合で一時間ほど出発が遅れた。やっと飛行機に乗り込み、いざ、出発!離陸直前はまるでジェットコースターに乗ってるみたい。私は楽しくって一人でキャッキャッ(猿やんけ)と騒いでいた。一方で近くにいたMさんは、飛行機事故で死ぬのはいやだと青ざめ悲壮な顔になっていたが、なんとか無事に北京空港へ到着した。こうして、我々の研修旅行は中国、北京で谷口先生との一か月ぶりの再会から始まったのである。
 北京に到着したその夜、我々は早速“中国”を身体で感じた。私達と一緒に食事をとろうと待ち望んでいた谷口先生と共に、ホテル近くの食事処に中国料理の火鍋を食べに行ったのだ。そこでは、出てくる物すべてが珍しい物ばかり。血がどろんとついた蛇の身には皆もさすがにびっくりしていた。(その時はウナギだと言って食べていたが、やはりあれは蛇である・・・) こうして、腹も満足、心も満足で一日目の夜は・・・・・・・・・・・・・更けていった。
 次の日、予定通り我々は中国一の大きさを誇る中国地質博物館で、貴重な化石を見た後、北京動物園にて昼食をとった。これもまた立派なご馳走で皆、とても満足したものである。ところが、私にはそれよりも印象に残っている物がある。それはレストランの前で売ってあったソフトクリームである。日本のものとは色も巻き方も違っていて、バイトで日ごろソフトクリームを巻いている私にとって、それはちょっとしたショックであったのだ。(そんなの誰も見てないって?)それはさておき、一行はつづいて今回の旅行メインのひとつである北京大学を訪れた。そこでは、谷口先生による心の環境についての講義、そして学生同士の交流が温かい雰囲気の中で行われた。夜になるとカラオケが始まり、中国で大人気の日本の歌、「北国の春」の大合唱会が催された。こうして私達は、ほんの数時間の間に北京大学の学生ととても仲良くなったのである。3、4日目は、中国における環境教育のお話を伺うため、我々は北京を離れ、天津市教育科学院を訪れた。谷口先生と中国の先生方の貴重なお話を聞くことができ、私達にとっては良い勉強になったのではないだろうか。それにしても、休憩時にいただいた桃のなんと美味しかったことか。皆、あれほど柔らかく、また甘い桃は食べたことがないであろう。そうしてその夜は、北京大学の毛さん、金君とのお別れをかねて、ホテルの一室で交流会が開かれた。我々の体調が悪くなり出したのは、旅行4日目にもなる丁度この頃であった。人により症状が軽い、重いはあるにせよ、私もまる1日は気分が悪くダウンした。しかし、なぜかゼミ生のTさんだけは旅行中ずっと元気であったのだ。すばらしい、彼女は強い。私は彼女の体に賞賛を送りたい。
 今回の旅行では、普通なら観光することはないであろう自然保護区域や農村なども訪問した。北京市郊外のゴツゴツした山道を、広大な景色を眺めながら登っていく。途中、道端をヤギやアヒルがのんびりと散歩しているのを見た時には驚きと共に、心が和み、松山自然保護区域で高山植物を見て回り、また、自分たちが釣ったマスをその場で料理してもらった時には、心ウキウキと子供の頃に戻ったようであった。また、「仕切りのない」トイレに入って隣のおばさんにご挨拶、とてもおもしろかった。農村ではかわいらしい子供達とおばあさんがいて、快く家の中を見せて下さった。大きなお鍋と釜、それにひょうたんが干されてある。日本の農村も昔はきっと、このようであったのだろう。おばあさん、本当にありがとうございました。
 観光したのはこれらの他に、万里の長城、明の十三陵、サマーパレスと有名どころであったが、どれもさすがにすばらしかった。特に万里の長城を訪れた時は天気も良く、時間帯も遅かったので、帰る頃には日も傾き、観光客は私達だけになった。だから、まるで自分たちだけの所有物であるような気分になり、本当に気持ちよかった。そして、私達学生が谷口先生と別れを告げ、上海に向かう前々日の夜、京劇観賞に行った時にA氏の購入した胡弓の独奏会が、彼の呼びかけのもと開かれた。少々乱雑ではあったが、皆はその音色に体を揺らし、旅の疲れを解消(?)したものだ。しかし、陽気な気分になれて楽しかった。
 こうして、様々な出来事と中国の方々との出会いを通して、それぞれの思い出を胸に抱え、なんとか無事に旅行を終えることができた。これは、私達を快く迎えてくださった北京大学の方々、そして他のあらゆる所で出会った人々のおかげです。また、忙しい中、この旅行が成功するようにと中国の方と綿密に連絡をとり合ってくださった谷口先生、そして、研究生の皆さん、ゼミ生の皆さん、本当にありがとうございました。

III.第35回 ゼミナール海外研修旅行

−カ ナ ダ−

1、日程




第35回 ゼミナール海外研修旅行(カナダ)

10/3(金)   14:00      関西空港集合
          17:10      関空発→10:10SEATTLE着
          12:35      SEATTLE発→13:15VICTORIA着
            →THE BUTCHART GARDENS
            →BEACONHILL
10/4(土)   8:30      集合
            →GOLD STREAM PARK
            →NATIVE HERITAGE CENTRE
            →B.C FOREST MUSEUM
            →CHEMAINUS(壁画の街)
10/5(日)   10:30      議事堂集合
            →ALTERNATIVE FORESTORY DISPLAY−withESSA
10/6(月)   7:30      VICTORIA→9:00VANCOUVER
            →BLOEDEL CONSERVATORY
            →CAPILANO SUSPENSION BRIDGE
            (つり橋)
            →CAPILANO SALMON HATCHERY
            (魚の産卵所)
          18:00      VANCOUVER→19:30VICTORIA
10/7(火)(午前中:自由行動)
          16:30〜18:30   Prof. AlanDrengsonの講義
            "An Ecophilosophy Approach,The Deep Ecology
            Movement and Diverse Ecosophies"
10/8(水)(午前中:CRAGDARROCH城見学→COUNTRYSIDEで乗馬)
          16:30〜18:30   谷口先生の講義「日本の環境の事情」
10/9(木)   9:00      谷口先生帰国
            (全日自由行動/夜:B&Bにて、すきやきパーティ)
10/10(金)   6:00      VICTORIA発→6:40SEATTLE着
          12:35      SEATTLE発→(11日)13:15関西空港着

2、カナダ研修レポート

カナダ体験記


甲南大学 文学部 四回生 松本 剛知


 今回のカナダへのゼミ旅行はいろいろな意味で大変よい体験になりました。何よりも嬉しかったのは、久しぶりに大自然の中にとけ込む機会が持てたということです。初日に行ったブッチャードガーデンは作られた自然でしたが、その美しさには「感動」の一言でした。正直にいって、実際に見るまで私は日本の庭園と何が違うのだろう、似たようなものだろうと思っていました。しかし庭園の中に入り少し歩くと、すぐにそれが間違っていたことに気づきました。カナダの庭園は、日本のそれとは違う雰囲気を持っているのです。何といっても花が美しかったです。どちらかというと日本の庭園は木と石の二つの色で構成されていることが多いと思うのですが、ブッチャードガーデンはそれに様々な花の色がプラスされており、まさに外国の庭園を感じることができました。一つ気になったのが、ブッチャードガーデン内の日本庭園です。雰囲気は出ているのですが、どことなく奇妙な違和感を感じたのです。やはりそれぞれの国の庭園を見るなら、それぞれの国で見るのが一番だと感じました。
 ヴィクトリアの町に着き、それぞれB&Bに向かいましたが、町並みがよかったです。何かと日本と比べてしまうのですが、日本のそれよりゆったりとしていて統一感があり異国情緒を強く感じました。私の泊まったB&Bはエドワーディンというところだったのですが、迎えてくれたホストの方は、大変感じのいい夫婦でしたし、部屋も実にかわいらしい部屋で、言う事なしでした。
 二日目も雨の中の出発でしたが、ゴールドストリーム公園は、雨でもすばらしい場所でした。道路のすぐ横にあのような原生林が広がっているのは驚きでした。私は山の上には登らず、川沿いを歩いていき、川の水が湧き出ているところまで行きました。そのあたりはシダが生い茂り、苔で覆い尽くされた枯れた倒木があり、それはすばらしく幻想的で、神秘的な光景でした。さらに私は生まれて初めて野生のリスというものと触れ合うことができました。野生といってもだいぶ人慣れしているようで、手を差し伸べ口笛を吹くとすぐ間近まで近寄ってきました。
 ダンカンでのインディアンの方々との交流も思い出深いものでした。一番印象に残っているのは彼らとしたゲームです。二本の棒を両手に一本ずつもち、白い線がはいってるのはどちらかというのを当てる単純な内容でしたが、知らぬ間に白熱していました。久しぶりに童心に返った感じがしました。そして、驚いたのはトーテム・ポールという呼び名が正式名称ではなく、“ポール”というのが正しいということを知らされたときです。おそらくゼミ生全員が知らなかったと思います。本物の“ポール”を見て感じたのは、存在感です。何げなく建っているようで、その場に「いる」と強く感じました。一見でたらめに人の顔や動物の顔が並んでいるようですが、それぞれに深い意味があるということも初めて知りました。やはり実際にその場に行かなければ、その土地の文化は分からないと思いました。
 サーモンバーベキューでおなかも満たされて、気分がいい中でのフォレスト・ミュージアムの散歩は最高でした。突然の豪雨には驚かされましたが。林を抜け、芝生を歩き、線路を越えて湖を見る。時間はゆっくりと流れ、都会での生活をすっかり忘れさせてくれました。
 二日目の最後を飾る壁画の町シュメイナスはおもしろい町だと思いました。壁画により町を活性化するアイデアを考えた人はすごいと思いました。見習いたいものです。
 さすがに三日目になると、B&Bでの朝食にも慣れてきました。私たちの宿の朝食は、かなり甘いものがドーンと出てくるのです。朝からケーキを食べるなど、日本では思いつかないことです。文化の違いというやつですね。
 この日の、オルターナティヴ・ディスプレーは滅多にできない体験でした。一本の木を切るのに、木に感謝をし、抱き締めてお祈りをする。なんだか訳の分からない行為だと思ってみていましたが、気づかないうちにその場の雰囲気に入り込んでいました。特に、アンナさんのお話しは言葉が違っていても十分にその意思を感じ取ることができました。木を切り倒したときのみんなの反応は様々でした。その迫力に歓声をあげる人もいれば、一つの命が失われたことに悲しみを感じ黙する人もいる。私はどちらかというと前者のほうだったのですが、その時、倒れた木の切断面から滲み出ている樹液に温かみを感じたのです。初めて私は、この木は生きていたんだということを実感しました。すると、私の中に木を切るときにはなかった怒りが芽生えてきました。つまり、私は今まで木を一つの命として考えていなかったのです。確かに、木は話もしないし動きもしません。しかし、地中の水を吸い上げ、酸素を作り出し呼吸しているのです。間違いなく生きているわけです。木を物としてではなく生物として認識させられた出来事でした。
 四日目のバンクーバーは観光気分で楽しめました。しかし、スタンレーパークの大きさには驚きでした。ほんの一部しか歩けなかったのは、本当に残念です。いつかまた公園内全部を回ってみたいですね。次に行った吊り橋では、はしゃがせていただきました。あまりにはしゃぎ過ぎて、横を通りかかった白人のご婦人ににらまれてしまいました。
 五日目になり、久しぶりのアラン先生との対面でした。ヴィクトリア大学での講義はいい記念になりました。しかし、私の英語の未熟さのため内容を詳しく理解することができませんでした。英語の重要さを感じた一面でした。
 最後の二日間、四回生有志で行ったバンクーバーでは、雨のお陰でほとんど何もできませんでした。カナダの都会の面も感じることができてよかったとは思いますが。
 とにかくカナダの天気は移り変わりが激しかったです。朝晴れていると思えば昼からは雨が降り、そしてまた晴れ間が見えたりする。毎日生活しているうちに、知らぬ間に慣れてはいましたが。カナダを知るにはまだまだ滞在期間が少なかったように思います。カナダといっても西部にほんの少ししか行ってないわけですし、もし機会があればもう一度カナダに行き、雄大な自然を体いっぱいに感じたいと思います。


カナダとの出会い


甲南大学 文学部 四回生 東 法子


 カナダを訪れる前から、ずっと私はカナダという土地に憧れを抱いていた。小学校からの愛読書、モンゴメリー『赤毛のアン』の故郷だからである。『赤毛のアン』の中には森や林、花、空などの自然の様子を細かに描写している箇所が多く見られ、そこを細かに読んでみるものの、やはり実際に見たことのない風景は想像しがたい。私の頭の中には面白みのない二次元的なアニメーションのような景色しか思い描けなかった。しかし、今ではそれよりはもっと実写的に思い描き想像することができる。やはり、それはカナダの空気をたくさん吸ったので何かが私の中に入りこんで今までに味わったことのない何かを記憶できたからだと思う。
 ヴィクトリア空港を後にし、バスの中から見える広々とした景色を目にして、長いフライトを経てやっと別の土地に辿り着いたんだという実感が沸いてきた。ダチョウ牧場も見るのは初めてで、目につくもの全てが新鮮でわくわくする。あいにく雨でブッチャードガーデンに着いても傘をささなければいけなかったけれども、その雨のせいできれいに手入れされている広い庭の植物が生き生きと元気そうであった。
 ヴィクトリアはイギリス色が強い街で、街中きれいにガーデニングされていてまるで絵画のような街だ。かわいいものが好きな私はすぐに気に入ってしまった。お世話になったB&Bのthe Edwardian Inn も絵本に出てくる家のようにかわいらしく、きれいでさっぱり気持ちよくインテリアが調度されている。お世話になったKlippenstein夫妻もとても親切な方たちで、毎朝の朝食は美味しくてボリュームがある。私は毎日夢の中にいるようにウキウキしていた。唯一「?」と思うときは、部屋の鏡を覗いて自分と背景のミスマッチに気づいたときである。
 カナダが本当に自然と共にあると感じるのは、街から車で少し離れるともう森に入ってしまうところである。また大きな木が並んでいる広い公園も珍しくはなく、木と共に生活している。朝の散歩もとても心地よく、冷たい空気に栄養があって体を元気にしてくれる。芝の朝露で足元が濡れても汚いとは感じず、むしろ気持ちよい。たいてい、道を行く人があいさつしてくれるので「Good morning」と何回も繰り返す。
 そんな環境で生活をしているからか、カナダの人々はとても穏やかで親切でフレンドリーだと感じた。私の下手な英語もいやな顔をせず聞こうとしてくれるし、皆笑顔で接してくれる。私は去年の夏をアメリカで過ごしたが、同じ英語を話す国でもやはりアメリカは甘えが通じにくいところがあると思う。英語がきちんと話せなければ変な顔をされたり、どうでもよい態度をされたり馬鹿にされたりするようなところがあった。でもカナダの人はまず相手を解ろうとしてくれているのではないかと思う。それはヴィクトリアという街が田舎で、沢山の観光客が訪れる街だからかもしれないし、カナダという国が多くの人種をバランスよく抱えている国だからかもしれない。しかし、とにかく私はヴィクトリアが大好きになった。
 オルターナティヴ・フォレストリーのデモンストレーションが今回のゼミ研修旅行のメインの一つであった。それは、クリアカットを防止する活動のデモンストレーションの集まりに参加したときのことだった。クリアカットという森林を丸々伐採してしまうことを止め、生態系を守りながら材木を資源としていく運動推進の集まりである。国土が狭いので植林をして、緑の資源を活用してきた日本では昔から珍しくないことだったので驚くことはなかったのだが。(ところが、今日では海外の発展途上国で日本企業がクリアカットをしていると思うと胸が痛いが・・・)私が衝撃を受けたのは、そのデモンストレーションでの木の切り方である。その所有者のアンナ・ウィルキンソン夫人は、切り倒す前の木の前で木をさすりながら思いを込めて話をした。「長い間太陽の光を受けた大きく立派な木だから、切り倒して材木になっても人間のために大いに役立つだろう」というようなことを話した。その後で、「今から伐採するのでこの木の将来を思って祈ってください」と言ったので、参加者たちが次々とその木をさすったり、抱きついたりしながら祈った。
 私はその木を見たときから何か言い表せない想いでいっぱいだった。その木には目印として色テープが巻かれていたが、「どうしてこんなに沢山ある木の中でこの木だけが切り倒されなければいけないのだろう」という納得のいかない気持ちであった。その木の事を想えば想うほどこの気持ちから離れられなかった。先生はしきりに前に出て祈りなさいと勧めてくださったけれども、切り倒すこと自体が人間の勝手であるため後ろめたさから解放されず、祈ることはとてもできなかった。私はよく木や花などに、動物に対するときのように「この子」と呼んだりする。そう呼んだ方が身近に感じられるからだ。人間以外のものに感情移入をしすぎて悲しくなってしまうのは、私のいけない癖だと思っている。しかし、このディスプレイは生態系を考える上で私に何かを残したと思う。
 カナダのよき思い出としてバンクーバーに行ったときに乗ったバスの運転手さんのBrianがいる。彼はフェリーの中で気さくに私たちに話しかけてくれた人だ。自由行動の日の予定を話しているときに色々相談にのってくれ、その日、僕はオフだから案内できると言ってくれた。「まだ知り合って間もないのにそんなにまで言ってくれるなんて、怪しいのでは?」とも初めは思ったが、私たちに近づいてもお得なことはそんなにないだろう、せいぜいパスポートくらいである。しかし日本に密入国するくらいであれば、アメリカに行った方が近いのではないだろうか?
 見学地にもついて来てくれて色々と説明してくれたり、沢山話しかけてくれたりした。家をアパートメントにしていてJTBの人などがいると言っていたので、恐らく日本人が好きなのだろう。でも彼は何よりもヴィクトリアが好きなのだと思う。彼はこう言った。「色々沢山の日本人をバスに乗せて案内するけれども、みんなすぐに帰ってしまう。他にも沢山きれいな所があるのに、そこを知ってもらいたいのに見ずに帰ってしまう。でも君たちは何日かいるからこれは僕にとってはチャンスだと思った」と。そんなにまで自分の住んでる所を誇りに思えるなんてとても羨ましい気がした。私は今自分の住んでいるところをそんなふうに誇れるかといったら何か卑屈になってできない。日本という国も同様だ。
 学生生活最後の年にカナダに行くことができてよかったと思う。シアトルで、はぐれて困ってしまったことも今ではよい思い出である。一か所のB&Bに落ち着いて滞在できたことも、カナダの生活にゆとりみたいなものを感じることができてとてもよかったと思う。一週間と少ししかいなかったからこそ、もっともっとカナダにいたいと思ったのかもしれないし、こんなにもまたカナダに行きたいと思うのかもしれない。できることなら飽きるまでカナダで住んでみたいと思う。Brianは勉強や仕事や新婚旅行などでこちらにくることがあったら必ず連絡するようにといってくれたので、是非また行きたい。そう思っていればきっと社会人になってからも仕事にはりがあるのではないかと思う。今度行くときまでにはもっと沢山の人と沢山コミュニケーションをとれるように英会話をもっと勉強しなくてはと思っている。昨日、若いころからずっとフランス語を勉強していて60才近くになってフランスに留学した女性の話を読んだ。素敵だと思う。今読んでる本は『赤毛のアン』に憧れてP.E.I.(プリンスエドワード アイランド)に行く夢をやっと果たした女性の話だけれども、そこでも唯一頼りになるのは自分の英語力だけだったと書いている。「継続は力なり」は私の不得意分野だけれども頑張り過ぎないよう、社会に出ても楽しみながらコツコツと英語の勉強をして行けたらいいなと考えている。

人と自然との共生


甲南大学 文学部 三回生 朝倉 円香


 今回の中国とカナダにおける谷口ゼミ研修旅行において、私はカナダの方に参加しました。一度カナダへは行ったことがあるので、今回は私にとって二度目のカナダ訪問となりました。二回目とは言ってもカナダはとても広い国ですし、たかだか一週間ほどの滞在で、しかもヴィクトリアだけで、「こんな国だ。」とは言えないのでしょうが、少なくとも日本と比較してみたときのカナダの自然や、人々の自然、環境に対する考え方、接し方など、私の感じた範囲で述べていきたいと思います。
 初日、私たちはブッチャードガーデンへいく予定でした。しかし、事前に谷口先生から「この時期、カナダはとても寒くて雨がよく降る。」という情報が知らされていたので、私はそんな時期に花なんて咲くのだろうかと、とても不思議に思っていました。ところがそこへいってみると、春や夏に比べて少ないとはいうものの、様々な色とりどりの花が咲き乱れているではありませんか。私たちは本当に驚きました。10月の初めでしたが、私たちはすでにセーターを二枚着てもまだ寒いと感じるほどで、コートが欲しいとさえ思っていたのです。そしてヴィクトリアの街中では芝生が青々と茂っており、私は思わず、「ここの芝生は年中枯れないのですか。」と聞いてしまうほど驚いてしまいました。このことは、私の体や意識の中に、日本の四季の変化というものがいかにしっかりと馴染んでいるか、「冬」というものの我々日本人の概念がいかに当たり前のようにインプットされているか、ということをはっきりと実感させてくれました。
 そして次に驚いたのは、街全体がとてもきれいでゴミがほとんど落ちていないということでした。また、リサイクルのシステムがかなり浸透していること、もちろん店で売られているハガキ、紙袋、その他のペーパー類のほとんどにリサイクルペーパーが利用されており、週のうち何日かは缶や瓶や新聞、雑誌などリサイクルできる不要品の回収がゴミの回収と同じように行われていること。このことは人々の「生活環境」への意識レベルの高さを感じさせました。さらに、日本でも最近やっと整いつつありますが、カナダではもうだいぶ前から車椅子用のあらゆる施設が完備しており、そこではすべての様々な立場の市民が求める、より良い「生活環境」づくりへの努力が感じられました。
 また、滞在中たまたま行われていた、新しい森林伐採の方法である「オルターナティヴ・フォレストリー」の見学会に運良く参加することができ、これは私たちにとって、とても貴重な経験となりました。これは、従来の一定の地域をすべて刈り取ってしまう「クリア・カッティング」と違い、まず森林の生態系を重視したうえで、できるだけ自然への負担を少なくして、人間が必要な分だけの木材を確保するという方法です。しかも私は当たり前のように、「植林」を同時にするものだとばかり思っていたのですが、そうではなくて、「オルターナティヴ・フォレストリー」では、木々が生えるのも成長していくのも、自然の手に委ねているのだそうです。つまり、人間が意図的に森林の生態系をコントロールするのではなく、時々人間が手助けをしたり、その恩恵を受けたりするという、自然中心的な考え方が、前提にされているのです。この考え方こそが本当の意味での「人間と自然との共存」であり、理想的な関係であるのではないでしょうか。
 しかし、このダイナミックな素晴らしい考え方は、果たして我々の住む日本でも浸透していくことが可能でしょうか。その考え方や方法は、カナダの雄大で厳しい自然と、その中で培われてきた風土に大きく関係しているということは、言うまでもありません。日本のような小さな国で、植林もせずに勝手に木々が育っていくのを待っていれば、その前に、山は裸になってしまうかもしれません。なぜなら、日本は土地が狭い上に人口密度が高く、植林をせずに必要な分の木材を手に入れようとすると、生えて育ってくる木の数よりも、刈り取る分の方が多くなってしまう。つまりカナダのように広大な自然がゆったりと構えていてくれるわけではないのです。我々日本人にとっては、木が育つ時間はあまりにも長く、とても我々の需要には追いつかないでしょう。もちろん、資源を節約するという意味でも、伐採を減らせばよいわけですが、現実には今すぐには無理なことです。カナダの広大な自然の中では「オルターナティヴ・フォレストリー」は、理想的な人間と自然の関わり方のモデルの一つの素晴らしい例となるでしょう。そこで我々は、日本の環境または風土や日本人の文化や生活習慣を考慮した上で、新しい自然との共存の仕方、関わり方を考え出していかなければならないのです。そして、もちろん我々日本人の生活スタイルや、世界観、人生観もまた、日本の風土にあったものに戻していく必要があるのではないでしょうか。そのためには、日本でも環境に対する意識のレベルをもっと上げていかねばなりません。これらを克服していくために、私は強く「環境教育」の必要性を感じずにいられませんでした。
 また今回の旅行では、B&Bの家族の方々がとても親切に接してくださり、本当に快適に数日間を過ごすことができました。ご主人も奥さんもとても優しく、毎朝おいしい朝食を私たちに提供してくださいました。最後の日に、私たちはお礼(?)に「すき焼き」をご馳走したのですが、果たしてどんな感じがしたのでしょうか。お二人の子どもの、とってもかわいいジェイコブは、私たちが教えた日本語を驚くほど早く覚え、何度も何度も繰り返してくれて、子どもの頭の柔軟さ、素直さに感動してしまいました。大人たちもこれほど柔軟な考え方で環境問題に取り組めば、解決するのももっと簡単なんだろうなと感じました。子どもたちにとって、「国境」や「利害」というものがたいして大きな意味を持たないように、我々も目先のことだけを考えていてはいけない、もっと大きな視野で物事を考えていかなければならない、言葉では簡単にいえるけど、普段は忘れてしまっているような、そんな大事なことを彼は私に気づかせてくれました。

オルターナティヴ・フォレストリーの大きな示唆

甲南大学 文学部 三回生 渡辺 理和


 10月3日から11日までの過密スケジュールのゼミ合宿の中で、人との出会い、自然とのふれあいが多かった分、様々な想いや風景が脳裏をかすめていく。この8日間のうちでも、私が特に深く感銘を受けたのが、10月5日、日曜日にオルターナティヴ・フォレストリー・ディスプレイのプログラムに参加したことであった。alternativeとは、とってかわるもの、(2つ以上のうちの)選択等の意味を持つ。このオルターナティヴ・フォレストリー・ディスプレイは、木々の種の多様性と年代の多様性を充分に考慮に置いた上で、人間が自然の生態系と関わりを持っていく場合に、人間も生態系の一部分であることを自覚し、自然といかに調和を保ちながら共生していくかということについての大きな示唆を与えてくれるプログラムであった。こうした自然保護、環境保全のプログラムが一般市民に開かれていること、日曜日に行われるこれらのプログラムに様々の年代の人々が参加すること、そして、グラス・ルーツによる一般市民への働きかけが大きな挺子となっていること。これらのことが私には新たな驚きであるとともに、こういった自然・環境に対する意識の高まりが日本においてはいかに欠落しており、浸透していないかを実感した。
 オルターナティヴ・フォレストリー・ディスプレイが行われたのは、何十年、何百年、何千年…という違う年代の多種多様な木々が生い茂り、私たちには測り知れない程の様々な生態が微妙なバランスの上に悠然と生きているような原生林においておこなわれた。生命臭に満ちあふれ、今にも生きとし生けるものの生命の鼓動が聞こえてきそうな原生林で、私たちは、アンナ・ウィルキンソン夫人の話を聞き、一本の木を切り倒す実演を目の当たりにした。切り倒される木は次のように慎重に選ばれた。木の年代、種を考慮にいれるのはもちろんのこと、倒れる時のことも考慮した上で厳選される。また木の倒れる方向と、その周辺に生える木の相互の角度、カーブをも考慮し、一本の木が実際に切り倒された時に、犠牲になる木がなるべく少ないように等の配慮を踏まえた上で、どの木が切り倒されるかが決められた。チェインソーの激しいうなりが静かな森に響き、その刃がいとも簡単に木にくいこみ、あっという間に木の真ん中辺りまで到達してしまった。何十年、何百年…と生命を育んだ木もチェインソー等の人間の生み出した機械や技術の前では、あまりにもあっさりと、その生命を奪われてしまうのに私は驚いた。チェインソーといっても、一見したところではのこぎりに電力を加えただけ、という印象を受けた私にとってチェインソーの威力はかなり意外なものであった。それと同時に、便利さをひたすら追求した文明社会の産物である科学や技術に対して脅威を感じた。樹齢120年の木が大地に倒れる瞬間、静かな原生林の大地に、わずかな一瞬であったが、全ての事物が動いたような、そして心の内にまで響くような衝撃を感じた。それは、一本の木の生命が一応の終焉を迎えるとともに、その木を取り巻いていた生態系にも変化が生じ、また、新たなる転機へのつながりでもあるように感じた。切り倒された木の年輪からは、生の匂いが漂っている感じで、はちみつ色の樹液が流れていたのも非常に印象的だった。
 近年の日本では、徐々に自然保護や環境問題に対しての意識が見直されつつあるが、クリアーカット(乱伐)は依然、公に行われ続けている。1987年の「総合保養地域整備法(リゾート法)」の設置により、相次いだゴルフ場の建設ラッシュ。最近では、新興住宅地の開発に伴うクリアーカット(乱伐)が後を絶たない。
 最近、実家に帰省した時、いつでもこんもりと木々の生い茂っていた山が2つ消えていることに気づいた。山の木々はすべて切り倒され平地にならされており、きれいに区画整理され、さらに広い舗装道路まで造られ住宅地として売り出され始めていた。都市部のベッド・タウン化の波が次第に押し寄せ、年代の多様性、種の多様性の度外視はもちろんのこと、生態系のことも何ら配慮されることなくクリアーカット(乱伐)は行われる。クリアーカット(乱伐)によって山がなくなった後、しばらくの間その近くの国道には行き場のなくなったタヌキ等の動物の死骸が絶えなかった。ひどいことだと思う。何よりも、その地域の住民でありながら、こうした事柄に対して無関心でいられた自分が恐いとも思う。
 あとで、谷口先生から聞いた話であるが、木が切り倒される前にアンナ・ウィルキンソン夫人がこれから切り倒す木に対して「みなさん、この木のスピリットに対してお祈りして下さい。」とおっしゃられたそうだ。多様な生命が生きているこの地球上において、私たちは、世の中の事物すべてに尊いスピリットが宿っていることを忘れてはいけないと思う。そして、人間はこれらのスピリットを冒涜する権利も、浅はかな考えからむやみに乱用する権利も持ち得ないのだということを深く自覚すべきであると強く感じた。
 現代、私たちは人間のみの視野に基づく価値尺度で欲望の中にどっぷりとつかり、貨幣等の物質の奴隷となり、犠牲にしてきたものは数知れない。開発と保全。難しいテーマではあるが、先生のおっしゃられるところの「等身大の欲望」の範囲で生きてゆけば、物質至上主義や人間中心主義におかれた今日の肥大化しすぎた文明社会のひずみも多少修正が効くのではないだろうか。

3、研修旅行運営後記

カナダ研修旅行を終えて


平沢真実子、平岡 永子


 昨年の中国旅行から国際的に活気づいてきた谷口ゼミ研修旅行では、恐れ多くも今年は谷口先生が客員教授として招かれた事にあやかり、中国、カナダ両国をそれぞれの希望者に分かれて旅しようという計画がどこからともなく出てきた。そして、そのどこからともなく出てきた計画は、様々な紆余曲折を経て現実化され、とうとう10月3日から11日の日程でカナダ研修旅行は実行されたのであった。幹事として夏休み前から計画を立てたり、そのころ中国におられた先生と打ち合わせをしたりと、旅行事前の準備は困難を極めた。現在手元にあるカナダでの大量の写真を目にしながらこうして旅行後記を書いていることが何か不思議な気持ちである。
 今回の旅行は例年のゼミ旅行とは一味違ったものであった。そもそも谷口先生が客員教授としてタイ、中国、カナダの三国を夏中まわられているところへ私たちゼミ生が飛び込んだのである。シアトル空港で迷子になりながらも、なんとか3日にヴィクトリアに到着した。当初の予定時間より1時間遅れて到着したものの、ガイドのシェーハーさんと共に谷口先生が笑顔で迎えて下さった(久しぶりにお会いした谷口先生は心なしか少しふくよかに見えました)。観光は17名もの大人数のために大型バスで移動。ブッチャード・ガーデン、フォレスト・ミュージアム、壁画の街シュメイナスなどの観光名所はもちろんのこと、魚の産卵所へも赴いた。また、日頃ゼミにおいて学んでいる環境や風土についてフィールド体験として自然環境と触れ合う機会が多い旅でもあった。カナダの原生自然(ウィルダネス)での散歩や山登り、また現地の人々と共に自然の中でオルターナティヴ・フォレストリー・ディスプレイに参加することもできた。
 カナダに着いて2日目には、谷口先生を含めた数名が、夕飯後あるバーに立ち寄った。そのバーにはカントリー調の曲をギターで弾き語る二人の男性がいた。お酒もほどよく入り、私たちはいい気分で彼らに次々とリクエストした。異国の地で旅の疲れを癒そうと、ほろ酔い気分で楽しいひとときを過ごしていると、そのバーの店員らしきリンダという女性が、A氏にしきりにウインクしていた。そして彼女はA氏に抱き着き、踊りだす有り様。A氏はたじたじになりながらも、一人にやにやしだし踊ったり、ギターを借りてきて弾いたり即興したりする始末。こうしてカナダでの第二夜は更けていった。ところ変わったところで谷口ゼミの夜は果てしなく、ものともしないことがよく分かった。
 この研修旅行において特筆すべきことは、今回の旅行のメインでもあった、ヴィクトリア大学でのアラン・ドレングソン先生、谷口先生の講義であった。アラン先生は、環境倫理とディープ・エコロジー運動におけるこれまでの経緯とこれからの展望について、その運動の創始者であり彼の師でもあるアルネ・ネス氏のスライドを織り交ぜながら講義された。谷口先生の講義では、ゼミでのフィールド活動などのスライドや、中国で撮ってこられた写真を使っていつもの口調で話しておられた。普段思いっきり関西弁しか使っていない私たちには、英語による講義はかなり辛い試練となったのは言うまでもない。講義の後、私たちは交流会をかねて先生方とともに地中海料理を食べにいった。和やかな雰囲気の中で、つたない英語を駆使し先生方や学生、哲学者など様々な方々といろいろな話をすることができた。これらはゼミ生それぞれに得るものの多い体験となった。
 最終日、私たちはフリータイムを乗馬をして過ごした。この企画は、カナダ滞在中にいろいろと私たちの世話をしてくれたブライアンの提案によって実現した。カナダ研修旅行を語るうえで彼の存在は、欠かすことができない。悪天候の中、私たちの乗馬体験のために彼はいろいろと骨をおりながらも交渉してくれた。雨の中での初めての乗馬は、貴重な経験となった。Kさんの乗った馬はWさんの馬を蹴るのみでなく、ガンを飛ばしまくり(Kさんは始終馬に謝っていた)、Hさんは落馬、Aさんの馬は始終屁をこきながら歩き、と盛りだくさんな内容で、私たちを驚かせ楽しませてくれた。人間も馬もいろんな性格があってとてもおもしろい。
 もう一点、普通の旅行とは一味違ったところとして宿泊先があげられる。当初は何の変哲もない街のホテルを予定していたが、谷口先生のご提案により急遽B&B(Bed & Breakfast)に変更となった。3つの宿泊先に分かれることになってはしまったが、ちいさなホームステイといった感じで、ホテルにはない家庭的な温かさがあり、つたない英語での交流には多くの笑いが生まれた。最終日には、お世話になったB&Bですきやきパーティをしたのだが、フライパンを駆使してのすきやきは意外とおいしく、良い思い出になった。
 この研修旅行では、お忙しい中、時間を割いて下さったアラン先生をはじめとするヴィクトリア大学の先生方、またガイドのシェーハーさん、運転手のブライアンなど、多くの方々にお世話になった。そして何よりも今回は谷口先生に公私にわたる叱咤激励とご指導をいただき、今回の研修旅行の成果を得ることができた。谷口先生、そしてお世話になったすべての人にこの場を借りてお礼を言いたいと思う。本当にありがとうございました。

IV.第36回 ゼミナール・フィールド研修合宿

1、日程




【第36回ゼミナール・フィールド研修合宿のお知らせ】
 雪もちらつく冬空の下、活動も滞りがちな今日このごろです。今年もまた、谷口研究室では「淡路島モンキーセンター」での実地研修を、下記の通り予定しております。3月18日より開催される国際シンポジウム'98「環境倫理と環境教育」・北京大学との学生会議の下準備を兼ねて、奇形ザル調査・見学を行いたく思います。食品汚染の度合いをフィールドを通して体験することで、自然環境、社会環境の実状を理解し、各自環境倫理の基盤を培うことをねらいとされたく存じます。
 寒い季節ではありますが、皆様ふるってぜひご参加下さい。
甲南大学 谷口研究室
平成9年12月27日

1.日時:    2月10日(火)〜2月11日(水)  ◎一泊二日
2.集合場所:  2月10日(火) 甲南大学正門前   8:00
3.費用:    12,000円(5,000円を前金として用意しておいて下さい。)
4.携帯品:着替 運動靴 常備薬 学生証 参加費 保険証のコピー 洗面用具 記録ノート 筆記用具
5.研修先:   淡路島モンキーセンター
         兵庫県洲本市畑田289   (0799)29−0112
6.参考文献:  中橋実『がんばれコータ』(長征社)
         河合雅雄『ニホンザルの生態』(河出文庫)
         伊谷純一郎『高崎山のサル』(講談社文庫)
7.スケジュール:1日目神戸市環境保健研究所(今井佐金吾先生)を見学し、その夜、学生会議発表の中      間発表を行い、2日目は早朝から奇形ザルの観察及び調査のため野山を駆け巡る予定。
8. 問い合わせ
幹事;浜田圭子    (0792)84−1859
   竹林由佳    (0797)62−5055
    谷口文章先生  (0771)23−9464

2、研修レポート

奇形ザルに学ぶこと


甲南大学 文学部 三回生 竹林 由佳


 私はこれまで谷口先生の授業の中で、淡路島モンキーセンターのサルたちのVTRや話を何度か見たり聞いたりしてきたが、それを今回は実際に見ることができた。
 淡路島のサルたちは全体的に穏やかな雰囲気で、のんびりとグルーミングをしていたり、うとうとと眠っているサルたちもいた。その中に、手足に障害をもった奇形ザルたちはいたわけだが、彼らは見つけるのが容易であるほど多かった。奇形の程度に差はあるものの、こんなにいていいものかと感じた。
 奇形ザルの発生の原因には、サルたちの食べている餌の中の農薬が一因として挙げられている。特に輸入穀物の中には毒性の強い農薬が使用されていることがあり、その残留性は非常に問題となっている。しかも、その農薬は日本で使用禁止だが海外では使用が許可されているものもある。たとえば、日本で生産した使用禁止の農薬を海外へ輸出し、それがいわゆるブーメラン現象となって、輸入産物の中にその農薬が薫蒸剤としてかけられ、また日本に戻ってくる。そうして輸入された小麦、大豆などは、サルの口に入り、サルの体内に残留、蓄積されてしまうのである。それは、また母から子へとへその緒を通じて次世代へとつながっていく。一代限りの問題では済まされない。奇形ザルの愛らしい動き、餌を食べる様子を見ると人々は心を打たれ、かわいそうに思うことだろう。しかし、ここで私たちが忘れてはならないのは、「なぜ、こんなにも奇形が発生するのか」という問題である。ここで餌付けされたサルたちが食べるものは私たち人間と同じものであり、そのために奇形が生じるといってもよいだろう。このことを私たちは真剣に受けとめる必要がある。私はここで実際に奇形ザルの発生率の多さを見て、本当に心から危機感と不安を感じた。決して「かわいそう」では済まされないことである。
 しかしまた、奇形ザルたちも含めて、淡路島のサルたちは普通に暮らしている。それは実に自然で理想的な福祉社会といえる。障害をもっていても疎外されることもなければ邪魔にされることもない。それどころか仲間同士でグルーミングをよくしていた。そこでは「障害」というかたちは浮き彫りになっておらず、とても良い風景であった。私たち人間の社会と比べればはるかに優しい社会である。
 こうしてみると、私たちが淡路島のサルから学ぶことは実に多い。人為的なものによる生態系の破壊があまりにも多い現在において、私たち人間にもその影響がいつ顕著にでてくるとも限らない。文明の発達の陰で、私たちの最も土台となるであろうところが崩れてきていることが、今回の淡路島モンキーセンターのサルたちを通じて私の中で少しずつ意識されるようになってきた。そうはいっても、そこで悲観的なところにとどまるのではなく、それではどうすればよいのだろうか、ということを考える前向きな姿勢をもつことにしようと私は思っている。人間社会と地球環境の次世代を支えるのは私たちだからである。

食の問題に関する「サルと人間の関わり」について


甲南大学 文学部 三回生 久山 美保


 2月10、11日、初めて訪れた淡路島は二日とも快晴に恵まれ、空と海の青さが印象的でした。その淡路島にあるモンキーセンターでは元気なサルたちに迎えられました。しかし注意して観察していると、驚くほど多くのサルたちの手足に奇形を見つけることができました。指がつながってグローブ状になってしまっている手を持つもの(合指)や、手のひら自体が2つに裂けているもの(裂手)、あるいは腕や足が全く見られないものなど種類は多岐にわたっていました。しかしそれらのサルたちも奇形のないサルに混ざってたくましく生きていました。センターの延原さん夫婦、中橋元所長さんの説明を聞くところによると他のサルたちは奇形のサルたちにエサを譲ったりすることもあるそうで、淡路モンキーセンターのサルたちの親和性の保たれている社会が伺えました。
 その後中橋所長さんの案内で、特に重度の障害を持って生まれてきたサルが隔離されている小屋を訪れました。そこにいた四肢奇形を持ったサルたちは手足が不自由なのと部屋が別々に分かれていることが原因なのか、グルーミングができずに皮膚を床にこすりつけていました。そのため、毛が抜けたり、肌が炎症を起こしたりしていました。これらのケージに入れられたサルたちは、先ほど観察していたサルの群れとは違い、元気がありません。サルの群れに混じって生活する奇形ザルは、手足が不自由であっても他のサルたちに囲まれ、グルーミングし合っていました。何より、生き生きとしていました。サルたちがハンディキャップを持つ持たざるにかかわらず、協調性をもって生活している姿は、私たち人間が見習わねばならない点が多いように思いました。
 また、サルには奇形の他に花粉症などのアレルギーを持つものもいて、その症状は人間と同じ、あるいは写真で見る限り人間よりはるかにひどいものもいるようです。これらのサルに出ている症状が、その食物に関係しているという事実は人間にも深く関わってくる問題です。人間もサルたちと同じ食物を口にして、何も影響を受けないはずはありません。人間はサルが餌付けされ、与えられている大豆、サツマイモ、小麦、ミカンなどのほかに様々な食べ物を摂って生きています。このため、農薬や食品添加物などの化学物質による汚染が多数にわたり、特定される事なく分散しているために表立った被害が見えて来ないのかもしれません。しかし人間がサルたちより多くの汚染物質を体内に取り込んでいることは間違いありません。淡路島モンキーセンターのサル社会はいつかくるであろう日の人間社会の縮図であるのではないでしょうか。そう考えると愛らしいしぐさのサルたちを眺めながら、人間の未来に対し大きな不安を感じずにはいられませんでした。
 ダイオキシンなどの汚染物質をめぐる「環境ホルモン」の問題などが後を絶ちませんが、私たちはまず一番身近な「食」生活から改めて考え直す必要があるのではないでしょうか。

奇形ザルから考える内と外の問題


甲南大学 文学部 3回生 浜田圭子


 環境と生命は相関関係にある。1965年、水俣病が社会問題として浮上した。この公害について谷口先生は次のように説明される。「外なる環境」である水俣湾(海)が汚染されたため、母胎(羊水)である「内なる環境」も汚染され胎児性水俣病患者が生まれてきた、と。環境(「外なる環境」)と生命(「内なる環境」)は表裏一体しており、相互作用しながらその共通性の多く見られる構造を各々創り出している。
 「外なる環境」である自然環境、社会環境が破壊されて久しいが、私たちの「内なる環境」である心の環境も、もはや破壊されつつあるのだろうか。この問題を今回フィールド合宿で訪れた淡路島モンキーセンターの「奇形ザル問題」に対する人々の関心や反応から考察してみたい。
 私たちは、サルの観察、奇形ザルの観察に加え「病気療養中」と札のかけられた重度の奇形ザルが収容されているケージの前で、このサルたちを目にした人々の反応の観察を30分間(2月10日 午後16時〜16時30分)おこなった。私たちは、ケージに入れられた重度の奇形ザルを目にした人々の口にした言葉と推定年齢・性別を観察し記録してみた。それは、およそ次のようなものであった。
 ◇「手足がなくてかわいそう」(50歳・女性)
 ◇「見て、手がないわ、足がないわ」(25歳・女性)
 ◇「病気がうつるから寄ったらあかん」(70歳・男性)
 ◇「何で病気なの?」(7歳・女の子) 「食べ物に毒が入ってるんや、人間が悪い」(60歳・女性)
  「じゃあ自分も悪いの?」(7歳・女の子) 「そうや」(60歳・女性)
 人々の反応は実にさまざまなものであった。奇形ザル問題の原因は、ディルドリンなどの残留農薬が指摘されており、体内に蓄積した農薬の毒性が奇形ザルの発生率を増やしたと考えられている。奇形ザルは、私たち人間と同じものを食べている。つまり、人間の食生活の在り方も問われている。当たり前のこと、当たり前でないことに気づくこと、自分のライフスタイルのありようを知ること、そして今後の環境教育が問題解決への糸口として提起される。心の眼をしっかりと見開き、ものごとを正確に捉え、前向きな方法で対処していけるよう、コミュニティ、あるいは家庭で教育されることが望まれる。子どもの発した「何で病気なの?」「じゃあ自分も悪いの?」という問題に対し、大人は子どもが納得できる答えの足がかりとなる探求の場を整えてやらねばならない。未来を担う子ども、また今を生きる人々に、「知る権利」が与えられる。「かわいそう」でとどまってはいけない。「なぜだろう」「どうしてだろう」という疑問をもつことから、伸びようとする心の芽にこたえてやれるような環境教育、環境倫理の確立をめざしたい。
 淡路島モンキーセンターで私たちが一番驚いたことは、サルの群れの中において立派な福祉社会ができあがっているということであった。このことについて、中橋元所長は淡路島モンキーセンターのサルの社会は、母ザルが奇形ザルである子ザルをしつける間、群れのサルたちはそれを見守っていると説明され、「突き放す母ザル、かばう群れ社会」であると何度もおっしゃっていた。これはまるで、現代の人間が見失いつつある生命の尊厳のありようをサルたちが示してくれているようであった。現代の人々の、たとえば障害者の捉え方などを見ていると、サルたちから学ばなければならないことが多いように私は感じる。
 今日、日本の企業や学校に蔓延している能力主義社会、競争社会の行きつく末には、優生思想が横たわっているのではないだろうか。現代社会では「EQ」が低くても「IQ」の優れている者だけが生き残り、「EQ」が高くても「IQ」の低い者は淘汰されていくような傾向にある。次のアンケート結果からは、特にそれがよく表されている。「障害胎児(4ヶ月未満)の生きる権利」の質問に対し、「生きる権利なし」とした医師が、産婦人科医44%、小児科医44%、内科医51%(山田真著『子供の健康診断を考える』から)。障害を持った胎児を「かわいそう」としてその命を奪ってしまう社会。しかし、これらは生産性を第一の価値と考える私たちの社会が生み出した副産物ではないだろうか。最後に大学生150名を対象としたアンケートの調査結果を見ていただきたいと思う。「羊水検査などによって、妊娠中に胎児に障害があるとわかっても産む、または産んでほしいと思いますか」この問いに対しての回答は「はい7%」「いいえ34%」「どちらともいえない57%」「無記入2%」であった。
 難しい問題ではあるが、今後私たちが考えていかなければならない問題である。淡路島モンキーセンターの奇形ザルは人間の食生活を中心としたライフスタイルの見直し、環境教育の必要性、そしてサルの群れ社会のありようなど私たちにさまざまなことを示唆してくれる。

3、研修合宿運営後記

国際シンポジウム'98・学生会議への第一歩

浜田 圭子


 第36回ゼミ合宿が1998年2月10〜11日、淡路島モンキーセンターにて行われた。今回のゼミ春合宿は、我々にとって様々な意味を持つものであった。我々はこの一年間、学会や研究会・勉強会、もちろん谷口先生の授業を通してもたくさんのことを学んだ。しかしフィールドに出て体で学ぶということが少なかったように思う。3月20日の中国・北京大学と甲南大学の学生による学生会議(国際シンポジウム'98)で淡路島の奇形ザル問題を「生態系のゆらぎ」という視点から学生が発表する。そのための調査ではあるが、それのみではなく自然との触れ合いという点にも焦点を当てる合宿でありたいと思う。奇形ザルという見方だけではなく、それをも含めた自然・生命との触れ合いでありたい。そう思って私はこの合宿に参加した。
 この合宿は一通のEメールから始まった。勉強会後のお食事の、アルコールでハイになった私とゼミ生のWさん。私たちは酔った勢いで、こともあろうか研究生のA氏にいたずらEメールを送った。淡路島モンキーセンターに行きたい気持ちを込めて「さるさるさるさるさる……」と。そして、聡明なA氏は私たちの思いに気づいてくれた、はずはなかった。私はけらけらと笑っていたが、業を煮やしたWさんは合宿の企画書を作り始めたのだ。事もあろうか私の名前を勝手に幹事にして。(ちなみにこの事実を知ったのは私がゼミ生のなかで最後だった。)そうして春合宿はWさんという裏幹事の存在を持ってスタートしたのだった。
 初日、学校集合が朝8時というとてもやる気な私たち。遅刻が予想されたため私は「8時にこなかった人は置いていく」と強気な発言をしておいた。やはり谷口先生は8時過ぎの登場となった。こんな事で私はめげない。自分にそう言い聞かせて車に乗り込む。総勢16名が3台の車に乗り込み出発となった。須磨港までの道のりは渋滞もなく順調に進んだ。フェリー乗り場での少しの待合い時間に、潮風に吹かれながらの合宿開催宣言。とうとう始まったのだ。
 さて一方、車のなかでの出来事。最初ははしゃいで雑談に花を咲かせる私たちだったが、谷口先生の要所要所のお言葉に、次第に内容は深まっていく。「未来の地球環境のために、環境教育について」ということが会話の中のテーマであった。あまりに難しく考え会話の糸が絡まると、谷口先生が一つの言葉だけで絡まった糸をほどいてくれる。そんな事を繰り返しているうちにモンキーセンターの看板が見えてきた。モンキーセンターまでの道のりは谷口先生も、研究生A氏も慣れたもので迷うことなくすんなりと到着。たくましいお二人の背中を見つめながら自分が幹事として何もしていないことに気づく。こんな事で私はめげない。「次の合宿こそは任せてください」心の中で呟くのだった。
 さてさて、今回の合宿参加者の半数は淡路島の猿と初対面。心持ち緊張している私たちにモンキーセンターの延原夫妻は優しく説明をしてくださった。サルたちを前にすっかり緊張する私たち、しかしサルたちは私たちの緊張など意に介さずくつろいでいる。ゼミ生の中には好奇心旺盛なサルに遊んでもらっている人もいましたが。中橋所長の奇形ザルのお話に、私たちは国際シンポジウムでの学生会議への決意を新たにする。私たちも、私たち学生の世代からも何かをせねば。ということで、その後の学生会議3つのグループ(自然環境・社会環境・心の環境)ごとの発表の内容討議にも熱が入った。みんな空腹も忘れるほどに。そんなみんなを見ながら、ここはひとつ幹事として何かせねばと夕食の準備を手配したのだった。(それだけ)
 みんな発表も済み、緊張もほどけたところで夕食となった。さすが淡路島、地物の海産物が豊富でおいしい。そして、さすが谷口ゼミ、お酒が入るとみんな異様な盛り上がりを見せるのだった。今回特筆すべきことは、やはり弓道部四人娘の体育会コントだろう。みんなお腹が痛くなるほど笑わせていただきました。次はどこでこの光景が見られるのでしょうか………その後、延原さん夫妻を囲んで谷口ゼミは少しの落ち着きを取り戻しつつ夜はいつの間にか更けていたのでした。(落ち着きを取り戻したのはほんの一部で、星座早見盤を片手に星を見に行く者、海を見に行く者、一升瓶を抱える者と収集のつかない光景を見ることもありましたがここは幹事として気づかない振りをしていました。)
 さてさて二日目です。昨日は夕方近くの到着で日もかげっておりサルたちは団子のようにひっつきむしをしていました。しかし、今日はいいお天気。ぽかぽかと日も照り、サルたちはとても気持ちよさそうです。しかししかし、一部の人間たちは昨夜の惨事のせいか少し疲れているようです。調査していたはずがサルに山に逃げられる者、一緒にひなたぼっこする者、グルーミングをしてもらっているサルをうらやましげに見つめている者、様々でした。しばらくすると、みんなサルのように目を細め気持ちよさそうに日に当たっていました。サルを追っかけて調査していたはずが……ミイラ取りがミイラになるとはこのことです。と、思っていたのは私だけのようでみんなはビデオを回したり、カメラを構えたり、中橋所長や延原さんにくっついて色々な調査をしていたようです。夕方まで残り、サルの夕御飯の様子も観察し、短い春合宿は終了となりました。
 二日間という調査合宿としては短い合宿でしたが、中橋所長や延原夫妻、そしてサルたちとの触れ合いの中で様々な事を学び、体で感じました。国際シンポジウム'98での学生会議に向けての第一歩を踏みだしたようです。最後になりましたが、中橋所長をはじめとする淡路島モンキーセンターの皆様お世話様でした。また、今回運転手となってくださった方々、ビデオ班、カメラ班の方々お疲れさまでした。そして谷口先生には奇形ザル調査、学生会議中間発表の指導など多岐に渡ってのご指導をしていただき本当にありがとうございました。


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