VII.論 文

震災と環境
−人生観と世界観の変革−


谷口文章


1 はじめに

 どれほどの/いとしい人を/裂いたのか/地の神の怒り/まだ鎮らず
(神戸市 Nさん)

 まったく予測できなかった阪神淡路大震災は、人々の心に大きな打撃を与えた。それは、安心して生きている日常生活の環境を根底から覆えし、“いとしい人”との別れをもたらすものであった。それはまた、ある意味で現代人の傲慢さに対しての“地の神”である大自然の怒りでもあった。地の神の怒りは、果たして“鎮まった”であろうか。
 ところで、このような大震災は人々の人生観と世界観に深刻な影響を与えた。また、震災体験は現代人に人間の傲慢さを気づかせ、本来の自己に目覚めることによって人生や世界についての価値観の変革を迫り、環境に対する見方についても反省を促した。そして、震災を通じて理解できたことは、人生観を形成する「心の構造」と世界観が基づく「自然の構造」は同じ様な円環的性質をもつものであり、両者は「“今、ここ”の環境」という場に成立するということである。
 震災という不幸が契機になっているとはいえ、このような体験と自覚を、長い人生の上で大なり小なりの苦難と重なり合わせて積極的な生きる姿勢へと転換できないであろうか。「震災と環境」について考察することで、人生観と世界観の積極的な変革の試みを、人生一般の立場から考えてみよう。

2 人生観と世界観に与えた震災の影響
  −阪神淡路大震災を通じて−

 天と地と/逆さになりし/心地して/われに返るも/こころ還らず
(神戸市 Tさん)

 阪神淡路大震災のような予期せぬ環境の大破壊は、生活の場である“今、ここ”という環境基盤を“天と地を逆さ”にして破滅させる「世界没落体験」であった。それは一方において、当たり前だと思っていた人間の生き方(人生観)と生きている世界についての捉え方(世界観)について厳しく問いただすものであり、他方において人生観と世界観が成立する場である“今、ここ”の環境についての見方を変更することを徹底的に促すものであった。
 そのような体験は論理的に言うと、人生観においては、時間軸における没落体験であり“今”の否定である。世界観においては、空間軸における没落体験であり、まさに“ここ”の否定である。それを回復し新たな視点をつくり上げるために、両者が成立する「場」としての“今、ここ”の環境についての新たな見方が要求されることになった。
 まず、時間軸上に成立する「人生観」の変化について考察しよう。持続する時間の上に成立する人間の心は、“今”を徹底的に否定する世界没落体験に直面したときには、今までの生き方では支えきれず、心は恐怖に耐えるため心理的に麻痺状態となり、“過去−現在−未来”という均質・均等の“今”の外的時間が途絶えていわばネガティヴな“無限の今”である内的時間の中に入り込み、外界との関係を絶った「空白」の“こころ還らず”という状況をつくりだす。そして震災の空白体験の間に受けた心の傷は、意識・無意識、また被災時・被災後を問わず、心の内でその正体と意味が露わとなるまでくり返し、物理的な外的時間軸を逆流して当事者に襲いかかる。それは極端な場合、恐怖体験の反復想起、悪夢、フラッシュバックの経験であり、症状としては反応性鈍麻、覚醒の亢進、継続性などとなって現れる。このような内的世界の心の傷を癒すためには、心充ちたポジティヴな“永遠の今”である円環的時間と外から守られた円環的空間が必要であり、その両方の条件が整ったとき“今、ここ”において自然治癒力が動きだす。それは、心の内なる自然が動けば、外なる大自然の時間のリズムをとりもどすことができるからである。こうして、心に傷を受けた場合は時間の経過とともに、“今、ここ”において「内なる自然」と「外なる自然」との円環的循環が大きな役割を果たす。それは、個人における「垂直」なレベルで内的時間が外的時間を受け容れることによって内面の底が開かれ外の大自然のリズムとの同調を回復するからである。このような治癒体験、そして“今”の深まりは、その人に人生観の変化をもたらすであろう。
 次に、空間軸上に成立する「世界観」の変化について考察しよう。震災体験は心の傷に至らずとも、“ここ”の否定によって、当たり前だと思っていた日常生活の場の「あやうさ」について大きな反省の機会を与えた。この世界における自然に対する人間の生き方の傲慢さ、無辜なる被災者の憤慨、棲み家を失い残ったローンなどのやるせない重荷など、自然的・社会的環境との関係において生じた感情の意味づけに改めて迫られることになった。これは、個人の内面の問題というよりも、個人がおかれている外の環境との「水平」なレベルの空間的関係によって生じたものである。つまり、個人の時間の垂直軸に根差した人生観というよりは、個人がおかれている空間の水平軸における家庭、社会、自然などの環境との関係から生じる「世界観」の問題である。
 その意味で、世界を見る視点が、今までの“ここ”がかつての“あそこ”へと震災によって強制的に移動させられ観点が変化したことを表わす。その新たな観点から世界がちがって見えるのは必然であり、その観点から新たな世界を意味づけ構築する変革に迫られている。
 しかし個人との関係において、今まで安住していた家庭、社会、自然などの外の世界が劇的に変化し、新たな「“ここ”の環境」の下で世界を見直し新たな価値観に従って生きて行かねばならないつらさがある。とくに予想もできず慣れ親しんだ価値観が無理やりに変更されることによる痛みは、当事者でないと分からないものであろう。
 それにもかかわらず、見方を変えればそれは、新たなものを生み出す陣痛であると同時に、創造の喜びにもなることも忘れてはならない。それに気づけば、人生観と世界観の「変化」は「変革」となって、人生をより充実したものにすることができるだろう。

3 人生観を形づくる「心の環境」の円環性

 現(うつつ)とも/夢とも区別/つかぬまま/瓦礫の街を/ひたすら歩く
(神戸市 Hさん)

 “今、ここ”において人間は活動しており、“今”から離れては健全な人生を歩むことはできない。
 まず、“人生観”が形成される「心の環境」についてみてみよう。時間には上述のことから外的時間と内的時間の二種類があることがわかる。そして、それぞれがポジティヴな面とネガティヴな面をもつ。外的時間では、初めがあって終わりがあるという直線的な性質をもちながら、一方では心の内的時間に規制を与えるポジティヴな側面と、他方では抽象的で均質・均等の無機的なネガティヴな側面をもつ。内的時間は、永遠のくり返しという円環的な性質をもちながら、一方で震災後遺症のようなネガティヴな“無限の今”という静止した時間もあるが、他方で自己実現も可能となるポジティヴな“永遠の今”という宗教性を帯びた時間とがある。そして心の健全さのためには、両者のポジティヴな側面が交差することが必要である。
 そのような場に成立する「心」の全体性のメカニズムは、個人の「意識⇔無意識」という“垂直面”において、意識上で現実に果たしてきたことだけでなく、意識下にある果たされなかった事柄が持続する“時間”として循環しながら円環的にもどってくる構造をもつ。
 この循環が強制的に途絶えることになったのが“空白”の心理的麻痺であり、自我の歪みや硬化から循環がうまく働かなくなったのが神経症などの病理現象である。
 例えば、震災体験などによる心の深い傷は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に陥る可能性も孕んでいる。そのような症状は、「心の構造」が円環的であるため、災害の衝撃によって“空白”になったとき意識下に抑圧されたショックによる“心の傷”が本来のリズムとはちがった形で意識に上がろうとする運動によって生じる現象である。
 心の“ケア”が必要なのは、このようなときである。つまり、正面から困難に立ち向かう時間もなかった、また自分の責任とは関わりなく生じた天災に対する行き場のない怒り、新たな現実に対する対処などの心理的問題に対して、心のケアが必要とされる。その体験の意味づけができず、長期にわたって生活上に障害が生じる場合PTSDとなる。
 もちろん病理的な事柄だけでなく、内面における可能性の実現(自己実現)もこのような円環的循環によっておこなわれる。その運動は、意識と無意識の循環に成立し、動きがある限り、時間性をともなった循環(直線的・円環的時間が交互に交差するリズム的継続)的な性質をもつ。
 ところで、心の持続する“円環的時間”は内面の無意識的自己と意識的自我、人と他人との「和」(=輪)の成立のための不可欠な条件である。つまり、両者が対話することによる自己自身や他者との和解が大切なのである。
 したがって意識的自我と本来的自己との和解のために、また、“現(うつつ)とも夢とも区別つかぬまま”さ迷い歩くほどの心的外傷を受けた人のために、空白時の抑圧した体験をその時点に逆上ってくり返し「物語る」(トークスルー)癒しの時間が必要である。それは「やり残しの仕事」をおこなうことである。こうして、被災体験などをくり返し語ることによって、感情のカタルシスとその体験の意味づけができる。物語ることのできなかった人、また充分に悲しみを再体験できなかった人は、その体験の意味づけができずPTSDなどの深い傷となって心に残ることもある。
 こうして、心の環境は、“今”の時間性において、物理的な「外の均質・均等の時間」の流れと、心理的な「内の濃淡のある時間」が円環的に交差する場において成立していることが分かる。このような心の環境が、どちらか一方に偏り円環的リズムが狂うとそれは健全な環境とはいえず、意義深い「人生観」を形づくることはできない。つまり、内的世界の生態系が狂っていては、個として健全な人生を過ごすことはできないのである。
 したがって、人生観の変革のためには、傷ついた病理的なくり返しの“無限の今”から宗教的深みを帯びる“永遠の今”を生きる努力が必要であることを理解できる。

4 世界観に基づく「自然の環境」の円環性

 人間の/小ささを知る/代償が/大きすぎます/地下の鬼どの
(鎌倉市 Oさん)

 人間は“今、ここ”に活動しているが、“今”同様、“ここ”から離れては安心して生活を営むことはできない。次に世界観が基づく「自然の環境」を考えてみよう。
 “ここ”の空間も静止した空間と移動する空間の二種類があり、それぞれがポジティヴな面とネガティヴな面とをもつ。静止空間は、一方のポジティヴな側面として一つの観点からみたパースペクティヴを与えるが、ネガティヴな側面としてその観点が中心となる主観性を脱することができない。移動空間には、一方でポジティヴな面として静止空間から脱し時間軸上で自己を相対化して客観性を獲得できるが、他方でネガティヴな面として移動のみに重点がおかれた相対的基準のみの中に没する。環境世界を構成する“ここ”は、両者が適度に交差した場でなければならない。
 時間軸上の「心の環境」を空間軸上の「自然の環境」に置き代えても、同じ円環構造をもつと考えられる。自然環境は、人間の心と同様に、均衡を保ちながらももろいものであることを忘れてはならない。“人間の小ささを知る”強烈な体験が、今回の震災であった。そしてその環境は、空間的な“水平面”における「人間⇔自然」という生態系に典型的に示されるように、濃淡のある内的な時間性は薄くなり物理的時間による“自己回帰のメカニズム”をもっている。
 例えば、胎児性水俣病の発生のように、外的空間である海という外なる環境が汚染されると、羊水という母胎の内なる環境が汚染される。また逆に、直線的時間と円環的時間がうまく循環しないと一点の自我の観点(例、利己心、我欲)からのみの判断によって心の内なる環境が汚染され、自然や社会という外なる環境を破壊することになる。
 こうしたことから、水平面における人間と環境との「輪」は、“ここ”における人間と自然との共生(=和)を意味しよう。このような生態系における円環性の連動は、本来、「人間の本性 human nature=人間的“自然”」が、垂直面においても水平面においても「自然」に根づき同じリズムをもっているから生じているのである。
 大切なことは、生命や人間が生活を営む“今、ここ”という「濃淡のある場」が、それぞれの固有環境であり、世界観がそこに基づいていることである。
 震災の場合、人間の意識と無意識、人間と自然との関係が一挙に問題とされることになった。内的・外的な生態系の循環を顧みることなく、硬化した自我(利己心)による人間中心主義の考え方が今回の震災の被害を大きくしたともいえよう。
 
5 人生観と世界観の変革と環境に対する見方の変化

(1)人生観と世界観の変革

 物欲が/なくなり物の/価値観が/ガラリと変わる/大地震のあと
(神戸市 Aさん)

 阪神淡路大震災の場合、内的側面において人間があまりにも傲慢であり、外的側面において大自然の前ではいかに微力なものであるかを知らしめた。この意味で、人間の自己中心的な自我の観点からのみ考えるのではなく、けっして自然は優しいだけではなく、恐ろしくて厳しいものであることを自覚するべきであろう。そして震災は、日常の棲み家である“今、ここ”の環境の安全がいかに「有り難い(有ることが難しい)」ことであるかを気づかせ、そして有り難い“今、ここ”の安全は当たり前ではなく、めったにないことだからこそ「感謝」の気持ちが必要であることを痛烈に自覚せしめた。
 まず、人生観が、このような極限状態において“物の価値観がガラリと変わる”ことは言うまでもない。それだけではなく、日常生活の多忙さに埋没していた「本来の自己」との対話が始まり、今までの人生の在り方が問われることになった。ここに人生観の変化が“変革”へと導かれる契機がある。
 また存在の拠り所であった自分という意識である「自我」の崩壊を余儀なくされることで、自我心から生じる“物欲”から解放されている「あるがままの自分=自己」を発見したであろう。そのとき生死に直面している人々を助ける自分、本来の人間らしい優しさがあふれ出ている自分を新たに発見したであろう。例えば、今まで自分にも他人にも厳しかった人が他人の優しさに触れることで優しい人格になった、あるいはそうなろうとする自覚が生まれたことはよく聞く話である。
 しかしそれにしても、被災当事者には、PTSDなどの障害が上述のように現れる場合と愛する者を失った場合とがあり、それぞれの人生観の変革はちがったものになるであろう。周知のように被災直後の無感情や過剰覚醒、被災後不安、精神麻痺、急性悲哀などのあと、被災後しばらくしてPTSD、生き残り症候群、死別症候群などが現れることがあるが、このような体験によって両者とも「生きる意味」を問うことを迫られる。前者の場合、心の傷の癒しは個人の問題に重点が置かれるが、後者の場合は生き残った罪の意識に苛まれることがあり、癒しのためには前者とは違った感情の整理と人生の意味づけが必要とされよう。
 いずれであっても、新しく人生の意味づけができたときには、人生観の変革が可能となるといえよう。

 地震(ない)はげし/脆弱たりし/文明を/無常を超えて/醒めてみつむる
(名古屋市 Sさん)

 次に“脆弱な”現代“文明”が形成していた世界観が、一つの震災体験によってもろくも崩れ去ったことも実感したであろう。このことから、個人のおかれている家庭環境、社会環境、自然環境を“醒めてみつむる”眼で見ることができたと思われる。それは、“無常を越えた”客観視であり、新たな“ここ”から今までの文明によって築かれてきた脆弱な“ここ”を見つめ反省することでもある。それによって、個人と環境との新たな関係を築き上げるきっかけとなるであろう。
 具体的に述べれば、まず家族の安否、社会という生活の場の確認、自然の猛威の自覚などを体験した。とくに他者との関係である人々との相互協力、人間本来の優しさを再確認したはずである。このことから世界観の変革が始まっていることに気づくであろう。

(2)環境に対する見方の変化

 動かざる/大地が闇に/吾を襲う/震え激しき/凶器となりて
(向日市 Oさん)

 人生観と世界観の変革を通じて、「環境の見方」が変化したと考えられる。21世紀に向けて、地球環境問題が取り沙汰されているが、このような変革を通じてより多様な環境の見方が期待される。
 ところで環境についての見方の変化は、人間と環境との在り方へと、つまり人間がどのように自然を見るか、自然とのつき合い方をどのようにすべきかという原点へと人間を引き戻す。そして、人間も自然も、すべての生命も「輪となり共生(和)している」ことを身体でもって知ることにつながるのである。
 今まで見てきたように、人生観や世界観という価値は“動かざる大地”が揺れる大地震によって一挙に変化したが、ある意味で、それは人々が自我心から離れ「無」になれたことでもある。死の恐怖を伴う大地震の体験によって、時間の経過とともに個人において心が癒される一方、世界において人間の新たな生の出発点に立つ機会を得たともいえよう。これはまさに人生と世界についての「価値観の転換」である。つまり、人は自我意識をも“動かざる大地”と考えていた、しかしそれは安定してはいるが固定し硬化していた自我であった。そのような自我が“震え激しき”揺れを経験して、垂直面において無意識の底に潜む本来の自己との対話を始めること人生観の変革を果たす契機とすることができるのである。他方、世界観の変革については、地震が“凶器”となって強制する否応なしの変化であったにせよ、人間を取り巻く家庭、社会、自然という水平面の環境について今までとはちがった世界を築き上げる目標ができたとも言えよう。
 ここに、新しい生き方と、新たな環境を見る眼の原点が見いだされるように思える。その意味で新たな“今、ここ”の環境づくりをもう一度始めなければならないであろう。

6 まとめ

 次の小学生の作文を見てみよう。
 「私はテレビで見たんだけど、インタビューすると、にっこりわらって話してました。でも、本当は、すごくかなしくて、こわいんだと思うんです。神戸市のみんながかなしくてこわかったんです。家族をなくしたり、友人やいとこをなくしたり、家やざいさん、自分の人生をなくしてしまった人がたくさん、神戸市にいるのです。ガスや水道がふっきゅうしてないと、料理もできないし、トイレもできないんです。私のしょう来のゆめは、お医者さんになって、病気の人々をなおしてあげるんです。でも、けんちく家にもなりたいです。みんなのお家を作って、みんなでもう一回ステキな神戸市を作りあげるのです。そして、私が一番直したいのは、人の心のきずです。五千人い上の人が死んだなら、心にきずをかかえている人も、きっと多いはずです。そして私はそのきずをいつかなおすんです。」(K小学校Aちゃん『心のきずをなおしたい』より)

 本稿の結論は、この被災を体験した小学生の作文に集約される。“ここ”の崩壊については地震の恐ろしさ、また“今”の崩壊については他人には分かってもらえない本当の自分、本来の姿が見せられない人間の哀しさ、その本音などによって示されている。しかしそれにもかかわらず、“人生観や世界観の変革”については、“心のきずをなおす”医師や“地震に強い家”をつくる建築家になる夢などに示されている。
 “環境の見方”に関しては、この作文から「環境教育」の考え方の基本が想起される。その教育は暖かく優しい思いやりがあり、創造力豊かなこどもを教育することである。つまり、環境教育の原点は、生命の温かさと脆さ、生と死、傲慢と謙虚さなどを教え、環境に対する見方を新たなものにすることである。この作文の小学生は、ある意味で震災体験によって人間と環境との関係の本質を端的に体験したとも言える。
 また、震災によって今まで当たり前であったことが「有り難い」と感じたという、子どもたちの心境(=心的環境)の変革をわたしたち大人も学ばなければならないであろう。

参考文献
朝日新聞歌壇俳壇編『阪神大震災を詠む』(朝日新聞社、1995)
神戸市小学校[編]教育研究会国語部『地震なんかに負けない』(二期出版、1995)
神戸新聞社編『生きる−大地震ゼロの出発−』(神戸新聞総合出版センター、1995)
佃為成『大地震の前兆と予知』(朝日新聞、1995)
B・ラファエル『災害の襲うとき−カタストロフィの精神医学−』(みすず書房、1995)
河合隼雄編『心を蘇らせる』(講談社、1995)
河野博臣『震災診療日誌』(岩波書店、1995)
野田正彰『わが街−東灘区森南町の人々−』(文芸春秋社、1996)

(甲南大学阪神大震災調査委員会
           「阪神大震災・心の風景−阪神大震災の記録5−」より転載)



IX.研究室活動内容


1、講義概要




演習 I, II:4:通年
 自然環境、社会環境、心の環境の基本的な環境も踏まえたうえで『環境人間学の研究』より「精神保健における人間関係と非言語的コミュニケーション」を精読した後、和辻哲郎の『風土』(岩波文庫)を読む。以上のテキストを使いながら、文献の読み方、意見のまとめ方、発表形式を学ぶとともに、各自が自由に興味あるテーマを選び、卒論、ゼミ論として取り組んでほしい。
 また、身体知をもって学ぶためにフィールド・国際研修旅行での体験学習をおこなう。
 ゼミ活動を通して、各人が求めている“何か”を見つけてくれれば幸いである。

哲学思想基礎論:4:通年
 人生の意味は何か、世界をどのように見るか、人間はどのように行為すべきかの諸問題を検討する。そのために、人生の意味、世界の見方、行為のあり方について考察する。
1、人生の意味:生と死、挫折と希望、愛と虚無、老いと病い 等
2、世界の見方:社会と制度、法と経済、自然と環境、言語と精神 等
3、行為のあり方:精神と意志、自由と拘束、行為と価値、理想と現実 等

外国文献研究 II (B):4:通年
 エコソフィ(自然哲学)という分野の中で「ディープ・エコロジー」と呼ばれる、エコロジー思想の最新潮流を紹介し、その先に拡がる地平を照らしだす。
 そのことによって、21世紀に向けた「人間の生き方を示唆し地球環境の問題を解決する」ための参考にしたい。
 ●テキスト:Warwick Fox,Toward a Transpersonal Ecology,State Univ. of New york,1995

イメージ・トレーニング:4:通年:皆籐 章・斧谷彌守一・谷口文章・森 茂起・桜井 治・山崎俊輔
 人間科学科へのオリエンテーション。心の中で働いているイメージについて考え、実習を通してさまざまなイメージを具体的に体験してみたい。

人間環境論 II:4:通年
 人間の環境を、自己組織論の観点から研究する。人間の環境は、身体を介して自然環境、社会環境、精神環境が成立すると考えられる。それらの環境は、人間とは無関係に成立しているのではなく、人間と相互作用することで自己組織的に形成される。
 「自然環境」では、人間が適度に関与することで生態系が維持されている。例えば、森林の保全や農耕によって自然環境は健全なものとなる。「社会環境」では、もう少し人間の関与が大きい。しかしその社会現象も、自己組織的にシステムが出来上がる。例えば、商品の価格も市場において自己組織的に決定される。「精神環境」では、いうまでもなく人間自身の問題であり、それは“心のあり方”が中心となる。例えば、親子関係において、神経質の親は神経質な子どもを育てることになり、その子の心は母親のそのような性格を内化して自己組織的に形成されることになる。
 このように、主体と客体が相互作用することによって形成される「人間の環境」を自己組織論の観点から考察していくが、本年は社会環境と精神環境に焦点を合わせる。

環境人間学:2:前期
 人間は幸福を求めて文明や文化を築き上げてきたが、その結果、物質文明や爛熟文化によって地球規模の環境問題を生ぜしめた。本来、知恵のあるヒト(ホモ・サピエンス)であった人間がどのようにして狂気のヒト(ホモ・デメンス)に堕落したのであろうか。その点に焦点を合わせて、環境人間学の観点から地球環境問題の解決に向けて思案してみたい。
 ところで、環境問題に関しては、フィールドの体験が必要があるために、コメや野菜作りの作業、奇形ザルの生態調査、水俣病などの社会調査も講義の一コマとして入れてみる予定である。
 人間は大地に足を踏みしめてこそ、心身ともに健康である。環境問題の解決の第一歩はフィールドに出て思索することである。

心身論:2:後期
 心身論、つまり精神と身体は一元か二元かの問題を、哲学・精神医学・宗教の立場から考察する。
 第一に哲学の立場から、デカルトの心身二元論にはじまってメルロ・ポンティの身体図式論まで論じる。ここでは論理的な心身論の思想の流れを明らかにする。
 第二に精神・心理的立場から、心身論と東洋医学の思想について論じる。ここでは具体的に、催眠療法や箱庭療法の事例を報告する。
 第三に宗教の立場から、脱我した宗教体験や臨死体験について検討する。ここでは、スライドやVTRを使って視覚的に考察する。
 以上のことをふまえて、心身論の諸問題を解明していきたい。

2、業績一覧表・論文一覧表(1993年度−1997年度)




業績一覧表
日本環境教育学会(常任運営委員、広報編集委員長)
日本保健医療行動科学会(常任理事、年報編集委員長)
1993年   日本環境教育学会 第5回全国大会実行委員長
1996年   北京育達工商学院客座教授(中国)
   国際シンポジウム'96「環境倫理と環境教育−人と自然の共生をめざして−」実行委員長
1997年   日本保健医療行動科学会第12回大会長
   河北大学客座教授(中国)、プラナコン・ラジャバト王立研究所客員教授(タイ)、
   ヴィクトリア大学客員教授(カナダ)、日中共同環境教育シンポジウム組織委員、
   亀岡市教育委員会社会教育委員
1998年   「地球環境と世界市民」国際協会設立・国際協会会長
論文一覧表
【著者】
『環境教育指導事典』(国土社,1996)共著
『現代哲学の潮流』(ミネルヴァ書房,1996)共編著
『環境とライフスタイル』(有斐閣,1996)共著
『地球規模の環境教育』(ぎょうせい,1998)共著
【論文等】
1、「“いじめられっこ”と“いじめっこ”を体験した男子小学生の箱庭療法過程」
                   (『甲南大学紀要文学編』86号,1993)共著
2、「生命と環境−自己組織性と場所の論理−」(『甲南大学総合研究所叢書30号,1993)
3、「環境思想に関する一考察 −環境教育と環境倫理の基礎づけのために−」
                (日本環境教育学会『環境教育』Vol.3,No.2,1994)
4、「環境をめぐる世界とそのカテゴリー −環境病理の現状とメカニズム−」
                      (『甲南大学紀要文学編』90号,1994)
5、「道徳的観点と理想的観察者」(『甲南大学紀要文学編』94号,1995)
6、「自己表現としての箱庭療法」
            (日本保健医療行動科学会『保健医療行動科学』Vol.10,1995)
7、「精神保健における人間関係と非言語的コミュニケーション」
                       (『全国大学保健管理協会』,1995)
8、 「環境教育の基盤としての環境 −“いのち”と“心”の棲み家−」
                      (『甲南大学紀要文学編』98号,1996)
9、「環境における“いのち”と“心”の棲み家」
                (日本環境教育学会『環境教育』Vol.5,No.2,1996)
10、「震災と心のケア」(日本環境教育学会『環境教育』Vol.5,No.2,1996)
11、 「箱庭療法−『箱庭』の基本的課題と事例分析−」
           (日本保健医療行動科学会『保健医療行動科学』Vol.11,1996)
12、「震災と環境 −人生観と世界観の変革−」
 (『阪神大震災・心の風景』(斧谷彌守一編)甲南大学阪神大震災調査委員会,1997)

【学会発表】
(国内)
1、人文系専門教育での環境教育−シンポジウム
  「大学における環境教育の実践と課題」−
               日本環境教育学会第4回全国大会 (於:筑波大学,1993)
2、「大学総合科目における環境教育の実践例 −コメと野菜作り−」
               日本環境教育学会第5回全国大会 (於:甲南大学,1994)
3、シンポジウム「環境教育の根本問題を話し合う」大会実行委員長,シンポジスト
               日本環境教育学会第5回全国大会 (於:甲南大学,1994)
4、自己表現としての箱庭療法−シンポジウム「パフォーマンスと保健行動」
       日本保健医療行動科学会第9回全国大会 (於:大阪国際女子大学,1994)
5、「精神保健における人間関係と非言語コミュニケーション」
             全国大学保健管理協会近畿地方部会(於:甲南大学,1994)
6、「阪神大震災と環境教育」日本環境教育学会第6回全国大会
                        (於:千葉県立中央博物館,1995)
7、「箱庭療法:体験学習ワークショップ」
         日本保健医療行動科学会第10回全国大会 (於:大妻女子大学,1995)
8、日本環境教育学会・公開シンポジウム
  「よりよい未来のために」「環境教育における“いのちと心”の   棲み家」
  日本環境教育学会 (於:お茶の水スクエア,1995)
9、シンポジウム「阪神大震災と環境教育のその後」:「震災と心のケア」
       日本環境教育学会関西支部 第4回研究会 (於:奈良産業大学,1995)
10、21世紀に向けた若者の心と精神保健−共通感覚とイメージ表現−
       日本保健医療行動科学会近畿支部50回記念大会(於:甲南大学,1996)
11、シンポジウム
  「環境教育の研究の課題と展望:環境教育における環境倫理の展開−
  区別をめぐる科学的      思想と神話的思想−」
  シンポジスト,日本科学教育学会(於:広島女子大学,1996)
12、日本保健医療行動科学会・国際会議      
  日本保健医療行動科学会(於:上智大学,1996)
13、公開シンポジウム'96「震災体験と人々の意識変革 −
  人と自然の共生をめざしてー」
            シンポジスト,日本環境教育学会(於:神戸国際会議場,1996)
14、「医療倫理と意思決定−自己決定権をめぐるパターナリズムと
  自律性の問題への示唆−」
            日本保健医療行動科学会第12回大会,(於:甲南大学,1997)

(国外)
1、公開国際フォーラム
  「自然保護と環境教育−21世紀の自然像と人間の環境を考える−」
                  (甲南大学総合研究所,於:甲南大学,1996)
2、国際シンポジウム'96
   「環境倫理と環境教育 −人と自然の共生をめざして−」実行委員長,
     コーディネーター,甲南大学平生太郎助成金・総合研究所・日本環境教育学会
   (於:甲南大学1996)
3、日中共同環境教育シンポジウム・神戸会議 実行委員長,
   コーディネーター 日中共同環境教育組織委員(於:甲南大学,1997)

4、国際シンポジウム'98
   「地球時代の環境教育」 「地球時代における環境教育 −総合討論−」
      シンポジスト,東京学芸大学 国際シンポジウム組織委員会
      (於:国立オリンピック記念青少年総合センター,1998)
5、国際シンポジウム'98
   「環境倫理と環境教育−科学技術と人間性をめぐってー」実行委員長,
    コーディネーター,甲南大学平生太郎助成金,日本環境教育学会
                             (於:甲南大学,1998)
【学術講演】
(国内)
1、「市町村における環境教育のあり方 −心豊かに生活するために−」
            (大阪府環境保健部環境局,於:大阪府立労働会館,1993)
2、「人間の心と環境−環境問題の現状とその解決への示唆」
                 (泉大津市生活環境課,於:泉大津市役所,1993)
3、「環境をめぐる倫理と教育」   (神戸市婦人大学,於:神戸市勤労会館,1993)
4、「環境倫理と環境問題 −自己組織性と場の論理−」
                   (神戸市環境保健研究所コロキュウム,1993)
5、「環境問題と私たちの心 −環境倫理のあり方−」
              (神戸市環境大学,於:神戸市生活学習センター,1993)
6、「身近な環境と21世紀の生き方」   (豊中市・豊中市教育委員会,
   於:豊中市民会館,1994)
7、シンポジウム「足元にみる環境」
               (吹田市生活環境部,於:吹田市メイシアター,1994)
8、地球環境時代、学校でのトンボ池づくりと環境教育について」
  (大阪自然保全協会・大阪府教育委員会・大阪市教育委員会,
                        於:大阪市立出来島小学校,1994)
9、「環境問題をめぐる環境教育と行政」(亀岡市教育委員会,於:亀岡市役所,1994)
10、「環境問題にどう関わるか−市民・住民としてできること−」
               (シルバーカレッジ,於:神戸市民福祉振興協会,1994)
11、「老いと死について −ライフサイクルの諸問題−」
          (神戸市シルバーカレッジ,於:神戸市民福祉振興協会,1994)
12、「人間の環境とその諸問題−環境概念・カテゴリーおよび環境教育の調査例−」
  (兵庫教育大学学校教育学部附属中学校環境教育研究会,
                 於:兵庫教育大学学校教育学部附属中学校,1994)
13、「心の発達と人間形成−深層心理と心の内奥の世界」
                  (生活科授業研究会,於:大阪教育大学,1994)
14、「第6回『星空の町・あおぞらの街』全国大会シンポジウム −星空・あおぞらから
  のメッセージ“地球環境と私たちの生活”−」
      (環境庁大気環境保全連絡協議会,於:八鹿町民会館文化ホール,1994)
15、「環境教育と社会問題について−世界観と人生観の視点から−」
              (亀岡市小学校教育研究会,於:亀岡市立小学校,1994)
16、「ふるさとと環境」  (亀岡市社会教育委員会,於:亀岡市河原林公民館,1994)
17、「環境破壊と回復」 (兵庫県高齢者生きがい創造協会,於:いなみの学園,1994)
18、「こどもと環境教育 −『幼な心』が原点−」
    (三重県保健環境部環境局環境政策化課,於:三重県勤労者福祉会館,1994)
19、「自然・社会・心の環境とその諸問題」   
              (神戸婦人大学,於:神戸市生活学習センター,1994)
20、「『やさしい医学』:箱庭療法」(朝日カルチャー,於:朝日新聞ビル,1994)
21、「環境倫理の展開−地球環境時代のライフスタイル−」
                  (神戸市環境大学,於:神戸市勤労会館,1994)
22、「音・色・形の世界&サウンドスケープ −環境教育の新たな視点を探る−」
                (大阪府教育委員会,於:大阪府立青年の家,1995)
23、「平成7年度全国環境教育担当教員講習会・環境倫理 −大滝村から学ぶ」
             (文部省,於:埼玉県大滝村グリーン・スクール,1995)
24、「環境問題と心のあり方」
            (兵庫県高齢者生きがい創造協会,於:いなみの学園,1995)
25、「環境と価値観」     (神戸環境大学,於:神戸市産業振興センター,1995)
26、「市町村における環境教育」  (亀岡市教育委員会,於:亀岡市民ホール,1995)
27、「ゴミ問題と環境観」      (亀岡生活環境課,於:亀岡市民ホール,1996)
28、「環境倫理とライフスタイル」
              (生活環境コース,於:神戸市シルバーカレッジ,1996)
29、「老いと死の人間学、生と死の人間学」
          (福祉コミュニティコース,於:神戸市シルバーカレッジ,1996)
30、「なぜ哲学ははやるのか−生と死と愛をめぐって−」
   (尼崎市総合学習教室「温故知新」,於:尼崎市立総合老人福祉センター,1996)
31、「環境問題とライフスタイル−価値観の転換をめざして−」
              (兵庫県高齢者生きがい協会,於:いなみの学園,1996)
32、「平成8年度全国環境教育担当教員講習会 環境倫理と環境教育
   −自然環境の生成と人間の環境認識を軸として−」
                   (甲南大学総合研究室,於:甲南大学,1996)
33、「環境教育における意欲・表現力・思考力の創造をめぐって」
               (宇治市教育委員会,宇治市立笠取第二小学校,1996)
34、「生と死の人間学」(神戸市シルバーカレッジ,於:神戸市民福祉振興協会,1997)
35、フィーリングアーツ「21世紀からの呼びかけに答える」(対談)
 (フィーリングアーツ・ボランティア委員会,於:大阪中島文化情報センター,1997)
36、「ライフスタイルにおける価値の転換 −環境哲学の視点から−」
    (和歌山県立向洋高校環境科学科,於:和歌山県立向洋高校環境科学科,1997)
37、「環境観と人間の生き方−環境倫理の確立に向けて−」
               (生活環境コース,於:神戸シルバーカレッジ,1997)
38、「環境倫理とライフスタイル −地球環境問題への示唆」(神戸市市民局,
   於:神戸市青少年会館,1997)
39、「地球環境問題の解決についてー価値観の転換をめざして−」
               (神戸環境大学,於:神戸シルバーカレッジ,1997)
40、「自然・社会・心の形成とその環境問題」(甲南大学公開講座,於:甲南大学,1997)
41、「環境教育のすすめ −環境観と環境倫理をめぐって−」
       (奈良県立教育研究所・環境教育講座,於:奈良県立教育研究所,1997)
42、「地球環境問題の解決に向けて −人間環境論の視点から−」
            (神戸市環境大学,王子動物園ホール,1997)
43、「私たちをとりまく様々な環境問題」(於:神戸市青少年会館・若者の家,1997)
44、「医療倫理と意思決定−自己決定権をめぐるパターナリズムと自律性の問題への示唆−」
       (基調講演)(日本保健医療行動科学会第12回大会,於:甲南大学,1997)
45、「カウンセリングに求められるもの −カウンセリングの基本−」
            (亀岡市教育委員会,於:亀岡市立図書館,1998年)
46、「個人を主としたカウンセリング −箱庭療法の考え方−」
            (亀岡市教育委員会,於:亀岡市立図書館,1998年)
(国外)
1、Lecture on Researching the Internal Environment of the Mind by Sandplay Therapy
            (Rajabhat Institute Phranakhon,Thailand,1997)
2、Slide presentation on Environmental Problems in Japan
            (Rajabhat Institute Phranakhon,Thailand,1997)
3、Mind Environment can be shown by Sandplay Therapy
            (Rajabhat Institute Phranakhon,Thailand,1997)
4、Environmental Problems in Modern Japan
            (Rajabhat Institute Phranakhon,Thailand,1997)
5、「新しい環境倫理と日本の環境問題 −環境概念と環境認識の吟味から地球
                            環境問題解決への示唆−」
            (中国・北京大学「環境と発展協会」,於:北京大学,1997)
6、「日本の環境教育と環境問題 −心の環境と地球環境問題解決への示唆−」
       (中国・山西省陽泉市教育委員会,於:中国山西省陽泉市市役所,1997)
7、Researching on the Relationship between Internal Environment and External Environment
  by using Sandplay World(中国・北京大学「環境と発展協会」,於:北京大学,1997)
8、「日中の比較教育論と21世紀における両国の教育像」
                 (天津市教育科学院,於:天津市教育科学院,1997)
9、Study on Internal Environment of the Mind from the standpoint of Eco−psychology
             (School of Environmental Studies,University of Victoria,1997)
10、Environmental Issues of Nature and Society in Modern Japan
             (School of Environmental Studies,University of Victoria,1997)
【その他】
1、「身近な環境調べ」(豊中市公害対策部環境対策課,1993)
2、「環境教育における“いのち”と“心”の棲み家」
            (日本環境教育学会,『環境教育』Vol.5−No.2,1996)
3、「阪神大震災と環境教育のその後・震災と心のケア」
            (日本環境教育学会,『環境教育』Vol.5−No.2,1996)
【共同研究】
(学内)
1、「環境人間学の研究」(総合研究所,1992~1993)
2、「生命概念に関する研究」(総合研究所,1992~1995)
3、「生命と倫理」(総合研究所,1994~1995)
(学外)
1、「環境教育の研究・教育・情報システムの体系化」
            (平成7年度文部省科学研究費補助金・総合研究B)
2、「日本環境教育学会公開シンポジウム・よりよい未来のために −自然共生型社会への途−」
            (文部省科学研究費補助金・研究成果公開促進費,1995)


3、研究室活動記録


□甲南大学公開講座
(1997年5月10日〜6月14日 於:甲南大学)
 公開講座「21世紀の人間と地球の環境を考える−その後の展開−」では、1997年5月10日から6月14日の毎週土曜日に行われ、一般の人々にも環境問題について認識を深めていただきました。

□田植え体験学習
(1997年6月16日、17日 於:市島・有機農業センター)
 兵庫県氷上郡市島の有機農業センターを訪れ、有機農法による田植えを体験。またニワトリ、アイガモを絞め、自分たちの手で捌いて料理することで生命の大切さ、食べ物を手に入れることの大変さを実感しました。土の感触、ニワトリ、アイガモの体温など直に触れ、学ぶことの多い体験でした。

□第12回 保健医療行動科学会大会
(1997年6月21〜22日 於:甲南大学)
 「医療倫理と行動科学」のテーマの下で、ワークショップによる体験、講演などが行われました。谷口文章先生の基調講演では「医療倫理と意思決定」というテーマで医療倫理の価値判断について述べられました。

□第34回 ゼミナール海外研修旅行
(1997年8月15〜23日 於:中国・北京)
 北京大学「都市と発展の協会」において谷口先生が講義をされ、また学生たちの交流がおこなわれました。さらに、天津教育科学院での谷口先生の講演、松山自然保護区見学、日中友好環境保護センター施設見学などを通して中国の環境教育の現状を知ることができました。多くの人々に出会い、大変学ぶことの多い研修旅行となりました。

□第35回 ゼミナール海外研修旅行
(1997年10月3〜12日 於:カナダ・ヴィクトリア)
 カナダのブリティッシュ・コロンビア州を訪れ、その豊かな原生自然(ウィルダネス)に触れました。ヴィクトリア大学にてAlan Drengson先生による講義“An Ecophilosophy Approach,Deep Ecology Movement and Diverse Ecosophies"と谷口先生による講義『日本の環境事情 “Environmental Issues of Nature and Society in Modern Japan”』を受講し、 環境問題に対する実践と理解を拡げました。
 また、ヴィクトリア大学のESSAとともに参加したオルターナティヴ・フォレストリー・ディスプレイでは、従来おこなわれてきたクリアー・カット(乱伐)とは違った自然との共生の仕方、多様性を重視したエコ・フォレストリーの仕方を見学しました。

□日中共同環境教育シンポジウム・神戸会議
(1997年12月7日 於:甲南大学)
 日本と中国の環境問題及び環境教育の情報を交換することによって、環境教育を推進し、北京会議の準備へ前進となりました。金世柏先生、賈峰先生、曹青陽先生、周又紅先生らが各々の立場より環境教育について講演されました。また特筆すべきことは、会場の参加者全員がシンポジストになるという新たな試みで相互理解を深め合うことができました。

□第36回 ゼミナール・フィールド研修合宿
(1998年2月10〜11日 於:淡路島モンキ−センター)
 今年の春合宿では、2日間に渡って奇形ザル調査を行いました。中橋元所長、延原さんご夫婦からお話しを聞くこともでき、食品汚染の恐ろしさ、また最近話題になっている「環境ホルモン(エンドクリン)問題」の深刻な状況を痛感しました。また、10日の夜には、国際シンポジウム'98・学生会議に向けての中間発表会を行い、意見交換、討論などが行なわれました。

□国際シンポジウム’98「環境倫理と環境教育−科学技術と人間性をめぐって−」
(1998年3月20〜22日 於:甲南大学)
 このシンポジウムでは、中国、タイ、カナダ、韓国、オーストラリアからシンポジストを招き、各国の環境倫理と環境教育を展開しました。その内容は「健全か不健全か」という柔軟な共通の枠組みをもつ環境倫理の下で、環境教育の地域的具体化をめざしました。
 シンポジウムIでは「自然環境における科学技術」、シンポジウムIIでは「社会教育における人間性」、シンポジウムIIIでは総合討論が行なわれました。
 シンポジウムIでは科学技術の主体性の問題、シンポジウムIIでは人間性の健全なあり方の問題、シンポジウムIIIでは今後とも各国が協力して地球環境問題の解決のために継続的に努力することを確認できました。

□谷口ゼミ構成員
井上絵美(文4)・折口淳子(文4)・川端芳紀(文4)・北 智予(文4)・
木本 調(文4)・紀 良美(文4)・綱嶋俊介(文4)・東 法子(文4)・
平尾千恵(文4)・平沢真実子(文4)・藤井章子(文4)・前田早織(文4)・
松崎 大(文4)・松本剛知(文4)・山川淳子(文4)・山本晋司(文4)・
朝倉円香(文3)・稲垣正教(理3)・久山美保(文3)・嶋本春恵(文3)・
竹林由佳(文3)・浜田圭子(文3)・平岡永子(文3)・森岡由美子(文3)・
渡辺理和(文3)・天野雅夫(文研究生)・石神由健(文研究生)・
樫原利依(文研究生)・鎌田靖子(文研究生)・瀬戸口優子(文研究生)・
福島志保(文研究生)

編集後記

編集長 渡辺理和

 近年、谷口先生のご活躍は国外にまで広がり、田植え、夏の海外研修旅行、春のゼミナール・フィールド研修合宿など野外での実践活動に加え、プロシーディングの作成、読書会、国際シンポジウム'98など今年も様々な研究室活動に明け暮れました。年々加速度的に忙しくなるために滞っておりました1997年度報告書がようやく完成いたしました。
 今年度の報告書は完成予定日の土壇場で原稿をワープロからパソコン・Macへうつしかえて処理するなど、ワープロとパソコンの併用によって効率性と仕上がり具合のよりよい向上をはかりました。
 今年は、ゼミの諸先輩方が残されてきた水俣、奇形ザルなどの調査、研究成果と資料を基盤にして、国際シンポジウム'98・学生会議という大きな行事も成し遂げることができました。
 ゼミの仲間とともに自分を鍛え、私たちが今年一年間積み上げてきたものを報告書という形で残していくことの意義も改めて実感している次第です。
 最後に、報告書の完成までに諸先輩方の貴重な助言を頂いたことはいうまでもありません。とくに、谷口先生には、いろいろな方面に亙ってご指導をしていただき、深く感謝致します。今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします。




編集委員      天野雅夫  鎌田靖子  樫原利依
          瀬戸口優子 松谷陽子  朝倉円香
          久山美保  嶋本春恵  竹林由佳
          浜田圭子  平岡永子  森岡由美子
          山下香苗  渡辺理和  寺本寛子
          辻野美千代 今井一

〈谷口研究室・1997年度年間活動報告書〉

編集者:谷口文章

発行所:甲南大学 文学部 谷口研究室(078)431−4341(内線5709)

印刷所:甲南大学 総務部 総務課 複写センター

協 力:有限会社 摂津写真工芸社


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