学 生 会 議


司  会
谷口文章(甲南大学教授)
コメンテーター
田 徳祥(北京大学教授)

谷口研究室の記録−実践活動としての合宿を通して−

天野 雅夫
日本・甲南大学研究生

 1950年代の中頃から1970年代の初めにかけて、日本の工・産業は「高度経済成長」と呼ばれる時期を迎えた。これによって日本人は、一方では物にあふれた「豊かな」生活を手に入れ、他方で廃物・廃液にまみれた環境に住むことになった。都市では人工的な物質が増加し、食品は添加物を使うことによって工場で生産される「もの」になった。それと同時に、私たちの生活の基盤であるはずの海、川、空気そして土壌にまで有害な物質が撤き散らされた。このような高度経済成長期に関する問題は「水俣病」によって社会的問題としてクローズ・アップされた。そして、こうした公害問題の背後で奇形ザル間題がサリドマイド事件と関連して社会間題化したのは、1970年代の始めであった。
 甲南大学谷口研究室では、谷口文章教授から理論的・哲学的な内容の講義を受けるだけでなく、現実的・実践的な問題として公害問題・環境破壊の問題を講義していただいている。合宿では水俣病問題を調査するため1988・1992年に水俣を訪れた。さらに奇形ザル問題を継続的に調査し、同時に自然観察や環境学習も行っている。1986年に小豆島を、1990、1993、1996、1997年には兵庫県淡路島のモンキーセンターを訪問し1991年には臥牛山と宮島を訪ねた。1994年には宮島と高崎山、そして屋久島を訪れた。食品汚染と農薬問題を調査するため、1987年に奈良県の柳瀬氏を訪ね、1989年には埼玉県の金子実氏を訪ねて有機農業を体験した。そのときは「原爆の図」で有名な丸木伊里・俊夫妻を訪ねた。また1990年から毎年、兵庫県市島町で有機農業による米作りの学習を君塚雅俊氏の農場で指導していただいている。

1.水俣病問題−社会環境の破壊−
 研究室では二度水俣を訪れ、その大規模な公害汚染、環境破壊を目の当たりにした。一度目の訪問(1989年)では、水俣で活動しておられる演劇家の砂田明氏を訪ねお話を伺い、そして二度目(1992年)は、水俣病発生当初から医療活動を続けておられる原田正純先生の講演を聞くことができた。そして実際に三人の水俣病患者、そして胎児性水俣病の患者さんにお会いしお話を伺った。また地元の支援者グループの方々には水俣で何が起こっているのかということを詳しく伺うことができた。水俣病の発生当時、一番問題となったのは、ハンターラッセル症候群という典型的な症状を備えた患者であった。その後、新しく胎児性水俣病が発見され、現在は典型的症状を備えない人々(遅滞性水俣病・慢性型水俣病)に対する救済が問題となっている。水俣病は水俣で起こった公害病であるが、現代の日本人の頭髪には世界的にみても高水準の水銀が蓄積しており、その環境破壊は終焉したのではなく、日本全体に拡散したと言えるだろう。水俣は現在でも住民の健康破壊が進んでいる。あるいは日本における環境破壊さらに健康破壊も、見えないところで着実に進行しているのかもしれない。

2.奇形ザル問題−自然環境の破壊−
 淡路島モンキーセンターでは当時所長をされていた中橋実氏と、現在の所長の延原利和氏をお訪ねした。また宮島、屋久島では龍谷大学の好広眞一先生に奇形ザル問題からニホンザルの生態まで教えていただいた。ニホンザルの奇形症状は、淡路島の場合、1967年に中橋氏が島で開園される以前からあったが、記録として残っているのは1969年の「ミラーフット」が最初である。そして、1998年現在でも全体の1割近くのサルが障害をもって生まれてくる。奇形の原因については、それが餌付開始と関係して発生し、日本の高度経済成長がピークに達した1971〜2年頃、全国的に異常発生していることから、これらとの関連が指摘されている。遺伝的要因に関しては関連性が低く、奇形ザルや奇形を生みやすい母親ザルの体内に通常の数倍から数十倍近い農薬(特にマラソンなどの塩素系)が残留していることから、環境要因がその原因であることは確定している。

3.自然観察・自然学習−環境問題の解決へ向けての努力−
 合宿では自然のすばらしさや美しさを学習するために、自然観察や自然学習も行ってきた。1989年の水俣訪問のときには阿蘇山まで足をのばし、その雄大な自然に触れることができた。1994年には屋久島を訪れ、標高1,800mの九州最高峰宮乃浦岳に登り、数千年以上の生命を宿す大木「屋久杉」を見ることができた。また、1989年には埼玉の金子登氏を訪問し、有機農業による多品種の少量栽培(色々な野菜を少しづつ)について伺った。1990年からは毎年兵庫県市島町の農場で田植えや稲刈りを体験させていただいている。しかし、これらの素晴らしい自然も、日本ではだんだんとなくなってきている。環境破壊が進む中、外なる環境の荒廃が進めば、内なる環境(心)の荒廃も進んでゆく。従って、今後ますますこうした環境学習の必要性が叫ばれることとなるだろう。美しい自然が回復するにはさらなる時間と努力が必要である。そのためには環境教育による理論的・実践的能力の向上と、環境倫理による道徳観の育成が欠かせないのである。

自然環境における生態系のゆらぎ−奇形ザル調査から−

竹林 由佳・浜田 圭子・渡辺 理和
日本・甲南大学文学部

1.奇形ザルと食品汚染の関係 
 今日、われわれのまわりで起こっている生態系の乱れは多くの生命を犠牲にし、現在把握されている日本の野生生物種は絶滅種22種、絶滅危惧種110種とされる。このような生態系の狂いが顕著になる中で、わがゼミでは餌付けされたサルたちに多数奇形が発生していることに着目し、淡路島モンキーセンターを拠点に調査を行ってきた。食品添加物(主に着色料、保存料、防腐剤など)、残留農薬(ディルドリンなどの有機塩素化合物)などの農薬汚染、食品汚染により手足にミラーフット(片足に両足の指の発生)、合指、屈指、短指、欠指、単指、裂手、裂足などの四肢奇形による奇形ザル、また重度の花粉症に冒されたサルが近年増加している。餌付けされたサルたちが与えられた食べ物(主に小麦、大豆、落花生、リンゴ、ミカンなど)はわれわれ人間も日常口にしているものであり、奇形ザルの発生の原因と思われる農薬汚染、食品汚染は現代日本の「食」の安全性について波紋を投げかける。今日、PCB、DDT、ダイオキシン等の残留性、食物連鎖においての生体濃縮が問題視される。現在、食物連鎖の頂点に立っている人間は今一度「食」について、自分のライフスタイルについて問い正す必要がある。

2.複合汚染と現代の食生活 
 1970年代に発刊された有吉佐和子の『複合汚染』はわれわれに「食」生活の基盤についての汚染状況を警鐘する。複合汚染は二種類以上の毒性物質によって汚染されることをいい、二種類以上の物質の相加作用および相乗作用が起こることと定義される。例えば、排気ガスで汚染された空気を呼吸し、農薬で汚染された御飯と、多分農薬を使っているが、どんな農薬を使っているのかまるで分からない輸入の小麦と輸入の大豆で作った味噌に、防腐剤を入れ、調味料を入れて味噌汁を作り、着色料の入った佃煮を食べ、米とは別種の農薬がふりかけられている野菜、殺虫剤と着色料の入った日本茶など。このように私たちが日常、鼻と口から躰の中に入れる化学物質の数は、食品添加物だけでも一日に八十種類といわれている。さらに農薬と大気汚染を勘定すると、何百種類になるであろう。この複合汚染の例は、およそ20年前の話である。今日のわれわれはシーア・コルボーン他による『奪われし未来』で警鐘されるように内分泌撹乱物質(外因性ホルモン様化学物質、いわゆる環境ホルモン)にも取り囲まれている。これらの「食」生活への改善意識は、われわれが「食」の汚染状況を知ることから始めなければならない。

3.奇形ザルの問題と未来の地球環境  
 1997年度における奇形ザルの発生率は、30頭生まれたうちの5頭に奇形がみられた。この原因には、サルたちの食べる餌の中に含まれている農薬が一因とされ、特に有機塩素系農薬には、発ガン性、催奇性があると推測される。その上に残留、蓄積性が高いとされている。そのような農薬のなかには、毒性が認められ日本では既に使用禁止のものもあるが、未だに外国では使用しているものもあるという。そうした農薬を使用した輸入穀物を口にするサルたちは、微量ずつであっても体の中に農薬が蓄積され、ひいては奇形を生み出してしまうのである。このことは、同じような環境にいて、同じようなものを食べているわれわれにも同様に起こっているといえるはずであり、たとえまだ人間に現れていないとしても、いずれは現れると認識しておくべきである。サルたちはその犠牲にすぎない。われわれはこの現象をもっと深刻に受け止める必要があり、このことは、今現在だけでなく次世代以降へも続く大きな問題である。生態系のゆらぎは崩壊へと向かっており、未来の地球環境は今や瀬戸際にたたされている。


日本における社会環境の問題−環境問題とリサイクル−

久山 美保・朝倉 円香
日本・甲南大学文学部

1.公害問題の発生と公害対策  
 日本では1960年代から高度経済成長期に、四日市ぜんそく、水俣病、イタイイタイ病などに代表される公害問題が発生した。そしてこの頃から、日本全国で社会問題として環境汚染に対しての市民の意識が高まった。このような情勢を受け、政府は1967年に「公害対策基本法」を制定し、「大気汚染防止法(1968)」、「水質汚濁防止法(1970)」などの公害関連法を成立させるに至った。市民の環境問題に対する危機感と市民運動や、これらの法律の制定、環境庁の設置(1971)による国内においての監視体制や汚染物質の排出基準の強化などによって、以前に比べて公害による被害はかなり減少してきていると言えるだろう。

2.地球規模の環境問題への関心の高まりと市民運動の広まり 
 深刻な公害問題を経験することによって、市民の間に生活と深く関わっている環境に対する関心が芽生えた。そして次第にその関心は、国内にとどまらず、木材や石油などの天然資源確保のための海外における自然破壊、環境汚染を知ることにより、地球レベルのものへと発展していった。一方で、膨大な天然資源の浪費に伴って、処理能力の限界を超える量のゴミが発生してきた。しかしこれまで日本では、自分たちがゴミを排出することで環境汚染の加害者になっているという認識を持つ者が少なく、ゴミ問題はあまり重要視されてこなかった。ゴミ問題が深刻化する中でそのことに気づき、これをきっかけにドイツで提唱された、「3R運動(Reduce,Reuse,Recycle)」などが日本でも徐々に広まりつつある。とくに日本国内においては、リサイクル運動が盛んとなり、牛乳パック、缶や瓶の回収などがすすめられてきた。また、これらの運動に伴って、最近ではゴミの分別収集も各地で定着しつつある。

3.リサイクルと深刻化するゴミ処理問題 
 しかしながら、リサイクルは本当にゴミ処理問題の有効な解決策といえるのだろうか。リサイクルはあくまでも社会における循環システムの消極的解決方法に過ぎず、根本的な課題である資源節約に、なかなか到達できていないのが現状である。それと同時に、リサイクルする際のエネルギーやコストの問題など、割に合わない点が指摘されている。またゴミは、本来生態系の循環の中で還元できるはずであったが、有機塩素系の化学物質(塩化ビニールなど)の過剰利用によって分解が困難な性質へと変化し、処理の過程で、有害物質(ダイオキシンなど)が発生するといった問題も生じている。そのため、ゴミは蓄積される一方である。リサイクルできるできないに関わらず、これらの化学製品を使い続けることは、根本的に環境汚染問題や、ゴミ処理問題の解決にはつながらないということを認識しなければならない。そして、本当に資源の節約を考えるならば、リサイクルだけに頼るのではなく、ゴミをなるべく出さないような製品の購入の仕方を考え、われわれ日本人のライフスタイルを見直すことが大切ではないだろうか。また企業は、自然における生態系の循環システムの中で分解困難な製品の製造、使用を減らしていくことが望まれる。われわれは、これらの日本における社会環境の問題点を考慮した上で、社会システム全体の流れを変えていく必要性があることを指摘し、日本にとどまらず、各国が協力して地球規模で環境問題を考えていかなければならないと考える。

成熟できない若者の心の環境

嶋本 春恵・平岡 永子・森岡 由美子
日本・甲南大学文学部

1.文明の進歩と文化の退化 
 文明が進歩すればするほど人類も進歩し、より幸福になるだろうと信じ私たちは文明の発展に力を注いできた。しかし文明というものは、多かれ少なかれプラスの部分と同時にその裏にマイナスの部分を合わせもつ。現在の日本の文明社会のプラス面が便利さであるとするならば、マイナス面は心が短絡的、衝動的な人間を多く生み出すことであるといえる。文明が進歩した結果成熟した日本社会は、一方で文化を退化させてしまったのである。生まれた時から豊富なモノに囲まれ、それを当然のものとして育った世代の若者は、待ち、工夫し、努力し、その結果何かを手に入れるということが苦手となり、また情報が氾濫した現代社会では、受身的に情報に動かされるため、自分の主体性、価値観を築き上げるのは困難となった。

2.成熟社会における若者たちの心のゆがみ 
 食べるもの、着るもの、住む所という最低限度の衣食住の欲求がかなえられると、次に問題となってくるのは、主体性を確立する代わりに、外面の主体性としていかによくみられるか、より美しくみせるかという他者の評価や感覚的価値に関心をよせるようになることである。また若者は、ただ単に消費するだけでは飽き足らず、他者との差異性を求めるようになった。例えばファッションについていえば、他者と違ったデザインや材質のものを求めてそれを身につけることが自分の個性となり、自己主張であると捉えているのである。食物についても食欲を満たすだけでなく、よりおいしい物や珍味と言われるものを食べることに喜びを感じる。ちまたに溢れる雑誌などに、「本物志向」や「高級志向」、「グルメ志向」といった言葉が飛び交うのもこういった成熟社会の表れであるといえよう。現在日本の子供たちは、小学校低学年から塾に行き、家に帰ればテレビゲ−ムをする。そんな子供達が大きくなっていくとしたら、対人関係の能力など育たない。核家族化などによる家族のまとまりの欠如、親密さの希薄化、友人関係の乏しさ。現代青年の生き方は、ますます個人主義的になり、感覚的、享楽的な方向へと進んでいる。実際、先進国の中でも日本は有数の個人主義的傾向がみいだされており、環境問題はもちろんのこと、社会全体を考えるという生き方はきわめて少なくなってきている。

3.心の環境からみる地球環境 
 文明の進歩は、逆説的に、ある部分で人間をより未完成、未熟なものにしてしまう可能性が明らかにみえてきたようである。文明の進歩によって破壊されるのは、自然環境、社会環境ばかりではない。心の環境までをも、蝕んでいるようである。近年、日本で問題となっている登校拒否、いじめ、衝動的なナイフ犯罪といった事柄は、若者が発する現代社会に対する警鐘であるといえるだろう。私たちは、文明の進歩とともに多くのものを犠牲にしてきた。21世紀の未来の環境を考える上で、現代の若者の心の環境をなおざりにすることは決してできないだろう。私たちは今回の学生会議において、成熟できない若者の環境に焦点を当てて未来の地球環境について考えてみたい。

環境倫理と環境教育

鎌田 靖子
日本・甲南大学研究生

1.環境倫理と環境教育の必要性
 「自然環境」の劣化に伴い奇形のサルが現れ、また内分泌撹乱物質により生殖作用の障害など生命の存続を脅かす事態が生じている。そこで自然環境に大きな関わりをもつ「社会環境」の改善を目指し、リサイクル運動や環境政策などの動きもあるが、環境の保全という観点からは未だ十分な効果があがっていない。また、自然・社会双方の環境の悪化は、現代日本の成熟社会における人々の「心の環境」のゆがみと強く関連している。 
 このような多方面にわたる環境の破壊を改善し、そして未来の健全な地球環境を後世に残そうと、人々の環境に対する意識を高める「環境教育」の実施が望まれている。また同時に、この教育の指針ともなる「環境倫理」の構築が緊急に必要とされる。
 この発表では、まず自然・社会・心の各々の環境にかかわるモラル、つまり私たち人間のライフスタイルの規範となりうる「環境倫理」の枠組を、環境、倫理、人格の観点から考察し、次に、その倫理の原理に沿った環境教育とはいかなるものか示唆したい。 
 
2.自然・社会・心の環境に関わる「環境倫理」
 自然環境に関わる倫理としては、「自然物の権利」が考察される。自然の破壊が深刻化する現在、生態系を構成するあらゆる自然物が「内在的に価値あるもの」と承認されうる倫理的かつ法的な根拠づけが不可欠である。また、この倫理はひるがえって自然環境の保全につながると考えられる。
 社会環境に関わる倫理としては、「消費倫理」が考察される。今まで、社会環境はいき過ぎた人工化により、その基盤である自然環境から遊離し、劣化がおこなわれてきた。そこで、過速度的な資源の浪費や枯渇を防ぎ、また、地球の存続のため人間の節度のない消費を絶ち、欲求を抑える(simplicity)ライフスタイルを導くために、この倫理が必要とされる。
 心の環境に関わる倫理としては、「センス・オブ・ワンダー:驚きの感覚」(レイチェル・カーソン)が考察される。外なる自然・社会の環境の破壊や人工化に力を注ぎ過ぎた結果、人間は、物質的欲求により内なる心の環境を空洞化された。しかし、自然や社会環境の健全な状態を再確立するために、自然の神秘さや美しさに驚き共感する感性を人々の心に取り戻す必要がある。
 このような三つの環境に関する倫理の考察を通して、各々の倫理が、どのような環境上の保全を可能とし、また社会モラルとしての役割を果たし、さらに人々の人格形成上の望ましい影響を与えるかという環境、倫理、人格の観点からの検討もおこなう。

3.環境教育を実践するにあたって─未来の地球環境を考える─
 これまでに環境倫理の必要性が明確になったが、未来の地球環境を考えるにあたって、いかなる環境教育の実践が期待されるか、次に示唆する。
 ここでいう環境教育は、「家庭教育」、「学校教育」、そして生涯学習なども含んだ「社会教育」から成る。第一の「家庭教育」では、各々の環境にかかわる人格上の要因に重点を置いた情操教育が、親子関係などを通して実施されることが望ましい。それに対して、第二の「学校教育」では、倫理上の要因を重視した道徳性を高める教育が、学校という集団生活を通して実施されることが望ましい。そして、第三の「社会教育」においては環境上の要因を重視し、具体的な環境問題を解決する際、必要な知識や技術の伝達など社会化に向けた教育が、地域などを通して実施されることが望ましい。
 以上のように環境倫理に基づいた環境教育の在り方を大概に示唆してきた。このような教育方法は今後の環境保全の動向に従い、柔軟に展開される必要がある。




中国の大学における学生環境保護組織による持続可能な発展の分析


Wei Honglian
中国・北京大学大学院生,世界環境と発展協会会長

1.はじめに
 中国の大学における学生環境保護組織の大半は、1990年代に設立された。北京では、単科大学と総合大学に20ほどの組織が設立されている。また中国全土を通じてその他の地方や都市の単科大学、総合大学にさらに多くの組織が存在する。

2.設立背景とその役割
設立の社会的背景
 環境問題は、ますます深刻なものとなってきている。
 公の環境教育は、単科大学の学生を含む全ての市民の環境に対する認識のレベルを高めている。
 国際的な団体が、地球規模の環境問題への警告を発している。
環境保護組織の役割
 環境認識を高める。
 環境保護活動に学生が参加する機会を提供する。
 環境保護活動を促進する。
  例:雲南省のゴールデンモンキーの保護運動/廃棄物の分類/野生のガチョウの保護活動

3. 環境保護組織の構成と管理についての分析
メンバー構成
 環境団体は、単科大学の学生、大学生、大学院生、そして博士号を持つ学生によって構成されているが、構成員の大半は、大学生である。
 参加理由;
    環境保護に対して、学問的あるいは個人的な興味がある。
    環境保護に対する責任感。
組織管理の方法
 ほとんどの環境保護団体は、リーダーである議長を中心として自発的に組織されており、さまざまな部門(例えば、学術部・実践部・宣伝部・社会関係部など)を設置している。また教師たちは、指導や助言を与えることが仕事となっている。
資金源とその用途
 組織の大半は一定した資金源をもたない。従って、多くの活動の幅は資金不十分のために制限されている。
活動内容と方式
  学問的側面;
    講座の開講/論文の募集/シンポジウムの開催/討論会の後援/学術論文や大衆向け書籍の編纂
  実践的側面;
    屋外調査/工場見学や学術研究の調査への参加/調査と研究
  普及活動;
    壁新聞の編集/出版物の編纂/年に一度の「環境文化祭」の開催
組織の団結
 内部の連絡がよくとれていないためいくつかの組織は団結力に不足している。 
  内部連絡の方法;
    会合/出版物/ポスターの掲示
組織間の協力
 環境保護団体は各々で活動しているため、相互間の協力は多いとはいえない。

4.環境保護組織維持を強化するための対策
組織の統一
 主要な指導施設の割り当てや効果的な組織体制の構築。
組織内部関係の強化
 内部でのミーティングを頻繁に行う・定期的に出版物を作成。
組織会員の柱となる人物や、指導後継者の養成への努力
 環境に対する知識の増強。環境に対する認識の強化。活動する機会を提供。資金提供を安定。
  3つの資金源;
    大学の配当金/会員費/社会的支援
活動方法の改善
 活動の参加水準をあげる。教育活動の具体化をはかる。広範囲かつ徹底的な活動を行う。全ての単科大学、総合大学の環境保護組織間の接触や協力を強化する。
通信方法
 パーティの開催。印刷物の出版。
  例:1997年4月22日「アースデイ」に首都の単科大学と総合大学が共同で教育活動を開催
他の組織と環境保護組織の間の交流を強化する
 共産党青年同盟を含む他の組織とすべての学部、学校、単科大学そして総合大学の学生組合・影響力を広げるため他の法人(人材,資金,影響力)の資源を利用する。

5. 最後に
単科大学、総合大学で行われている学生環境保護組織の活動は、今日の中国における公の環境保護制度のなかでも重要な参加方法の一つとなっている。それゆえ、われわれは彼らの健全で持続可能な発展を助成するために、これらの環境保護組織の教育活動を指導、支援、肯定するべきである。

Shenzhen市の環境の質及び汚染

Li Yannan
中国・北京大学大学院

1.背景
 Shenzhen市は広東省の南部に位置している。その南には、香港新領土が隣接し、東には大鵬湾が見渡せ、西は珠江三角洲であり、北にはDongguang市とHuizhou市がある。Shenzhen市の総面積は2,020平方キロメートルで、なかでも経済特別区は327.5平方キロメートルを占めている。1979年3月、Shenzhenは中華人民共和国広東省の管轄のもと、市となり1980年8月に経済特別区に指定された。Shenzhen市には五つの区Louhu区、Longgang区、Futian区、Nanshan区とBaoan区、なかでもLuohu、Futian、Nanshanの三つの区は、Shanzhen経済特別地域の中に位置するものである。
 1996年の末頃、103.38万人のShenzhen戸籍の永住民と、255.1万人の現地戸籍のない者を含む、市の総人口は358.48万人に上った。GDPは1996年には、95億人民元(1990年の一定値による)になり前の年と比べて16.4%増加した。社会経済の発展促進に従って、国の経済における第一次産業の比率は2%も下がり、農業の面からみても、土地資源の地域及び稲作に大きな減少がみられた。しかしながら、交通、エネルギー、情報、そして水の供給などが完備され、また、陸、海、そして空の三次元交通ネットワークが建設され、黄田飛行場には76の国内便と5つの国際便がある。

2.水質と汚染
近年、この試験地域における水の汚染問題は、急速な人口増加、工業発展、都市の拡大の結果として、一般的にひどくなってきている。家庭排水や工場廃水の未処理の排出のため、川の水質は悪化している。Shenzhenの大部分の川の水質は、国家地上水質標準の三級(GB3838-88)にも満たない。工場が排出した汚水は、主に製紙と同様に印刷と着色過程、食品、皮、電気メッキ、化学工業部門からきたものである。1995年に、工業廃水の総排出量は、ほぼ2,600万トンになった。これは1993年と比べて、25%の増加を示している。1993年の家庭排水の総排出量は142.27万トンで、都市の総排出廃水の約85%を占めていた。Shenzhenの主な川の水質は、川の水源が汚染されている場合を除いて、川の中流、または下流でより悪化している。これらの川の汚染の主な原因(主に有機体)は、未処理の家庭廃水を排出していることによる。
 さらに近年の、川の流域内の大規模な開発は、深刻な土地の侵食をもたらしている。国家標準の二級に満たない水質であるShenzhen湾を除いて、Shenzhen沿岸の水質は一般にかなり上質なものである。大亜湾と大鵬湾の水質は、国家海水質標準の二級に達している。前海湾は珠江からの有機体汚染に影響されているのだが、富栄養化を生じてしまっている。Shenzhen湾は、Shenzhen河、Dasha河、Yanlang河(最近香港で生じたもの)から汚染物質が流れ込むため、汚染されている。 

3.大気質と汚染
 Shenzhen市の大気質は、国家大気質標準二級に達している。Louhu湖、Longgang、Futianなどの地域では、国家大気質標準二級に達する大気質に改善されている。主な汚染物質はTSPとNOxである。さらに、1996年の平均年間降雨のPH値は、5.21で、ここ数年の間わずかな変動しかなかった。Shenzhenでの頻繁な酸性雨の発生は、1996年には4%減少した。

環境倫理と持続可能な発展

Mao Xiaoling
中国・北京大学大学院生,世界環境と発展協会事務局長

1.人類の生存危機
 今日、人類は数多くの環境問題に直面しており、恐ろしい影響が発生している。人口増加、種の絶滅、山林伐採、土壌侵食、水不足、地球温暖化、酸性雨、オゾン層の破壊、環境汚染(水質汚染、大気汚染、廃棄物問題を含む)などがそれである。人類が直面しているこれらの環境問題は非常に深刻で、人類が持続不可能な道をたどっていることを示している。環境の危機について研究してきた人々の多くは、人類がここ数年間、地球上の生命維持装置の破壊なしには存在し得ないということを確信している。

2.持続可能な発展を持つ社会の構築
 1987年、国連によって設立された世界環境と発展委員会(WCED)は、『われわれの共通の未来(Our Common Future)』と題された新境地を開いた本を出版した。その本の著者は、“持続可能な発展”を“われわれの需要を満足させると同時に未来世代の需要を満足させることにもマイナスの影響を及ぼさないような発展”と定義している。現在さらに広い意味をもつ定義が、より多くの人々によって受け入れられている。人類自身の生存と発展を考えると同時に、われわれと共にこの地球を分かち合っている多くの生物が生存するための必要条件を考えなければならないというものである。

 持続可能な社会は、以下のような原理に基づいている。
1.すべての生命は、健康的で充分に機能している生態系に依存している。
2.地球上の資源の供給には限界があり、それはすべての生物が分かち合わねばならないものである。
3.人類は自然の一部分でしかなく、人類の行為は自然のルールを守らなければならない。
4.人間の成功は、支配や統括よりもむしろ、自然との協力、生命のネットワークとの調和からもたらされている。

 持続可能な発展をもつ社会の構築は、人類が根本的な改革をおこなうことを要求している。これらの改革は、人類全般に及ぶはずである。農業から工業、個々の生活にいたるまでのわれわれの文明全般に及ぶだろう。最も重要な条件の一つは、直線的な考え方から、システム的な考え方への変革である。そのシステム的な考え方は、われわれに全体的な観察を促すので、われわれは必然的に問題、特に環境問題の起こる原因を探すことになるであろう。いくつかの変革は、立法的な行為や、討論を促進させる新しい法律や条令、リサイクル、再生可能な資源の利用、修復、汚染の管理によってもたらされるであろう。科学技術の革新はまた、われわれの持続可能な進路へ導く助けとなるであろう。実際に、持続可能な発展の解決は、大小の企業や、個人、政府における行為を必要としている。個人においては、われわれは地球への影響や、持続可能な発展への貢献を基盤として決定をしていくことを学んでいかねばならない。

3.環境倫理─持続可能な発展をもつ社会の基盤─
 倫理が人間の行為の基盤となっていることから、われわれの考え方の変革は、われわれの行動様式を変え始めることができた。1949年野生生物エコロジストであったアルド・レオポルドによって提唱された土地倫理は、動植物などの生物や地球上の物質を含むすべての資源には存在する権利があり、少なくともある特定の場所においては自然状態で存続させるべきだと主張している。この有効な倫理は、われわれの役割を土地の征服者から市民であり環境の保護者である立場に変えた。この新しい役割は、われわれに自分たちの土地を崇め、愛することを促し、また土地を使い切ったり浪費したりできるような日用品として捉えてはならないということを要求している。従来の倫理的関心は、社会的要因(人の間柄の関係)と関係があったのだが、1970年代において、哲学者たちは物質的、生物学的な環境の価値に関連した環境倫理について議論し始めた。1992年のリオ会議以来、持続可能な発展の倫理、そしてその実践は新しい価値システムとして、全世界で成長している。持続可能な発展の倫理的システムは、持続可能な発展の社会への基盤としておかれた、新しい規範である。
 持続可能な発展の倫理の主な信条は、“There is not always more.”であり、それは、地球における資源の供給には限界があるということを意味している。持続可能な発展の倫理の中心的価値は、他の種や他の人間の範疇に、人間の活動が及ぶべきではないと考え、生活を共有することを尊重し、配慮することである。そして持続可能な発展の倫理は、自己中心的な考え方を遠ざけ、社会や地球全体のために良いことを奨励することを必要としている。今日生きている全ての人々、未来の世代の人々、そしてわれわれと共にこの地球を分かち合うたくさんの種のために、人類は自分たちの行為を制限するべきである。持続可能な発展の倫理は、このように、倫理的な指針を実行に移しながら、社会がそれによって機能できる六つの原則をはっきりとさせる。それらは、対話、リサイクル、再生可能な資源利用、修復、人口抑制、そして適応性である。


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