Takasugi Dan's Chronological Record 高杉弾年譜 1997年まで
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●蓮の花時代 1958年(昭和33年)  東京品川区から川崎市等々力に引っ越す。これより1963年ま  で蓮の池で蓮の実を食べて育つ。この頃、万引の常習犯となる。 ●娯楽的結社時代 1968年(昭和43年)  12月、府中で白バイに変装して三億円を強奪。この頃から漫画  とSFにハマる。 1969年(昭和44年)  この頃、漫画を描きまくる。10月21日、国際反戦デーに野次  馬として参加。 1970年(昭和45年)  3月、よど号を乗っ取り北朝鮮へ旅行。ビートルズを解散に追い  やる。大阪万国博見物。この頃からジャズと競馬にハマる。 1974年(昭和49年)  娯楽的芸術グループ〈ZONE〉を結成。個人誌『便所虫』『B  EE−BEE』を発刊。この頃、武邑光裕(のちにメディア美学  研究家)、加藤芳一(のちに放送作家)、近藤十四郎(のちに『  HEAVEN』編集者)、林真理子(のちに作家)らと会う。娯  楽的頽廃グループ〈廃人同盟〉を結成。 1975年(昭和50年)  イカサマ大学受験グループを結成(未遂)。娯楽的出版グループ 〈冗談社〉を設立、漫画創作集などを刊行。漫画同人誌『neu』  を創刊。この頃、仙人美沢真之助、八木真一郎、舞踏家田中泯ら  と会う。植草甚一を師とする。臨済禅の現代的解釈にハマる。『  本の雑誌』主催第1回全国ミニコミ・ガリ版誌コンテストで『B  EE−BEE』が優勝、椎名誠(のちに作家)に会う。この頃から  レゲエにハマる。 1977年(昭和52年)  悪ガキ山崎春美と会う。単身サンフランシスコ、ロサンゼルスへ  旅行、コカインとLSDにハマる。八木真一郎の誘惑で雑誌『冗  談王』(日本文華社)の編集に参加。 ●自販機本時代 1978年(昭和53年)  娯楽的デザイン工房〈Lightbox〉を設立、ローヤル電機  株式会社(現在店頭上場企業)のCIなどを製作。原宿表参道で娯楽  的露店商を開店。池袋の〈エルシー企画〉で明石賢生、佐山哲郎、  岡克巳らと会い、自販機雑誌『スキャンダル』の8ページを編集・  制作。娯楽的雑誌編集グループ〈CAMP〉を設立、美沢真之助  とともに自販機雑誌『Xマガジン』(エルシー企画)を編集・制  作。 1979年(昭和54年)  山口百恵のゴミをあさり、3月、自販機雑誌『Jam』(エルシ  ー企画)を創刊。この頃、エルシー企画発行のエロ本にモデルと  してたびたび出演。この後、数年の間にデザイナー羽良多平吉、  湯村輝彦、マンガ家渡辺和博、蛭子能収、編集者末井昭、亀和田  武、高取英(のちに劇作家)、手塚能理子、僧侶・劇作家上杉清文、  写真家荒木経惟、イラストレーター南伸坊、カメラマン滝本淳助、  評論家平岡正明、作家鈴木いづみ、フィルム・オーガナイザー佐  藤重臣、ミュージシャン巻上公一、山下洋輔、坂田明らと会う。  ヒッピー金田トメ、八木真一郎、山崎春美らが『Jam』編集に  参加。山崎春美と『遊』(工作舎)増刊号編集に参加、松岡正剛、  荒俣宏らと会う。山口百恵のゴミあさりの件で栗本薫の小説「イ  ミテーション・ゴールド」のモデルとなる。この年、ボブ・マー  リー来日公演を見る。 1980年(昭和55年)  フーテン山本勝之『Jam』編集に参加。4月、羽良多平吉の全  面協力を得て自販機雑誌『HEAVEN』(エルシー企画、のち  にアリス出版と合併)創刊、近藤十四郎が編集に参加。この頃、  ラジオ関東で〈ウルトラヘブン放送局〉開始、近藤十四郎と2人  でDJ。5月、ボブ・マーリー死去。6月、新宿アシベにて『H  EAVEN』創刊イベント〈天国注射の夜〉開催。編集者松尾由  紀夫と会う。『HEAVEN』の版元が群雄社に移り自販機から  撤退、直販体制へ。別冊宝島『センスパワー』(JICC出版局)  の一章を山崎春美、山本勝之、近藤十四郎と編集・制作。11月  『HEAVEN』の編集長を退き作文家に。河野悦子(のちに陶  芸家)に会う。 ●作文時代 1981年(昭和56年)  イラストレーター八木康夫と会う。ロサンゼルス、サンフランシ  スコへ旅行。カメラマン岡克巳の協力を得て新書版『プライベー  ト写真術』(二見書房)刊行。『写真時代』(白夜書房)で「海  外面白写真集」連載開始。伊達一行の小説「沙耶のいる透視図」  (のちに映画化)のモデルとなる。この頃からシーメールに興味を  持つ。 1982年(昭和57年)  『朝日新聞』の文化情報欄「タウン&キャンパス」のレギュラー  となる。『噂の真相』で「チャンネル・オフ」、『写真時代Jr』  (白夜書房)で「プライベート写真館」、『Boom』(JIC  C出版局)で「乱調少年大図鑑」連載開始。9月、筒井康隆原作、  内藤誠監督の映画「俗物図鑑」にほんのチョイ役で出演。この頃  からステレオ写真を撮りはじめる。 1983年(昭和58年)  『ヘイ・バディ』(白夜書房)で「ミュージックランド」連載開  始。単行本『俗物図鑑の本』(群雄社出版)に原稿4本。『SA  LE2』(フィクションinc)に「面白快感ライフ」、『ステ  ィック』(版元不明)で「メディア・トリップ」、『Boom』  で「少年犯罪者の夕焼け」連載開始。『MAZAR』(群雄社出  版)創刊、原稿多数。『写真時代Jr』で「東京ドキュメント」、  『Boom』で「ぷーぱー勉強塾」連載開始。この頃、編集者小  田代千晶と会う。 1984年(昭和59年)  『写真時代Jr』で「ハイパーTV」連載開始。あがた森魚『永  遠の遠国(限定版)』にステレオ写真撮影(発売はずっと後)。  『ビデオ・ザ・ワールド』(白夜書房)でビデオ映画レビューを  連載開始。単行本『言相楽』(角川書店)編集協力。単行本『メ  ディアになりたい』(JICC出版局)刊行、装丁は八木康夫。  『ビデオ・ザ・ワールド』でAV批評欄を担当開始。『噂の真相』  で「メディア散歩」連載開始。レコード『レゲエ・クリスマス』  (オーバーヒート)ライナーノート。『BODY PRESS』  (白夜書房)で「甘い世間」連載開始。 1985年(昭和60年)  『Mr.DANDY』(サンデー社)に「メディア・ワンダーラ  ンド」連載開始。輸入ビデオクラブ〈セカンドハウス〉設立。ビ  デオ『スーパー・カットアップ』制作。有楽町西武で武邑光裕と  SFXについて公開対談。『AVIC』(リットーミュージック)  で「ビデオ・ワンダーランド」連載開始。この頃、劇作家高取英  主宰のカルチャー・センターで講師。ワープロを導入。週刊本『  霊的衝動・100万人のポルノ』(朝日出版社)刊行。『福娘』  (ミリオン出版)で「TV FUCKIN’」、『写真時代』で  「新・海外面白写真集」、『スーパー写真塾』(白夜書房)で「  広告散歩」連載開始。ビデオ版『メディアになりたい』を制作。  茨城県古河で蓮の花見物。『ビッグコミック・スピリッツ』(小  学館)で手塚真原作の立体写真マンガの撮影と監修。渋谷PAR  COでアスク講談社のビデオイベント司会。『クラッシュ』(白  夜書房)で「エロティカル・ワンダーランド」連載開始。香港旅  行。 1986年(昭和61年)  『オトメクラブ』(白夜書房)でレコード・レビュー、『キング  コング』(同)で「メディアでヤッホー」、『アサヒグラフ』(  朝日新聞社)でルポルタージュ、『写真時代』で「海外面白写真」、  『Q−Tai』(学生援護会)で「斜眼タイムス」、『スーパー  写真塾』で「ビデオ・ショウイング」、『写真時代Jr』で「東  京山手線めぐり」、『青春写真』(日本文華社)で「ワールド・  イレギュラーズ」連載開始。この頃から「MONDO」という不  思議なアメリカ文化を紹介しはじめる。『朝日ジャーナル』(朝  日新聞社)文化欄にコラムを書きはじめる。光文社文庫『全東京  街道』に「早稲田通りとパラレル・タイムス」を書き下ろし(写  真も)。茨城県古河で蓮の花見物。人に借りたファミコンで「ド  ラゴンクエスト」を4日間で制覇。『ビデオファン』(白夜書房)  創刊、レギュラーで原稿多数。香港・マカオ旅行、九龍城砦にハ  マる。『ボディ・プレス』(白夜書房)でAV女優黒木香と対談。  『週刊プレイボーイ』(集英社)でAV紹介欄「謎のレンタルお  やじ」連載開始。損害保険代理店・初級資格を取得、有限会社S  興産(資本金14億円)の代表取締役社長となる。この年、鈴木  いづみ自殺。 ●トライアングル時代 1987年(昭和62年)  損害保険代理店・普通資格を取得。新宿二丁目のバー〈との山〉  の店内放映用ビデオ制作。LD『ショック・トリートメント』(  パイオニア)ライナーノート。『写真時代』で鳥羽・伊勢の秘宝  館を取材、カメラマン瀬戸山和樹(のちに瀬戸山玄に改名)に会  う。にっかつ撮影所との共同企画で〈MAGMAビデオ〉設立、  1920年代の実験映画5タイトルを発売。山本勝之、モデル中  村京子らと香港、マカオ、ロサンゼルスを旅行。香港で大型トレ  ーラーにハネられるも軽傷、帰国後、目黒駅で駅員を暴行、書類  送検されるも不起訴。渋谷センター街に輸入ビデオ&雑貨の店〈  トライアングル〉をオープン。『ビデオ・ザ・ワールド』でAV監  督代々木忠と対談。ロサンゼルスへ旅行。香港・マカオへ旅行、  〈大小〉にハマり、スナッフボトルに魅了される。この年、猫が  3匹生まれ、1匹を里子に出し、合計4匹となる。 1988年(昭和63年) 『夜想』(ペヨトル工房)にシーメール論。ビデオクラブ〈セカ  ンドハウス〉を〈トライアングル〉に改称。香港旅行。2月、佐  藤重臣死去。『写真時代』廃刊。ロサンゼルスへ旅行。ベティ・  ブープのイベントで作家筒井康隆に会う。『ON STAGE』  (白夜書房)で「ラリハイ小僧、音楽の旅」連載開始。ロサンゼ  ルスへ旅行。天皇病気のため『週刊プレイボーイ』の連載自粛を  通告される。単行本『百人力新発売』(ネスコ・共著)に原稿。  商品先物取引を開始。『写真世界』(白夜書房)で「国際写真珍  品堂」、『ビデオ・ザ・ワールド』で「ビデオだワールド」連載  開始。S興産から〈トライアングル〉を買収。香港・マカオ旅行。  この頃、宗教学者植島啓司と会う。 1989年(平成元年)  1月、昭和天皇崩御。マルチメディア・クリエーター高城剛とロ  サンゼルスへ旅行、豪遊。帰国後、糖尿病の疑い判明。香港・マ  カオ旅行。NIFTY-Serveでパソコン通信を開始。『噂の真相』で  「チャンネル・オフ」、NIFTY-Serveで『高杉弾通信』を連載  開始。この頃からモダン・プリミティブ関係の原稿依頼が増える。  高城剛と香港・マカオ旅行。S興産代表取締役を解任される。『  アリスクラブ』(白夜書房)で変態告白小説、『RM』(タキオ  ン)で「ビデオ・ヘブン」を連載開始。高城剛とロサンゼルス・  サンフランシスコへ旅行、コカインを吸ったりして豪遊。『エキ  セントリック』(全英出版)で「マインド・リンク」連載開始。  はっきり糖尿病と診断されて1か月入院。『エキセントリック』  で植島啓司と対談、その後も香港特集などを企画。この年、パ  ソコン(98互換機)を導入。 ●AV時代 1990年(平成2年)  LD『ヘア・スプレー』(パイオニア)ライナーノート。成田税  関から猥褻図画密輸容疑でガサ入れを受けるも誤認で決着。友人  のロッカー江戸アケミ死去。AV監督伊勢鱗太朗からAVの監督  を依頼され、伊香保温泉でロケ。AV監督村西とおると会う。NY  金先物暴落で数百万円損失。香港旅行、マカオで数百万円勝つ。  渋谷〈トライアングル〉を閉店。6月、AV第1作『高杉弾のイ  カすSEX天国』(ダイヤモンド映像系・裸の王様レーベル)発  売。以後1年間で11本を監督。金先物の暴落で数百万円損失。  AV第4作『欲情遊園地』ヒット。AV製作会社〈鱗太朗商店〉  と嘱託契約、宣材『裸の王様NEWS』を編集・制作。商品先物  取引をすべて決済。香港旅行。NIFTY-Serveに〈高杉弾のサブカ  ルチャーHP〉を開設。 ●脳内リゾート開発時代 1991年(平成3年)  『SPY』(ワールドフォトプレス)で「倶楽部イレギュラーズ」  連載開始。『流行通信』にサブカルチャー関係の原稿、香港版に  も翻訳掲載されるが原稿料は未払いとなる。Macintoshを導入。  香港旅行、マカオで大勝。AV監督を引退。この頃からライター  ・編集者島本慶の誘いで『週刊プレイボーイ』にギャンブル・コ  ラムを書きはじめる(イラスト・中崎タツヤ)。〈鱗太朗商店〉と  の嘱託契約解除。日本ダービーのトウカイテイオー単勝に100  万円投入。『RM』で「高杉弾の極楽めがね」連載開始。6月、  赤瀬川原平氏らと〈ステレオオタク学会〉を設立。島本慶編集の  『コラムニスト』(東京三世社)創刊、レギュラーとなり、植島  啓司とAV女優黒木香の対談(テーマ・宗教)などを企画。『SP  Y』のSEX特集を企画・制作、回収騒ぎとなる。奈良へ旅行、  俳人野尻拓也と会う。8月、延べ30人が来宅。俳優三上博史の  カレンダー用ステレオ写真撮影。『ガロ』10月号(青林堂)で  「中途半端な女装」。『SPY』の休刊にともない「倶楽部イレ  ギュラーズ」を『ガロ』に移し、11月号から連載再開。女装誌  『クロスドレッシング』(一水社)に女装小説。〈大富豪馬券倶楽  部〉を設立、パソコン通信による馬券予想送信事業と〈高杉式!  儲かる馬券Q2〉の運用開始。京都、大阪、奈良へ旅行、京都の  バーの階段で頭を強打、以後半年間に渡って頭痛に悩まされる。  この年2月、友人のデザイナー丸山浩伸死去。 1992年(平成4年)  『おとなの特選街』(KKベストセラーズ)で「快楽有象無象」  連載開始。CTスキャナー検査で先天性の脳の畸形が判明。コン  ピュータの故障により〈高杉式!儲かる馬券Q2〉を中止。『銀  座3丁目から』(マガジンハウス)で「高杉式脳内リゾート開発  計画」連載開始、後に「マリファナを推薦している文章は掲載で  きない」との理由で連載中止となる。6月、大阪のギャラリー〈  インターフォーム・アトリエ〉で赤瀬川原平氏のキュレーション  によるグループ展〈大阪ステレオ博・立体写真館〉に参加、カタ  ログにも寄稿。〈脳内リゾート開発事業団〉を設立。敬愛するダ  ブ・ミキサー&ミュージシャン、超人リー・スクラッチ・ペリー  来日。衛星放送に出てコメントを喋る。NIFTY-Serveの映画フ  ォーラムに〈脳内リゾート開発〉会議室を開設。8月、天むすを  食べて食中毒になる。『i-D JAPAN』(ユー・ピー・ユー)  でオンライン・コラムニスト宣言。茨城県古河で蓮の花見物。  NIFTY-Serveに疑似カジノを開設。『ハート・オブ・ギャンブ  ル』(東京三世社)で香港・マカオへギャンブル取材。臨済禅のバ  イブル『臨済録』の超現代語訳に着手。単行本『3Dステレオグ  ラム』(小学館)に寄稿。NIFTY-Serveより疑似カジノを即刻  閉鎖せよとの内容証明郵便。乃木坂のギャラリー〈LA CAM  ERA〉にて〈トライアングル 10 DAYS」開催。デザイナー永  原康史とCD-ROM『OLD TREASURE FILMS』(日本スタックマ  ガジン社)を制作、印税未払いとなる。 1993年(平成5年)  『週刊アサヒ芸能』(徳間書店)でカメラマン滝本淳助と写真ペ  ージ「こちらH探偵局」連載開始。借金返済不能の危機。3月、  結核で国立療養所中野病院に79日間隔離入院。その間『週刊プ  レイボーイ』でステレオ写真の連載ページを10週間監修。6月、  竹書房文庫『楽しいステレオ写真』の原稿を4日間で書きあげる。  退院後に糖尿病が悪化、目黒の厚生中央病院に再入院、両足首か  ら先が痺れはじめる。左眼に異常発生するも入院期間40日で退  院。入院中に制作・校正した『楽しいステレオ写真』完成、発売。  カバー・デザインは南伸坊。右目にも異常発生。NHKの高城剛  のテレビ番組にコメント出演。『ステレオ必勝ガイド』(白夜書房)  に寄稿、東陽片岡(のちに『ガロ』で漫画家デビュー)と会う。小  玉敏勝撮影、島本慶編集のステレオ・ヌード本『ステレオ・ヌー  ド・キング』(集英社)で監修を担当。『ガロ』9月号で自販機  本・エロ劇画本特集に協力。足と目の鍼治療を開始。9月、国際  ステレオ写真会議に出席のため赤瀬川原平氏、南伸坊氏らとイギ  リスへ。帰路、香港に寄って観光。帰国後、視神経障害のためや  むなく『ガロ』の連載を休載とする。『銀座百点』(銀座百店会)  で赤瀬川原平氏、南伸坊氏とステレオ写真について座談会。CD-  ROM『OLD TREASURE FILMS 2 BETTY PAGE』(デジタローグ)  発売。原宿・デジタローグ・ギャラリーにて発売記念イベント開  催。CD-ROM写真集『美麗死体写真集Lilly』制作開始。視  神経障害治療のため眼孔注射を受ける。右眼の視力かなり回復。  CD-ROM『極楽蓮=ウルトラ・リゾート・ロータス』、CD-ROM  美麗死体写真集『Lilly』(トライアングル)発売。『別冊  海燕』(福武書店)で脳内リゾート開発関連原稿。この年、ステレ  オグラフィック・ブーム。香港九龍城砦消滅。 ●メディアマンの時代 1994年(平成6年)  病院を済生会中央病院に変え、インシュリン注射開始。鍼の効果  があり左眼も視力回復。荒木経惟CD-ROM写真集『アラキトロニ  クス』のネーミングと写真セレクト。NIFTY-Serveに〈勝手に  競馬会〉HPを開設。脳内リゾート開発事業団の機関誌『脳内界』  ようやく発行。CD-ROM『OLD TREASURE FILMS 3 20's AV  ANT GARDE』(デジタローグ)『アラキトロニクス』(同)発売。  『GURU』(翔詠社)創刊、寄稿。『日刊ゲンダイ』でAV女優  風吹あんなと対談。4月、乃木坂〈LA CAMERA〉で島本慶、  滝本淳助と《トライアングル=LA CAMERA=おつな堂》を毎月  10日間だけ開店(9月で終了)。CD-ROMマガジン『極楽蓮』  (トライアングル)第2号が性器露出作品多数収録のため問屋へ  の販売が不可能となる。NIFTY-Serve映画フォーラム2に〈メ  ディアマンズ・トライアングル〉会議室を開設。南伸坊夫妻や友  人たちと古河で蓮の花を見物。CD-ROM『Lilly』ヒット。  『トパーズ』(英知出版)で「HEAVEN」の特集。『週間プレ  イボーイ』と『SMスナイパー』の共同取材で香港、マカオへ。  『アクションプレス』(少年出版社)で「Mediaman's GET N  OW」連載開始。菊花賞のナリタブライアン単勝に100万を投  入。バリ島へ旅行。一旦帰国し、12月にシンガポールを経て再  びバリ島へ長期旅行。ウブドの王族に会い、首までウブドにハマ  る。この年〈メディアマン〉というコンセプトを強化、〈iMi=   imperialMEDIAMANinternational〉を設立。 1995年(平成7年)  1月、バリ島からタイのバンコクを経てサムイ島に移動、ハンモ  ックの上で阪神大震災を知る。その後、バンコクを経て再びバリ  島に戻る。2月末にシンガポール経由で帰国。熱帯の空気に当て  られて気力急激に低下。リハビリで短篇小説『アビアン・スラマ  物語』を書きNIFTY-Serveで発表、連載『高杉弾通信』は72  号で終刊。『おとなの特選街』のヌード撮影でタイのサムイ島へ、  3人のモデルたちと遊び惚ける。NIFTY-Serveに〈メディアマ  ンズ・アイランド〉HPを開設。8月、大栄出版から依頼された  小説の取材で香港へ。友人の放送作家加藤芳一死去。12月、小  説『香港夢幻』350枚完成、発売(大栄出版)。白夜書房創立  20周年記念パーティーの景品抽選で旅行券18万円分が当たり、  さっそく香港で豪遊。NIFTY-Serveの〈メディアマンズ・アイ  ランド〉HPを閉鎖。 1996年(平成8年)  1月、青林堂会長長井勝一氏死去。『ザ・ベストマガジン・オリ  ジナル』(KKベストセラーズ)の連載「ワールド・エロティカル・  ビューイング」3回分の写真データと原稿を入稿し、タイへ長期  旅行。サムイ島で40日間過ごしてからバンコクへ。友人2人と  香港へ移動、競馬と飲茶と散歩。一旦バンコクに戻り、3月中旬  に帰国。雑誌のレギュラーは『ガロ』と『RM』だけになってい  た。気力減退し、競馬を一日に12レースやって全敗という生れ  て初めての経験をする。『ゴーゴーWindows』(コアマガ  ジン)に原稿。あまりにもヒマなのでインターネットのアドレス  を取得し、5月にオンライン・マガジン《JWEbB= Jappy  World Expresss by Bus》を創刊、NIFTY-Serveでの活動を休  止。《JWEbB》で〈大富豪馬券倶楽部〉と〈トライアングル〉  を復活。イギリスのテレビ局〈チャンネル4〉ディレクターから  の依頼で、荒木経惟さんのドキュメント番組製作に協力。友人と  バンコク、サムイ島へ旅行。帰国後、巨額の借金返済に追いまく  られる。『Jam』『HEAVEN』の発行人だった明石賢生死  去。単行本『インターネットXファイル』(オークラ出版)、『探  検アジアリゾート・タイ篇』(総和社)に寄稿。『BAD TAST  E』(東京三世社)で「ヒューマン・バッドテイスト」を2回連載。  荒木経惟CD-ROM写真集『アラキグラフ』(光文社)の編集開始。  由紀さおり、ロミ山田のヘアヌード写真集を夢想。 1997年(平成9年)  隠居生活に入る。
          制作・imperialMEDIAMANinternational    (連載、旅行などは主なものだけ記載、人物の敬称一部省略)


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Presented by Takasugi Dan & iMi/imperialMEDIAMANinternational Tokyo/Japan , Koh Samui/Thailand