北京大学における環境教育の展開
田 徳祥
中国・北京大学教授
北京大学は中国で一番早く環境教育を行った大学である。1973年から今までの実践を通して、北京大学ではしっかりとした基礎をもつ学部を備え、十分に組織された環境教育システムを構築した。
1.北京大学の環境専門教育
北京大学には専門的に環境教育を専攻するための多くの研究所がある。「都市と環境」学系には環境専攻があり、生命科学学院には環境生態系がある。環境科学センターと環境プロジェクト研究所は、環境教育と研究センターを設けている。
「都市と環境」学系は本来地理学部から発展してきたもので、主に人類の生存環境と社会の持続可能な発展を研究している。1973年には、この学系は早くから環境専攻教育を行い始めた。この学系は、学部の備わった充実したところで、“学士課程−修士課程−博士課程”という人材養成課程を設けた。
生命科学学院は環境生物学と生態学の学系を有している。中国環境生物学と生態学の領域では一番早く設立された学系である。いまこの学系は研究内容が広く教師の指導力も優れている。そしてコースの設立は充実したものであり、“学士課程−修士課程−博士課程”の課程を確立している。
環境科学センターは、1982年に提案され、1985年には附属から正式なセンターになった。設立の目的は、各学系に分散した環境教学・研究・仕事の調和を計ることである。このセンターは、国家環境保護局と北京大学とによってリードされている。特に“国家環境保護局北京大学高層環境保護幹部養成部”を設けている。いまこのセンターで“学士課程−修士課程−博士課程”の課程を設立している。
環境プロジェクト研究所は、1995年に設立された。理科系を中心に理学と工学の組み合わせを特色とする。教育、研究、技術コンサルタント、サービスを一緒にする研究組織である。二年前からこの研究所は北京大学の実力のある地理科学及び情報科学を基礎として、環境科学を中心に、理学部と工学部を組み合わせて基礎理論研究及び実用研究を展開した。今後、続けて環境科学、情報科学と理工科学を融合する教育研究の方針をとることになっている。
北京大学は、文学系と理学系を備える総合大学で、学部も整っていて、教師のレベルも高い。現在、北京大学で設けられている環境と関係のあるコースは、環境学、生態学、環境規則と管理、地球変化と環境予測、環境化学、環境法律学、自然地理学などである。
北京大学は、環境保護領域で顕著な功績をあげてきた。百近くの重要な環境研究プロジェクトをリードし、数百の学術論文を発表し、中国の環境教育に多量の教材と科学技術専門著書を出版した。二十数年来、環境保護領域に千人近くの学士、修士、博士を養成した。その多くは、環境保護方面の主要な人物となって、中国環境保護事業に大きな役割を果たしている。
2.北京大学の環境普及教育
北京大学の環境科学センター及び「都市と環境」学系では、環境保護教育クラスと通信教育を行っていて、その受講者は国家幹部、小中学校・高等学校の教師、企業の職員などあわせて三千人にのぼる。
環境保護オフィスは、北京大学の環境保護行政管理部門である。環境普及教育の仕事を数多く行っており、1973年に設立されて以来、オフィスは環境保護の意義を宣伝したり、環境科学の知識を普及したりして、学生の環境意識を高めている。
北京大学には三つの環境保護にかかわる学生団体がある。“環境と発展協会”“緑の生命協会”“イスマン環保協会”である。これらの団体は、環境保護知識の宣伝や教育を行う上にキャンパスの環境研究をも行ている。
“北京大学環境と発展協会”は1991年に設立された。「都市と環境」学系の学生を主なメンバーとしている。協会は主に環境保護と持続可能な発展に関する学術的実践や宣伝教育を行っている。この協会は、年間百人から二百人の新しいメンバーが入会している。この七年間の間、千人近くの北京大学学生、院生が入会し、学生の環境意識は大きく高まった。
3.北京大学の環境教育の展開
今後、北京大学は環境専門教育と普及教育において以下のような主旨を学生に伝えていかなければならない。
1. 環境価値観:
環境資源は価値のあるものであり、技術に関して、その環境影響を考えなければならない。
2. 持続的発展観:
発展は必要であるが、持続可能な発展形式をとらなければならない。
3. 環境倫理観:
人間と自然は平等な関係でつき合うべきである。現在の人間と人間との間、現在の人間と未来の人間と
の間は、環境に関して平等である。“自分にとっていやなことを他人にしてはならない”という環境倫
理の原則を守るべきである。
4.まとめ
今年5月4日に北京大学は百年の成立記念日を迎える。今後、百年の学府として、北京大学は伝統を受け継いで、環境保護事業のためにより多くの人材を養成するであろう。
科学技術と人類の自然道徳
田 徳祥
中国・北京大学環境保護オフィス所長
生態倫理学 Ecological Ethics または環境倫理学 Environmental Ethics は、自然道徳
Natural Ethics に関する学説である。この学説によって、道徳に関する理解は人間対人間から人間対自然にまで広げられた。環境倫理学において、道徳的対象の範囲は、人類共同体から人間−自然共同体に変化し、道徳的対象は人間ばかりではなく、動物や植物そして無機物にまで及ぶことになった。
人間と自然との道徳的関係についての人間の認識、およびその認識から形成された自然道徳観は、人間が自然を改善する実践レベルの変化によって変わってきた。その変化は、以下の四つの段階に分けられる。
第一段階:原始時代から文明の初期あるいは農業革命初期
この段階では科学技術のレベルが低かったので、人間が自然に対して何もできなかった。受身的に自然の命令に屈服しただけであった。人間から見れば、自然界は広大で計り難く、限りなく神聖なものであった。そんな状況から、宗教の最初の形である自然崇拝の観念が芽生えた。この時代の人間は、自然に対して少女のような温順と謙遜な態度を取るのが正当であり善であると考えた。
第二段階:文明初期から近代ー農業革命から工業革命の時期ー
この段階では、特に工業革命以来、人間は自然と戦う一番有力な武器つまり科学技術を発明した。自然と戦う中で、人間は科学技術を利用して大きな成功を収めた。この段階から人間はかつてのように自然を恐れるのではなく、自然の主人になったのである。そこで「人間は万物の霊長である」、「人間は必ず天に勝つ」、あるいは「創造力の及ぶところに生産力が達する」という観念が生まれてきた。このとき、人間の自然に対する攻撃は、あらゆるところで勝利を収めた。この時期は、自然を降伏させることに有益なものであれば、一切が正当であり善であるとされた。
第三段階:現代
特に20世紀に入って以来、絶えず発展する科学技術は、大きな力を持って私たちの世界を変えてきた。人間は科学技術とそれによって発展してきた生産力に頼って、山の土で海を埋立て、風や雨を予測し、科学技術の万能を固く信じてきた。しかしその力が、制御から解き放された馬のように、それ自身の力で暴走し、コントロールできなくなっていることを人間は忘れてしまっている。科学技術は、人間の財産を大幅に増やし、自然からの圧迫を取除いたが、同時に人間の野望と貪欲さを肥大させ、自然に対する巨大な脅威を形成した。その一方で、自然の人間に対する復讐をも激しくした。様々な公害や環境汚染の続出が、全世界の環境問題として人類に迫ってきたのである。
第四段階:現在から未来
1972年に国連は、初めての人間環境会議を行った。人類は、一度の恐慌と理性の困惑を経て、やっと自然から搾取した一切のものが自分たちの生存に欠くことのできないもの、つまり環境に対する破壊を代価としていたことが分かった。人類は反省を始めている。自然界における人間自身の本当の地位と役割を認識し始めたのである。人間と自然は兄弟のような関係である。自然界における万物の生存権を維持することは、つまり自分の自然生存権を維持することと同じである。自然の万物との快いつき合いを守ってそれを促進することこそ、人間自身の根本的な利益なのである。従ってこれこそが正当であり善なのである。
人間の科学技術に対する認識に新しい変化が起こってきている。科学技術を評価するには、人間にもたらす経済利益と社会利益を見るだけではなく、環境利益をも見なければならない。そして自然から吸収すると同時に、いかに自然に補償するか、いかに自然界の生態平衡を安定させ維持するかをも見なければならない。これは現代倫理学の、自然道徳に関する最高原則である。この考え方から一切の戦争と軍備競争を反対し、あらゆる形の自然に対する略奪的な開発を反対し、同時に科学技術のエコロジー化、人間の経済社会活動のエコロジー化を提唱しなければならない。そして、人間と人間、人間と自然との快いつき合いができるような新しい道徳観を育てるためには、幾つかの世代における努力が必要となるだろう。
農業と自然環境−農業技術と自然の回復−
シリワット・ソンダロトック
タイ・ラジャバト王立研究所環境教育センター副所長
農業と自然環境
この論文では、タイの農業の歴史を紹介し、近代農業の環境に与える悪影響について言及する。それから、代わり得る(オルターナティブ)農業について論じられる。
1.はじめに
タイは514,000平方キロメートルの国土を持つ農業国である。1952年当時のタイの人口はわずか1,800万人であった。それ以来、急激に人口が増加し現在では6,000万人となっている。タイは世界をリードする米の生産国で、年平均2,000万トンを供給しており、人口の60%の農民が伝統的農業で米作りをしている。過去45年間で最大の変化は、地方において自給自足の農業をしていたのが、商業と輸出の為の農業に変わったことである。こうして農業生産高を上げるために使われた近代技術は、環境問題を引き起こす結果となった。
2.タイの農業
伝統的農業
以前のタイの農家では、家畜を飼い地方原産の農作物を育てていた。農民は自然農法や、多量の堆肥や有機肥料の方法を求めていた。農民の文化は、生産高を上げるために収穫祭、雨乞いの花火、川などを尊重するロイ・クラトン祭のような儀式をおこなって共に働くことで築かれた。
近代的農業
大部分の現代農業は、広く行き渡った単一文化と集団農業に依存している。化学肥料や機械、改良された植物と家畜に依存したこの農業は様々なところで失敗に終わった。そして、そのような現代農業は共同体を崩壊させ、生態系を破壊し、遺伝子の多様性を奪い、生産者と消費者の健康に被害を与えるといった悪影響を残した。
3.持続可能な農業すなわち代わり得る(オルターナティヴ)農業
タイ国王が新しい農業を求めて持続可能な発展という構想を王立事業計画として採用してから、20年が過ぎた。この計画は「持続可能な農業
Sustainable Agriculture」と呼ばれている。この持続可能な発展の農業は、地域の人たちが理解し採用できるように、簡単なものであるだけでなく、実際に有益で経済性に富み、また天然資源を保全するような方法である。農場の地理的な条件を考慮した耕作機械を導入し、自然と総合的農業とのバランスによって害虫の蔓延を防ぎ、維持可能な農業の活動をおこなっている。タイでは「統合農業」と呼ばれる新技術を開発した農民がいる。その農業のめざすところはより大きな規模の統合と生態系の再生を促進することをめざしている。つまり、それは化学肥料を少なくし、農薬を避けまた適合する技術を使用している。そのような農業哲学の考え方は、地域社会の自立と、試行錯誤を通して学んでいくことを強調する。
4.結論
農業と環境の結合のためには、食料の自給自足をめざすべきである。現金収入の得られる穀物の輸出に頼るべきではないのである。
農業は、環境に与える衝撃を最小限に押さえるための人間社会のシステムと環境を結びつけるアプローチである。したがって、人々が生態系にもっとも適した農業形態を採用した時、生じる経済損失、人間の欲求、社会・経済的問題、自然災害、環境保護の諸問題を心に留めて置くことが大切である。
植物学と生態系の関係-カナダ・先住民の観点から-
ナンシー・ターナー
カナダ・ヴィクトリア大学教授
言語的にも文化的にもカナダの先住民は多様性に富んでいる。そして、彼らはカナダの土地に長年居住し、特に地域の資源に生活が支えられてきたので、カナダの自然環境と多くの共通点を持つ。先住民たちの植物、動物や地域との関係はそれらに対しての深い尊敬と感謝の念に特徴づけられる。そして、資源を浪費したり、乱用したり、貯蔵したり、使いすぎたりすることに厳しい文化的規制がある。食物、物質や薬はすべて、それらが人々に益をもたらす「精神的なもの
spiritual entity 」が認められる範囲で注意深く取り入れられる。
この私の発表では、私が最もよく知っている地域、ブリティシュ・コロンビアの人々と植物の関係の事例を紹介する。最初に、情報と経験をともにした多くの先住民の人々の知恵と知識を紹介する。彼らの多くは今ではもう年老いてしまっているが、まだ若い頃は生活を成り立たせるために野生の植物と動物に大きく依存していた時代であり、多くの伝統的な採集の習慣を行っていた。人々は広範囲にわたって狩りや漁を行い、また木の実を集め伝統的な薬草を使用するが、近年これらの習慣は減少しつつある。
先住民の人々が、どれだけ自然環境と深い関わりがあるかを例証する最良な方法は、彼らの物語と説話を読むことである。そこで、私は人々と土地との関係を例証する4つの説話を紹介する。
最初の説話は、“Nlaka'pamax(Thompson 版)”によると「古き一者 Old-One」と「天地の創造」について書かれているこの物語の中で、創造者は地球を女性の肉体から作り上げる。彼女の髪は木や草原に、肉体は粘土に、骨は岩に、血液は沸き上がる水になる。だから、人々は彼女の上で生活を送り、栄養を彼女から引き出し、彼女の体すべての部分を使用する。
第二の説話は、私の友人であり同僚であるデイジー・スイッド・スミスの“Kwakwaka'wakw”家族の話で、これは神聖なヒマラヤ杉にまつわる儀式の起源について書かれている。どのようにデイジーの先祖がヒマラヤ杉に洪水から救われ、またその杉をどのように尊敬するようになったかを教える。
第三の説話は、“Hesquaiht Nuu-Chah-Nulth”という三本の黄色いヒマラヤ杉の話で、これは三人の女性が人々の役に立つためどのようにして木に姿を変えたかという話である。
第四の説話は、“Nuxalk又はBella Coola”という一人の女性が、自らが摘み取った人の形をした“Blueberry
Boys”という名の木の実をどのようにして敬うようになったかという話である。このように先住民族には長い年月をかけて口承された説話が多くある。
これらの説話の内容と、先住民が彼らの子孫にどのようにして土地やその他の生命体に対する適切な儀礼や尊敬の払い方を伝えたかを、私は発表の中で検討する。また、先住民が植物や動物を扱う際の表現方法の適切性や、彼らが動植物をとったり加工するに際して、利用し過ぎないように十分に配慮する慎重性などについても吟味する。
さらに、先住民の人々の植物や環境に関する知識や用途についても吟味する。例えば、次のような実践的な方法も含まれている。それは、植物の資源を維持が可能な状態で使用したり、重要な資源を最適に生産するためその生息環境を設け維持する方法や、植物や環境に関する知識や情報を交換または伝達し合う伝統的な方法などである。
このような知識をシステム化するには言葉は欠かせない要素である。カナダの歴史の中で、植民地化が始まって以来、先住民の人々が持つ文化や言葉そして幸福な生活の喪失が深刻である上に、近年さらに土地と水の両方に関わる環境劣化が生じていることを紹介する必要があると考える。なぜならたびたび、先住民についての見通しを考慮することなしに土地は開発され、また資源が搾取されているからである。
先住民の人々は、幾度となくないがしろにされ、彼らの豊富な知識体系は開発や搾取の計画や決定の場において無視され続けてきた。ブリティッシュ・コロンビアにおいて彼らが伝統的に大切にしてきた土地に対する公的な居住権は全くなかった。
先住民は、狭く不十分な保護区に定着させられ、彼らの伝統的な土地や資源を使用することをしばしば妨げられた。その結果、彼らは独自の文化や思想を喪失し、また植物や土地に関する伝統的な知識を多く失ってしまった。
近年、彼らはこういった状況を改善する試みの率先に意欲的である。そして今日では、政府や企業、市町村自治体のおこなう土地や資源の利用計画に積極的に参加している。彼らの植物や自然に関する知識の多くが普及されつつあり、また教育プログラムや公園または保全区域の管理、さらに林業、水産業、観光事業などの経済の展開に、彼らの知識が活用されている。このように先住民の伝統的な知識に対して人々が尊敬の念を持ち始めているが、この気持ちはおそらく将来まで長く続いていくであろう。
韓国の環境運動と環境教育
−社会教育を中心に−
李 時載
韓国・韓国カトリック大学教授
1.1990年代における韓国の環境運動
韓国の環境運動は、1980年代に比べ、大きく変化した。主な変化は参加者の構成、運動の目的と目標、戦略と戦術、そして資源動員の方法などに渡っていた。1992年の国連環境開発会議(United
Nations Conferece on Environment and Development )以後、人々の環境意識は大きく成長し、環境保護団体の会員もふくれあがった。一般市民、女性、ホワイトカラー労働者、専門家などが新たに会員として加わった。学生運動家集団や政治的反対者は運動のなかで少数にとどまった。
公害企業と政府は1980年代には主な攻撃の対象であった。しかし、1990年代に入り環境運動は一般大衆の幅広い支持を得るよう努めた。政治的民主化は環境運動のみならず1980年代のすべての市民運動にとってもっとも重要な課題であった。しかし、1990年代には諸運動団体の目標は環境、女性、教育、都市貧民問題、参加民主主義など、多岐に渡っていた。環境運動団体は一部の企業や政府とのパートナーシップを求めていた。1993年の文民政府の出帆以後、市民団体に対する政府の対応も変わってきたからである。1990年代の環境運動の新しい流れのなかで二つの顕著な特徴に注目したいと思う。それらは環境運動のなかに環境教育と生態学的な観点を導入したことである。
2.韓国における非公式的環境教育
韓国の環境運動団体は1990年代以来、特に市民教育運動に力を注ぎはじめた。子供たちのために生態教育を開いたり、生態機構を組織したり、また大衆に対する講演会をひらいた。韓国の環境団体にとって教育とキャンペーンは同じ性格のものである。環境教育は、環境団体にとって資金動員と会員の募集のためにも役に立った。政府が特別に市民のために環境教育のプログラムをもっていなかっただけに、環境団体の教育活動は非常に重要な意味をもつものである。
しかし、環境団体の市民教育活動は大きな問題点を抱えている。彼らは専門性に欠き、施設は不足し、教育のための賃金も十分ではなかった。教育担当者は適切に訓練を受けておらず、教材は標準からほど遠く、教育も体系化されていない。
一方、新聞、放送などマスメディアは環境保全のために大々的なキャンペーンを展開した。マスメディアは、ごみ問題、食水源の汚染問題、植林運動、リサイクル、エネルギーの節約をとりあげた。マスメディアによるキャンペーンは非常に大きな反響をひきおこした。これらのキャンペーンは市民の環境意識を高めることに貢献したと思う。しかし、マスメディアによるキャンペーンは持続しなかった。マスメディアは時流にのっとってキャンペーンを展開したが、やめることもあった。マスメディアは生活の場で市民を組織することはなかった。
環境運動をとおして、環境教育は自然、人間、社会に対する人間の態度を変えることにおいて必要かつ不可欠なものであるということが明らかになった。しかし、個人的次元における態度の変化は根本的なアプローチではあるが環境保全のために充分であるとは思えない。現在および未来世代のために環境を保全するためには政府の産業、環境政策と諸制度をあらためることが絶対必要である。いいかえれば環境運動は人々の心のなかにおける態度の変化と社会的、政治的構造の変化を同時に求めなければならない。
3.環境運動における生態学的観点
1980年代の韓国の環境運動は政治的な性向を強く帯びていた。政治的民主化は環境保全のための前提条件であると思われていたからである。市民運動団体は1990年代にはいりそれぞれの目標を追求する以前にはすべてが政治的民主化を追求した。たとえば反核運動は生態学的理由からよりも政治的理由から動機づけられたようにおもわれる。それに反して、1990年代の環境運動は野生動物、湿地、海岸埋立、捕鯨禁止等にたいしても関心をもちはじめた。これは韓国の環境運動においてあたらしい傾向である。環境教育においても1980年代には非常に政治的な内容をもっていた。しかしいまは生態学的な意識開発にもっと焦点をあてるようになった。
4.環境運動、地方政府、マスメディアの間の協力を求めて
生態学的な展望に基づいて環境教育を推進するためには環境運動は地方政府とマスメディアから協力を得る必要がある。地方政府とマスメディアは環境団体が必要とする資源(資金、施設、制度等)をもっている。地方政府は環境保全と関係してさまざまな利害集団が相互作用して政策を決定し、制度をつくりあげる政治的な場である。日本の川崎市の事例から私は親環境的政策をつくるためには地方政府の在り方をかえることが非常に重要であるということを知るようになった。環境汚染を緩和するためには産業体制をかえなくてはならないし、そのためには市民の主導と力の結集が必要かつ不可欠である。こうした目的のためには環境団体が地方政府とマスメディアから可能な限りの資源を動員しなくてはならない。環境教育は市民が環境について目覚めることのみならず、“持続可能性”世界構造を支えている社会、政治、経済の構造についての意識の開発をも目指すべきである。
グローバル教育と環境教育
−オーストラリアにおける環境教育の実践−
リチャード・スミス
オーストラリア・南オーストラリア大学客員研究員
1.はじめに
ここでは、次のことを述べていこうと思う。
・グローバル教育とは何か
・オーストラリアで提唱されているグローバル教育はどのようなものがあるか?
国家や民間における教育システムは?
学校卒業後の制度は?
教育以外の国家の機関は?
国家以外の機関は?
・間違ったグローバル教育とは何か?
・オーストラリアにおけるグローバル教育の欠点は何か?
・オーストラリアのグローバル教育はどのようにして効果的になるか?
2.グローバル教育とは何か
オーストラリアでは、この活動は少なくとも5つの領域から成り立っていると普通は思われている。それぞれの領域は、生徒達を啓発する手助けをする。
・考えと情報の認識の自覚
・彼らの気づきを促進し、協力して活動することができる技術を実践する能力
・状況を改善し問題解決への気づきと能力を使用する動機づけ
・その改善と解決の成功の経験
5つの領域は生徒達が正しく評価し改善する手助けの中心の論点は次のようなものである。
・環境教育−人間が自然を管理したり環境を巧みに処理したりする時の不適切な方法により引き起こさ
れる問題
・開発教育−世界の多くの人々によって認識、経験される経済的・社会政治的不利益
・多文化教育−少数者、すなわち「主流でない」集団の過小評価につながる偏見と固定観念。地域固有
の学問は時には多文化教育の下層の部分と考えられる。すなわち、多文化教育は多くの先住民が、
6番目の領域として権利を認めることを認めると保証すると主張する。
・平和教育−闘争の解決における暴力の利用
・人権教育−個人と集団、一般の少数集団の基本的人権の否定
別の考え方は、あらゆる方向に十分適応できることをめざすのが開発教育である。それは、学習者が権力の乱用による不公正さを減らすようにするために、自らを伸ばすのを助ける教育である。文化的背景がどのようなものであれ、他のすべての人の権利、そして人間が地球上で共に存在している生きているものも生きていないものもすべての権利を重んじることと、大切にすることを学ぶ。そのとき得られるものは、人間と他のすべての生き物そして惑星が共に生きてこそ平和が保たれる地球社会である。人間以外の他のあらゆるものを含んだ教育分野としてのグローバル教育か開発教育のどちらかをえらぶということは、ここでの私の主な関心ごとではない。それよりも私はオーストラリアで扱われている5つの領域の方法を要約したいと思う。よってこの論文のサブタイトルは“オーストラリアの地球ないし開発教育”である。なぜならば私は、環境教育がこれらのアプローチのいずれかの下部層であると考えるからである。
3.オーストラリアではどのようにグローバル教育が取り組まれているか
3-1 国家と民間教育システム
国家と民間教育システムは、小学校以前から高等学校の時代にわたって8つの学習分野を準備している。「社会・環境学習(SOSE)」は、グローバル教育の主要な資源とみなされていて、環境教育との関係からいうと特に技術、科学、健康、自然教育とかかわる。ほかの4つの分野は英語、美術、英語以外の言語、数学である。これは、環境教育のように、グローバル教育もまた教科として正当に扱われることがなかった。現実の生活問題を取り扱うクロス・カリキュラム活動であると考えられたわりには不十分な教育モデルである。例証は、どのように、「社会・環境学習」が、グローバル教育の紹介と学習を推進するために組織されているか、そしてどのように統合的なプランが使用されるかについての事例があげられている。しかしながら、カリキュラムの全国共通の文書は、学校教育を管理する州政府のもとにあるためグローバル教育はオーストラリア全土で、違った方法で取り組まれている。州政府は教師のための職業的発展プログラム(PD)の基金を作った。その基金は州と国により作られた組織に利用されてきた。その組織は、英国で開発されたような国のカリキュラムを特に意図したものではなく、全国共通の文書の枠組の中で「職業的開発」にかかわっている。事例は、この「国立職業開発プログラム」のもとで示された計画によって与えられる。宗教や人間性を強調する私立学校は、政府の示すカリキュラム・ガイドラインとの結びつきは強くない。大学の教育学部は他の大学との協力を得て若者の環境フォーラムにおいて自分達の意見を発表することを支援している。
3-2 社会人教育施設、大学、技術・職業短期大学
これらの教育施設は、開発教育や環境教育に関するコースや単位を取得する学部を設けている。オーストラリアの多くの大学は、
Talloire 宣言に調印している。その宣言は開発、環境に責任をもつカリキュラムと運営を拘束するものである。しかしながら、卒業後、学習の場の施設がない。グローバル教育の5つの分野にかかわるカリキュラムと運営は、環境に責任をもって行動することを教える学習施設がない。
おそらく無関心の原因は次のようなものである。教育学部が明確で、本質的な注意をグローバル教育、環境教育に払っていることがほとんどない。または個人の取得する単位あるいは全体のカリキュラムにおいても教育大の学部はグローバル教育や環境教育に注意を払っていない。しかしながらオーストラリアのいくつかの大学は環境教育に対して批判的なアプローチの最前線にいる。つまり、効果的なグローバル教育による環境教育とは学習者が、前述した発達の第4段階の発達を経験することで起こりうる。そして、その段階は状況の改善と問題解決へと導くのである。
3-3 政府の機関と教育
政府の機関においては国家政府の省局や委員会、機関があり、これらは平和教育を除いたグローバル教育の5つの領域のためにある。国家政府もまた同様の機関をもつ。これらのすべてを紹介する時間はここではないが、例えば、国家の外務・貿易省は、外国の援助プログラムを出版し、グローバル教育に大きく貢献している。特に、オーストラリアの多くの県庁にグローバル発展教育センターの建設のために資金援助し、教育者にたいしてはカリキュラムに役立つ教材の発達や実行に資金援助している。The
Overseas Service Bureau's Australian Volunteers Abroad の資金援助プログラムもまたグローバル教育に貢献しており、特に教育活動が多くのボランティアによって実施されている点、またボランティアがより視野の広い世界観を獲得するという点、さらに彼らの従事する仕事において新たな視点を生かすという点で意義深い。オーストラリアの環境庁や環境に関する事例を管理する国家政府は、オーストラリア環境教育学会に対し学会の開催や他の支援を行う。また、教員のための機関はオーストラリア環境教育学会と協力して環境に関する国家計画を発展させることに力を注いでいる。今年は、特にこの環境教育の課題が中心に取り上げられることを望み、またオーストラリア全土にわたって多くの環境教育の計画が認識され指示されることを望む。国家遺産協会はランドケアにおいて環境プロジェクトや他のプロジェクトを援助し、その多くがNGOにより実施されている。
3-4オーストラリアのNGO機関
・Amnesty International
・Greenpeace
・The Australian Conservation Foundation
・The Wilderness Society
・The Australian Association for Adult and Community Education )
・The Australia's National Strategy for Ecologically Sustainable Development
・The Australian Council for Overseas Aid
・Community Aid Abroad
・The Australian Institue
・The Australian psyche etc.
4.オ−ストラリアにおけるグローバル教育の欠点の源泉
私はグローバル教育の定義を次のようにおこなう。この教育は学習者の能力と行動の変化うながす。その変化とは多くの人間と人間以外の地球の存在物により経験される不平等を減少することにつながるものである。しかしながらグローバル教育の欠点は、学習者のそのような変化を妨げてしまい、また不平等は作り事であるとか、重要なことではないと示唆してしまう点にある。私は、ここでマスメディア、企業向けのシンク・タンク、オーストラリア政府について言及し、それらが自分自身、他人、人間以外の生物に対し暴力をおこなうことを野放しにし、促進している点を論じる。
5.オーストラリアにおいてグローバル教育はどのようにして効果的になるのか。
私は、積極的な社会変化のためにはどのようにグローバル教育が効果的な作用をもたねばならないかを示唆して結論とする。
環境教育の現在−日本の環境教育の展開-
鈴木善次
日本・大阪教育大学教授
1.日本の環境教育は公害教育と自然保護教育から始まった
日本は明治維新を契機にそれまでの日本独自の文化と科学技術を主体とするヨーロッパ文明とを巧みに結びつけ、「雑種文化」なるものを生みだし、近代化を成し遂げることに成功した。しかし、それを急ぐあまりに生活の基盤である自分たちの環境を破壊し、世界に類を見ない環境問題、いわゆる「公害」を生じさせた。また、各地に見られていた美しい自然も急速に姿を消すようになった。こうした状況を反映して生まれた教育活動が公害教育であり、自然保護教育である。
公害教育の始まりは1960年代の初めの東京・横浜・大阪・四日市など大気汚染の被害の大きい地域や水俣病の発生した熊本の教師たちの活動にある。公害対策基本法が成立した1967年にはそうした教師たちの全国組織(全国小・中学校公害対策研究会)が発足している。1970年代になると国会でも公害問題が集中的に取り上げられ、そこでも公害に関する教育の必要性が指摘された。文部省は指導要領を改定し、1971年から社会科を中心に公害教育を行うことを決めた。現実には公害はその加害者である企業を批判する傾向が見られ、公害教育に熱心な教師には偏向教育というレッテルが貼られがちになった。その結果、日本での環境教育は広がりをみることができなくなった。
自然保護教育については1957年に自然保護協会がその教育の必要性を指摘し、文部省に「自然保護教育に関する陳述」を行っている。その後、日本学術会議の中に自然保護研究連絡委員会が組織され、自然保護とともにその教育にも力が入れられることになる。しかし、必ずしも十分なものでなく、1971年には日本生物教育学会が「自然保護教育に関する要望書」を提出するなどの状況が続いた。
2.環境庁の主導で1990年代の環境学習は始まった
地球規模の環境問題が顕現化してから環境庁は市民の意識変革を目指して環境学習への取り組みを開始した。1986年に設けられた環境教育懇談会による報告書(1988)に基づき、地方自治体に対して環境学習への取り組みを促した。それに呼応して都道府県の環境行政関係が中心になって、それぞれの自治体での環境教育の基本方針を作り、地域の特徴を活かした学習活動を行うことになった。筆者が関わりをもった大阪府ではいち早く1989年に環境教育基本方針検討委員会を組織し、学校、地域社会、家庭を通じての環境学習の進め方を検討、特に学校における環境教育の推進のために手引き書を作成したが、他の自治体からも注目されるものであった。
その後、環境庁は住民、企業、行政などがお互いに手を結び合いながら環境保全を目指すことが必要であるという認識(いわゆるパートナーシップ)のもと、地方自治体やNGOなどと協力して毎年「環境教育フェア」なる催しを計画、実施している。さらに、1995年からは「子どもエコクラブ」なるものを各都道府県、市町村の環境行政を窓口にして組織し、地域に根ざした環境学習の推進を図っている。子どもエコクラブは学校と異なり、多彩な活動が可能で環境教育の内容を充実させるのに役立つ可能性をもっている。なお、公害対策基本法に代わって作られた環境基本法(1993)において環境教育が明確に位置づけられ、それを受けて各地方自治体の環境基本計画にも盛り込まれたことは、今後の日本の環境教育を進める上で重要な意味を持っている。
3.学校や地域での環境教育も広がりつつある
学校における環境教育としては先の公害教育という先駆的活動があるが、広く環境教育という立場では琵琶湖の水環境問題を抱えていた滋賀県では1970年代という早い時期から取り組まれていた。全国的には1980年代末、そして1990年代になって広がりをみせることになるが、そのきっかけは文部省による環境教育への取り組みの開始である。環境庁より遅れて1989年ごろから環境教育の指針づくりがなされ、1991年に中学・高校用の、1992年には小学校用の手引き書が作られ、全国に配布された。これを受けて、各教育委員会でも環境教育に関する研修会などを開催、その普及に努めるようになった。文部省でも環境庁と同様、全国的な環境教育のシンポジウムを毎年開催している。
学校教育のカリキュラムとしては特に環境科という教科を設けないで、既存の各教科の環境に関連する内容を含む単元などで実施する方針を立てた。次回の教育課程の改定では小・中学校において「総合的学習の時間」を設けて、「環境」などを扱う考えが示されているが、環境教育が保証されたという点では意味があるが、ここだけに限定されてしまうと逆効果であり、各教科などでの実践と有機的に結びつけることが必要である。なお、大学においても1970年代から環境問題を取り上げた授業が一般教育の段階で実施されるようになり(ちなみに筆者は1973年から人間環境論なる講義を開始)、最近では多くの大学で環境関連の授業が設けられるようになった。環境教育そのものについては教員養成系大学のほか一部の大学(例
甲南大学)において実施されている。
日本での環境教育や環境学習は行政や学校だけでなく、ひろく民間の団体、例えば生活協同組合などの消費者団体や自然保護団体などにおいて実施されてきている。生活協同組合の場合には主として洗剤による環境汚染の問題や添加物などによる食品の安全性の問題、あるいはゴミ問題などが学習の対象となっていたし、自然保護団体では自然観察などに力が入れられていたが、最近では広く環境のあり方について、大きくは自分たちのライフスタイルのあり方を考えさせる学習が行われるようになりつつある。
4.大切なのは科学文明の問い直しである
環境教育はライフスタイルの問い直しを促す学習活動である。ライフスタイルはその地域の気候風土に適したものであるのが望ましい。ヨーロッパの科学文明が押し寄せるまでは照葉樹林帯という気候風土に適した(?)ライフスタイルを日本人は作り上げていた。日本において環境教育を行う場合、まず、この基本的問題を問い直す必要があるのではないか。確かに、科学技術は便利で快適な生活を人類に提供してくれた。しかし、その技術を社会で使うときには大量のエネルギーと資源を必要とする。その技術の欠陥のためにさまざまな環境問題を生じさせたのである。本当に、日本という地域ではヨーロッパ的な文明が良いことなのか。どこまで日本的に改変し、どのような「雑種文化」を作るのがよいか。そのことを考えさせるためには日本の環境教育(学習)において他の地域の気候風土、ライフスタイル、文化などと比較させながら、日本のそれらについて学習する機会を与えることが望まれる。そうした学習を通して日本に適したライフスタイル、大きくは文化や文明のあり方を考える人々が育つことが期待されるのである。