音楽と私音楽が無くては生きていけない・・

私に音楽を与えてくれたのは家族。
3歳の時、手を引かれて「音楽教室」「お習字教室」「バレエ」「絵画」・・・・
この子にぴったり合うモノは何だろう?と考えてくれた両親とおばあちゃんと
体験レッスンとやらに通ったことをうっすらと覚えている。
そして私に残ったモノは「お習字」と「音楽」だった。
勿論最終的には私自身が選んだらしいが、何といっても3歳児。最終的な
決断は親が下したのだろう。
その時「バレエ」を選んでいたら?
その時「絵画」を選んでいたら?
人生には色々な分岐点があって、「もしあの時」とよく考える。
でも音楽に出会わなかったら
やっぱりつまらなかったかなぁ。そう思える今日この頃であった。
「お習字」は高校3年まで続けたが、あからさまにひいきするような習字
教室(私は贔屓されない生徒。口が立つから・・・)だったので「お受験」を
理由にしてやっとこさやめる事が出来た。(のちのち大学に入ってからまた
始めるのだが、その先生は超超超いい先生であった。
そして思う。生徒の才能を殺すも生かすも教える側次第。
いつも反面教師を頭に置いておこうと思うのであった。

さて、音楽。
結婚と同時にYAMAHAミュージックセンターに通う事が出来なくなったが
その趣味はずっとずっと生活の中に生きてきた。
「来週までにこの曲を仕上げなければならない」
「この理論が分からなければ試験に受からない」という呪縛から
離れた今のほうが、ずっと音を楽しむことが出来、
客観的に音を聞くことが出来るような気がした。
シンセを買って家で楽しんだり、クラビノーバを購入してピアノの弾き語りを
したり・・・・(出産と同時に頻度はめっきり減ったが)
現在ではシンセとクラビノーバは専ら子供達の高価なオモチャで、
学校の「合唱祭」の時期になると活躍する道具だが・・・・
やはりいつかはもう一度YAMAHAに戻って切磋琢磨したいとは思うが
今の自分の幸せは
合唱祭で最優秀賞を獲るように生徒も自分の心も高く導くこと。
(音楽の出来ない国語教師より、出来る国語教師の方がいいよね)
陸と陽に音楽の楽しさを教えていくこと。
友達とカラオケに行った時に気持ちいいくらいハモレること。
(これは気付かなかったけれど、やっぱりYAMAHAで学んだお陰で取得
出来たワザだろう。)陸や陽が「△△の歌を弾いて〜」とせがんだら
即興で弾いてあげられること。
いつか自分の時間が出来る日が来たら
やっぱり音楽と共にありたいと思う。

この間ほとんど10年ぶりくらいに(合唱曲の楽譜を買いに)YAMAHAに行った。
行ったついでに「ゴスペル」と「コンピューターミュージック」の体験レッスンは
ないモノかと階段を上っていったら、YAMAHAの恩師にばったり出会うことが
出来た。陽付きだったのでゆっくり話をすることも出来なかったが
昔一緒に大会に出ていた友達がまだ現役でやっているという話を聞いて
その友達とメールで会話することも出来て、しばし昔に戻ることが出来た。
物凄く輝いていたあの頃。
グループ(ユニット?)を組んで大会に出たりもした。
一人で大きな大会に臨んだ時期もあった。
自分勝手で目立ちたがりだった自分。でも妥協せずに頑張ってたあの頃。
音楽を通じて色々な人とも知り合えたし、
舞台に立つ緊張感や、賞の取れない敗北感、つかみ取った勝利(?)の
達成感・・・・本当に色々なドラマがあった。
きっとあの頃のことはずっと忘れずに、私の中で生き続ける。

音楽が無くては生きていけない。
歌を歌って顔をあげて、前だけ向いて生きていこう。


                               ’01.7.23 記

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