INO 氏  の投稿記事   ( 2007 / 01 / 09 )    丸山真男著「忠誠と反逆」からの引用の逆説的効果絶大なり! と思います。
                                     今朝の朝日新聞に載った佐藤 優氏の話を読めば、ino氏の説に敬服しました。(私の感想)

                               

 
  【加藤周一ML】
雑誌、新潮45 2006.10月号。
佐藤優(外務省職員、休職中)は、米原万里(エッセイスト、ロシア語通訳者)との交流を描いている。

(以下、抄録)

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「文筆に従事するようになってから、人と会うことが多くなったが、人見知りの激しさに変化はなく、現在、職業作家で個人的交友があるのは2人だけだ。4ヶ月前まではもう一人、私のほうから積極的に出かけ、話をする作家がいた。今年5月25日に他界された米原万里さんだ。米原さんは私の人生の要所要所で「上からの介入」(=カール・バルトの言う神の声=人間は服従するか反抗するかしかない)を行ってきた。

2002.5.13(月)の午後、外務省勤務中の私に電話がかかってきた。「あなた、今晩あいていない。私と食事しよう」
「あいているけれど無理ですよ。記者たちに囲まれて、集団登下校状態なんです。マスコミをまくことができません」
宗男叩きの嵐が吹き荒れ、鈴木氏の腰巾着と見られていた私も外交資料館に異動になり、4月末には鈴木氏の秘書が逮捕され、5月13日発売の「週刊現代」には「外務省のラスプーチンを背任容疑で逮捕することを東京地検特捜部が決めたとのスクープが掲載され、私の逮捕の瞬間を期待するマスコミ関係者に囲まれ、通勤にも30人くらいの記者が同行する「集団登下校状態」になっていた。
「いいわよ、記者たちがついてきても。いいレストランで奢るわ。何を食べたい」
「いや、そんなことをすると、週刊誌やワイドショーでどんな話を作られるかわかりません。米原さんに迷惑をかけたくありません」
「そんなことどうでもいいわよ。私はあなたにどうしてもいま伝えたいことがあるの。あなた、もう組織に忠誠を尽くすのはやめた方がいい。外務省はあなたを切っている」
「それはそうでしょう。わかっています」
「組織が人を切るときの怖さを話しておきたいの。私は共産党に査問されたことがある。あのときは殺されるんじゃないかと本当に怖かったわ。共産党も外務省も組織は一緒よ。だから私の体験を話しておきたい。あなたなら大学の先生に転出しても、外国に移住してもやっていけるわ。とにかく外務省にこれ以上いると危ない」
「もう少し経って、嵐が収まってから自分の身の振り方については考えようと思っています」
「そんな悠長なことを言っていたらダメよ。とにかく今晩は時間をつくって」
「今晩は勘弁してください。気持ちの準備ができていません」
「じゃあ、明日は」
「わかりました。明日の晩、うまくマスコミをまいて、落ち合いましょう。約束します」

しかし、私は米原万里さんとの約束をたがえることになってしまった。翌5月14日午後、外交資料館で私は鬼の東京地検に逮捕され小菅の東京拘置所に護送されたからだ。
小菅での晩御飯のメニューは、麦飯、青椒牛肉絲、小海老入り中華野菜スープ、ザーサイだった。なかなかおいしかった。」
###引用終わり

外交資料館とは、外務省主任分析官の職を追われた佐藤優の新しい職場である。

米原万里は2005年6月23日の週刊文春、書評日記で当時起訴中であった佐藤優が著した『国家の罠』を激賞し、読売新聞の年間ベストスリーの一位に、『国家の罠』を推している。
                           
ところが、2005年11月23日の週刊文春書評日記では佐藤の次作『国家の自縛』を批判している(『国家の自縛』で佐藤の相手をしたのは「正論」調査室長斎藤勉。斎藤氏は産経新聞の元モスクワ支局長。)、米原万里 『打ちのめされるようなすごい本』から引用 p289−291


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『国家の自縛』は。。。佐藤の限界というか佐藤自身の「自縛」状態も顕在化させている。
(略)
外務省には絶対に戻らないと言い切る佐藤が(古井戸注:『獄中記』では、判決後、外務省は、佐藤(現在休職中)を懲戒免職にするだろう、と何度も述べている)「現職の内閣総理大臣を全力でサポートしていくってのが役人の仕事ですし、それが国のカネで育成された専門家としてのあり方なんですよ。そのモラルを崩したくない」と述べて、小泉批判を自重し、靖国参拝からイラク派兵までを正当化するくだりは、上滑りで説得力がない。

国=現政権と自動的に受け止める役人的思考回路が自由闊達な佐藤の思考を、そこの所だけ停止させていて勿体ない。佐藤は首相がヒットラーでも忠実に仕えるつもりなのか。また国家権力に寄り添って生きた惰性なのか、権力者や強者の論理にとらわれすぎていて国内的にも国際的にも弱者や反体制派の視点が完全に欠落している。公僕は、まず誰よりも僕(しもべ)で「国のカネ」は国民の税金であり、憲法と現法体系に忠実であるべきだ。それに、作家は、自身の見解を率直に偽りなく語るべきで、権力者におもねったり遠慮したのでは、言葉が力を失う。それとも佐藤は、まだ役人生活への未練があるのか。
##(引用終わり)

<現職の内閣総理大臣を全力でサポートしていくってのが役人の仕事ですし、それが国のカネで育成された専門家としてのあり方なんですよ>と、佐藤はいうが、<国のカネ>とは誰のカネか考えたことがあるのだろうか?これは政府のカネではなく、首相のカネでもなく、官庁のカネでもなく国民の血税にほかならない。 いかにも官僚が首相に限らず政府を支えるのはその職務であるが、それは、国家の最高法規憲法の限度内であることを忘れぬよう。憲法を遵守するのは公務員の義務であると、憲法第99条に定めてある。

憲法第99条『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』

兵士は、軍規に背く命令を上官が下した場合、この命令に背いても軍規を守る義務がある、というのは現代の常識である。軍規に背いた行為は上官の命令があったといえども、兵士は罰せられる。

米原万里は<国=現政権と自動的に受け止める役人的思考回路が自由闊達な佐藤の思考を、そこの所だけ停止させていて勿体ない。佐藤は首相がヒットラーでも忠実に仕えるつもりなのか>と言っているが、これは勿体ない、で済ませられる話ではない。<国=現政権> と受け止めている役人が、現在、どれだけいるのだろうか?

国、とは、主権者たる国民の意思でなければならない(佐藤の口から、国益とか国体、という言葉は発せられることは多いが、国民という言葉を聞くことは少ない)。佐藤は外務省勤務時代、英国に派遣され、ロシア語習得につとめ、ロシア大使館勤務時代、夜討ち朝駆けでロシア高官を襲撃し、情報収集と人的ネットワーク構築に努めたということだ。その労は多としよう。が、語学訓練機関に支払った経費、佐藤が情報j収集のため、ロシア高官に振る舞った旨い酒と最高級日本料理、や車代出張費、滞在費はすべて国税から支払われているのである。<国のカネで育成された専門家のありかた>といわず<国民のカネで育成された専門家のありかた>としては、国民に寄与すべく働くことが公務員の義務、であることは、公務員なら誰しも自覚しているのではないか。佐藤は獄中で万巻の哲学書を熟読し、その知識量は公務員のトップクラスであるらしい。ついでに、公務員なら誰しも知っているはずの憲法第99条と公務員が尽くす相手は<市長>でも<県知事>でも<大臣>でも<首相>でもなく、市民、県民、国民であることも学んで欲しいと思う。

<小泉批判を自重し、靖国参拝からイラク派兵までを正当化する>のは、佐藤の自由であり、佐藤以外の誰も佐藤に意見する<筋合いはない>(佐藤お得意のフレーズ)。しかし、靖国参拝からイラク派兵までを正当化するのを、小泉のせいにしてはならない、これは佐藤の自由意志で正当化したものとみなされることを覚悟せねばならない。

1985年頃、米国ではイランコントラ事件(レーガン政権下、「コントラ」への援助金を得るためにイランに武器を秘密に輸出した事件)が発生した。当時、現地で小学校3年生だった私の息子はクラスで先生(女性)が、『レーガンは大嘘つきだ』と怒っていた、と話した。

愛国心とは政府を愛することではない。こんなことは小学生にも教えておくべき、常識、に類する。

わたしは姜尚中『愛国の作法』に次のように書いた。。http://blog.so-net.ne.jp/furuido/2006-11-22

「(丸山真男のいう)忠誠と反逆、とはどういうことか。国に忠なるゆえに(仕える君主に)反逆する、ということだ。現在の民主主義的福祉国家でいえば、主権者たる個人と国民の厚生理念に背く政府に反逆する、という行為は 愛国の一種(しかも、重要な)なのである、ということだ。<忠誠も存せざる者は終に逆意これなく候>

<忠誠も存せざる者は終に逆意これなく候>。これは、ニッポンの国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員、および公務員くずれ、からは失われたモラルであるが、米国の一部の小学校教員には体得されているようである、というのは、私の狭い体験から言える観察結果だ。

ino
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