季刊「BURST HIGH」誌(コアマガジン社)で連載 OUT OF HIGH TIMES ★Vol.09★

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第九回 Vol.09
忘れようとしても思い出せない自分の過去、 いい加減な履歴。そしてこれは遺書ではない。 高杉弾 Takasugi Dan

            すべてはエロ本からはじまった              タイのバンコクに来るようになって、もう十年が過ぎようとし             ています。              大学を中退して貧乏のどん底に陥り、友達と路上Tシャツ屋を             していた頃、深夜のゴミ捨て場で拾ったエロ本がきっかけで自動             販売機で売るエロ本の編集をするようになって、いろいろな人た             ちにめぐり逢いました。その人たちのおかげで、ぼくは今までな             んとか生活にも困らず、面白おかしくへらへらと生きてこれたの             です。              やがて自販機エロ本は全盛期を過ぎ、出せば何でも売れるとい             う時流に何の考えもなく便乗してやりたい放題に作っていたぼく             たちの雑誌は、猥褻図画販売容疑による社長の逮捕という出来事             をきっかけに編集部の解散という結末を迎えたのでした。子供の             頃から調子に乗りやすい体質だったぼくは、その後も懲りること             なくエロ本業界の人々とのつきあいを保ちながら、「作文家」な             どと称してその場凌ぎのいい加減な文章を量産し続けました。あ             るものは売れ、あるものは売れませんでした。もっとも忙しかっ             たときは連載を十四本もやっていました。「エロ本から朝日新聞             まで」というのが文字通りの現実でした。まだインターネットも             ファクスさえもない時代で、エロ本の担当編集者はぼくの自宅の             近くまで原稿を受け取りにきてくれてコーヒーまで飲ませてくれ             ましたが、朝日新聞の記者はとてもえばっていて、ぼくは毎週築             地にある朝日新聞社まで地下鉄に乗って原稿を運んでいました。              ある日、担当の記者がぼくに言いました。             「高杉くん、ジョニー・ロットンて知ってる? 朝日が書いても             問題ないかな」              こいつ何を言ってるんだろうと思いました。ジョニー・ロット             ンはすでにジョン・ライドンになっていて、パンクロックが世界             に浸透していた時期で、朝日新聞の学芸欄で特集を組むことにな             ったのですが、肝心の担当記者がセックス・ピストルズを知らな             かったというわけです。             転がり落ちる石のように              作文家も人気商売なのだなあと痛感したのはそれから何年も経             った頃でしたが、時はすでに遅すぎました。気がつくとぼくはぜ             んぜん人気のない作文家になっていて、誰もぼくに原稿を依頼し             てくれなくなっていました。ぼくに残されたのは「伝説のカルト             雑誌元編集長」というわけのわからない肩書きだけです。その頃             はまだ「カルト」と「オカルト」は同じ意味でした。最後にぼく             に原稿を依頼してくれたのは、漫画雑誌の『アックス』を出して             いる青林工藝社の手塚さんでした。              その間、ぼくは渋谷のセンター街で雑貨屋をやったり、目黒駅             の駅員をぶん殴って警察に捕まったり、ダイヤルQ2で競馬の予             想屋をしたり、糖尿病を発病して足が痺れたり、結核になって病             院に隔離されたり、赤瀬川原平さんや南伸坊さんたちとイギリス             に行ったり、アダルトビデオの監督になって猥褻なビデオを撮っ             たり、京都のバーの階段から転がり落ちて頭を打ったりしました             が、それでも懲りることはありませんでした。子供の頃からマリ             ファナや蓮の実をイヤというほど吸ったり食べたりして育ったぼ             くは、たいがいのことでは懲りません。              けれども、ぼくはどんな環境にいても子供の頃からずっと感じ             続けていたある不思議な感覚から逃れることができませんでした。              それは、簡単に言ってしまえば「疎外感」。どこにいて、何を             していても、言葉にできない違和感というか、居心地の悪さとい             うか、そんな感覚です。自分だけ宙に浮いているような、自分が             喋っていることにさえ現実味がなく、常にクールな誰か、あるい             は自分自身に監視されているような感覚です。むずかしい言葉や             精神医学的な専門用語がきっとあるのだと思いますが、これは言             葉の問題ではありません。              たいていの若者が大なり小なりこうした不思議な感覚を体験し、             そうした感覚から逃れられなくなったときに旅に出たりします。             多くの場合、それはインドかネパールかチベットか、その辺です。              ぼくも例外ではありませんでした。どんよりした気分を変える             には旅が一番です。しかし、ぼくの場合はインドでもネパールで             もチベットでもなく、アメリカでした。いま考えると、まったく             もってアホだったと思います。みんなと同じようにインドかネパ             ールかチベットにでも行って瞑想とか修行とか入信とか涅槃とか             をしていれば、こんなアホの人生を歩まなくて済んだかもしれな             いのに。              まあそんなことはともかく、ぼくはアメリカの、しかもアメリ             カの中でも一番アホが住んでいると言われているカリフォルニア             に、なんと四十回も行ってしまったのです。なぜそんなに何度も             行ったのかというと、そこには極上のヘロインやLSDやコケイ             ンやマリファナがあったからです。もちろんニューヨークにだっ             て極上のヘロインやLSDやコケインやマリファナはありますけ             ど、日本からだとニューヨークよりカリフォルニアの方がずっと             近いですからね。              けれども、ぼくがアメリカ人というものがいかにアホな人たち             で、アメリカという国がいかに野蛮な国かを知るのに、たっぷり             十年近くを要してしまいました。これは紛れもなく、ぼく自身が             アメリカ人と同じぐらいアホだったからです。結局ぼくがアメリ             カで出会った最良のものは、黒人とブルースと映画とNBA(プロ・             バスケットボール)だけでした。              アメリカのアホさ加減にようやくうんざりして、ぼくが次に行             きはじめたのが香港でした。香港というのは中国の一部でありな             がら百年以上もイギリスの植民地(正確には租借地)で、大陸中国             とは違ってとっくの昔に資本主義が蔓延しています。はっきりと             華僑が牛耳っている中国バビロンのような香港に、ぼくはやはり             四十回以上も往復しています。なぜそんなに何度も行ったのかと             いうと、そこには極上の阿片と博打があったからです。香港の九             龍城砦(いまはもうありませんが)で阿片を吸い、競馬に熱狂し、             船でマカオに渡ってカジノで骰子博打をしていました。もし博打             に勝てば一流ホテルで美味しいお酒と綺麗な女の子、博打に負け             れば汚いゲストハウスで虱と格闘です。この時代の香港やマカオ             でのぼくの体験は、『香港夢幻』(大栄出版)という本に詳しく書             いてありますので読んでください。             捨てる神あれば拾う神あり              一年間に五回も六回も東京と香港を往復する生活が何年も続い             ている頃、ある女性が突然まるで救世主のように現れてぼくを助             けてくれました。その人はぼくにこう言いました。             「あなたは天災です。あなたのような人とまともにつきあえる女             は世の中で私だけです。つべこべ言わずに私の言う通りにしなさ             い」ぼくはその人の言う通りにすることにしました。              それから間もなく、ぼくは糖尿病になり、結核になり、とほう             もない大金を手にし、ろくでもない人々と知り合いになって、つ             いにはタイという国に導かれたのでした。              ぼくのタイでの生活についてはこのページですでに何度か書い             たことがあると思いますが、今回はまた違った書き方で少しだけ             書いてみることにしましょう。              タイという国はとても人気のある王様がいる王国で、世界でも             数少なくなった仏教国です。ぼくは学生時代に知った臨済という             約千年前の中国の禅僧が開いた臨済宗という禅宗のファンで、臨             済に関して唯一残された『臨済録』という本の翻訳もしていまし             たから、日本とは違うルートで伝わったタイ仏教にも比較的すん             なりと溶け込め、仏教が隅々まで浸透しているタイのいろいろな             シーンを、さほどの苦労もなく体験することができました。              そしていまから三年ほど前、ぼくは友達と一緒にバンコクの中             心街に1ライ(約四百八十坪)の土地を借り、そこに建っていた四             階建てのビルを改装してカフェレストランを開くことにしました。              さすがに会社を作ってお店を開くとなると、いままで知らなか             ったいろいろな法律とか習慣とかに悩まされ、その都度ひとつひ             とつ解決しなければならない問題に出会いましたが、そういうと             きに、ぼくの生まれながらのアホ体質が役に立ちました。              タイという国では、まずタイの習慣に従い、タイ人と仲良くや             っていかなければ何もすることができません。タイ人はまるでお             釈迦様のように来る者は拒まず、去る者は追わない体質で、にこ             にこ微笑んでいる人に対してはけっして文句を言わず、「嘘をつ             いてはいけない」ということと、「怒ってはいけない」というこ             とを大切に守っている人々です。そして、タイには麻薬もギャン             ブルもありません。いや、本当はあるんだけど。              そしてついに、今年の七月にぼくたちのお店がオープンしまし             た。名前は〈D's Garden〉といいます。              で、ぼくはいま、自分の店の四階のテラスでこの原稿を書いて             います。そして、これを書き終わったら、ここから一階のテラス             席のテーブルに置かれたコーヒーカップの中に飛び込もうと思っ             ています。              ぼくをここまで導いてくれた多くの友人たちと読者の人たち、             そして誰よりも、あるときは菩薩のように、あるときはファンキ             ーな黒人姐ちゃんのようにぼくを見ていてくれた千晶ちゃんに心             から感謝します。これからもよろしく。


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