季刊「BURST HIGH」誌(コアマガジン社)で連載 OUT OF HIGH TIMES ★Vol.02★

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第二回 Vol.02
反国家的精神とぼくの気楽なタイ生活。だけど  やっぱりぼくは湯豆腐が忘れられないんだ。 高杉弾 Takasugi Dan

             前回の連載第一回で、ぼくは「大麻解禁」には反対だと書             いた。簡単に言ってしまえば、今の日本人に合法的な大麻が             必要だとは到底思えないからだ。国民の大多数が法律を順守             し、満員電車に乗り込み、会社から給料を貰い、狭い家に住             み、莫大な税金を払い、まるで国家や天皇家の奴隷のように             働いている人々にとって、大麻など無用の長物だろう。              ガンジャは国家から容認されて吸引するような物ではなく、             人間が成長していく過程で出会ったり体験したりする様々な             文化や異物や衝動や欲望の中で自らが求めるものであり、ガ             ンジャ体験はそれ自体が反国家的な精神の上に成り立つもの             だろう。              ぼくの場合、それはジャズやブルースやロックやレゲエと             いった黒人音楽との出会いから求められたものであったり、             稲垣足穂や筒井康隆や植草甚一や平野威馬雄や日高敏隆やコ             ルタサルや谷岡ヤスジといった奇妙な人々との出会いから求             められたものであったり、臨済禅というまるで究極的とも思             える不可思議な世界との出会いから求められたものであった             りした。              ぼくの二十代後半までの体験については、ごく大雑把だけ             れど前回書いてしまったので、今回は四十代最後の年を過ご             している今の自分と世界について考えてみたいと思う。              世界だなんて、まあ大げさな話だけれど、動物学者の日高             敏隆さんによると、人類は全員朝から晩まで幻覚を見ている             そうだから、世界というものも人の数だけあると思っていい             のだろう。つまり、ぼくが感じている世界と、あなたが感じ             ている世界はまるで別物だというわけだ。それどころか、ぼ             くやあなたの親しい友人でさえ、感じている世界はまるで違             っていて当然なのだ。そして、人類が全員違った世界を見て             いるとしたら、これはもう「人類みなラリ公」ということで             しょう。そう、そういうことをかつて日高さんは日本版『ロ             ーリングストーン』という雑誌に書いていた。タイトルは             「人類みなキチガイ」だったと思う、たしか。              しかし、もしも人類が全員キチ、いやラリ公であるならば、             ガンジャなんかいらない、かも知れないよね。             「大麻なんてさ、目の前にある草を手でほぐして紙で巻いて             煙を口から胸に吸い込んで吐き出す。ただそれだけ」              たしかにそうだ。              大麻が合法化されているアムステルダムでは、現在ほとん             どのコーヒーショップが禁煙になってタバコが吸えない。も             ちろんガンジャも煙だからダメだ。世界的な禁煙化がオラン             ダまで押し寄せ、合法であるはずのガンジャが「嫌煙権」と             いう権利によって禁止されはじめているのだ。もちろん、野             外や喫煙エリアではタバコもガンジャもOK。つまり、タバ             コもガンジャもOKだけど、煙がダメというわけだ。この現             実、日本人の認識とはかなりかけ離れているのではないだろ             うか。              世界だなんて、まあたしかに大げさな話だけれど、三十代             後半ぐらいからだんだん仕事をしなくなっていったぼくは、             それと比例するように、日本という社会あるいは日本人と呼             ばれる人達との違和感が大きくなっていった。それが違和感             なのか疎外感なのか単なる居心地の悪さなのかさえよくわか             らないうちに、ぼくはアメリカや香港やバリやタイに何度も             旅行するようになり、日本という国が世界レベルで見たら、             やはりいろいろな意味で異常な国であることを知った。日本             人が外国に対して持っているほど、外国人は日本に対して興             味を持っていないこともわかった。              そして、居心地の良かったタイの南の島サムイに一軒家を             借りることになり、一年のうちの三分の一近くをハンモック             の上でボブやリー・ペリーの音楽や、波の音を聴いて過ごす             ようになっていた。              日本が暖かい季節になると東京に戻って桜を見たり真夏の             強い日差しを浴びて近所を散歩したりしていたが、タイでも             日本でも、やはりするべきことは何もなかった。出版業界に             顔を出すこともなくなり、古い友人達とも会わなくなって、             家に籠もることが多くなった。文章の注文はこなくなり、収             入は途絶えた。おまけに身体は糖尿病だ。いつしかタイに行             くことが旅行ではなくなり、単なる避寒になっていった。              食べて、寝て、散歩して、お酒を飲んで、また寝るだけが             生活のすべてだった。だが、その生活の基本にあるのはガン             ジャによるスピリチュアルな冒険の世界だった。それは夢を             体験することにも似た、なかば幼児的な、あるいは極端に少             年的な、精神の遊戯世界だ。そこには自分の知っているすべ             てが存在し、また、一切のものが何ひとつ存在しなかった。             国家や社会のシステムが人々を支配する息苦しい世界から遠             く離れて、ぼくは神や仏陀や海や風を身近に感じながら、ほ             とんどアホと紙一重の毎日を送っていた。              ガンジャ体験は、ガンジャをやっていない時間にこそ影響             する。              そんな生活が何年か続き、それでも人間というのはどこか             うまくできたもので、環境の方が勝手に精神を凌駕していく。             つまり、周囲の環境が自分を巻き込んで動いていくのだ。今             まで知らなかった人々と出会い、棚からぼた餅のように金が             転がり込み、知的好奇心を煽る書物や人々と出会う。              そして、今のぼくは東京に二軒、タイに二軒の家を持つこ             とになり、一生遊んで生きていくために会社をひとつ経営し             ている。一生遊んで生きていくために会社を作るなんて、な             んと馬鹿げたことだろうと今でも思う。いろいろな方法を考             えてみたが、自分一人ではなく、かけがえのない友人たちと             一緒に遊んでいくために、会社という「隠れ蓑」が必要だっ             た。              タイ王国は地球上に残された数少ない仏教国のひとつで、             仏教が国土と国民の隅々にまで浸透した素晴らしい国だ。タ             イの階級社会の頂点にある僧侶には421の戒律があるそう             だ。              生き物を殺してはいけない              嘘をついてはいけない              女性に触れてはいけない              怒ってはいけない              走ってはいけない              自分で食べ物を作ってはいけない              酒を飲んではいけない              金銭に触れてはいけない              博打をしてはいけない              セックスをしてはいけない              ・・・・・・・・・              つまり、僧侶は一切の俗世間に触れてはならない、という             ことだろう。              そしてタイの僧侶は人々に説教する。「お前たちは坊主で             はないから、戒律を守れないのはしかたのないことだ。だが、             常に仏の心を忘れてはならない。もし自分が戒律を犯してし             まったという自覚を持ったときには、寺を訪れて仏を拝み、             タンブンしなさい」              タンブンとはお布施、または寄進のことである。嘘をつい             たり酒を飲んだりセックスをしたりしたら、とにかくお寺に             金を持ってこい、というわけである。犯した戒律はお布施に             よって購われる、というのがタイ庶民のごく普通の生活的宗             教感覚なのだろう。そして、ぼくはこれをよく練れた信仰シ             ステムだと感じている。              女性や金銭に触れなければ生きていけないし、酒も飲むし             博打も打つぼくとしては、自分にはタイ仏教の戒律のいった             いどれだけが守れるのかと考え、できる限り実践しながら生             きている。だが、それでもタイに行くたびに毎回千バーツ以             上のタンブンをすることになる。              嘘をつかないこと、怒らないこと、走らないこと、いつの             間にかこの三つがぼくの生活信条になってしまった。だが、             食って寝て散歩してお酒を飲んで博打を打つという生活習慣             は、昔も今も変わっていない。              ところで、タイ仏教の戒律に「大麻を吸ってはいけない」             というのは、あるのだろうか。              世界なんて知らない。だが、自分のことはもっとわからな             い。とにかく急いで口で吸え。              反国家的精神文化のない日本という切なくなるほど渇き切             った国。だけどやはり日本は日本、自分の国だ。いい加減な             んとかならないものだろうか。タイから帰国して湯豆腐を食             べた瞬間に、ぼくはいつもアホで単純な普通の日本人に戻る             のだった。              アホで単純な普通の日本人に、大麻なんかいらない。

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